仏塚古墳 2007-10-20 09:52:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』 仏塚(ほとけずか)古墳は、法隆寺裏山の北、周囲は水田化し東から北にかけて崖で一部が崩落しています。築造時は、周溝があることが解り、一辺23mの方形墳であったと言われています。 横穴式石室は、花崗岩を積み上げて構築、石室の内部では亀甲形の陶棺片が出土していますが、盗掘のため荒らされていました。 写真 仏塚古墳の横穴式石室玄室内
瓦塚古墳群 2007-09-14 09:22:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』 法起寺の北西約100m、矢田丘陵から南北にのびる標高80m前後の中腹に、国史跡三井瓦窯跡があり、頂上に5世紀前判築造の瓦塚古墳群があります。2基の、全長100mと95mの前方後円墳、径約40mの円墳1基があります。この古墳は、お百姓さんが畑を耕していて見つけたそうです。町の調査では、埴輪列と葺石、魚形土製品などが見つかっています。 写真 左下に説明板、中央の小屋が窯跡、その上に3基の古墳
中宮寺跡 2007-08-20 10:16:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』 中宮寺は、聖徳太子建立七ヶ寺の1つ(中宮尼寺)で、太子が御母間人皇后の宮を598年ごろ寺院にしたと伝えられています。(創建年代は異説あり) 創建時の中宮寺は、現在地より東に約550mのところにあり、四天王寺式伽藍配置であったことが確認されています。 写真 中宮寺跡
藤ノ木古墳 2007-07-09 11:33:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』 法隆寺の西約350mにある藤ノ木古墳(古墳後期)は、直径50mクラスの円墳、 横穴式石室に安置された石棺の内外から、金銅製冠・履、鞍金具、太刀・剣など多くの遺物が発掘され、国宝に指定されています。 藤ノ木古墳は現在整備中で近くに記念館が出来る予定です。 写真 野仏と藤ノ木古墳
上宮遺跡 2007-07-06 09:41:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』 上宮遺跡(かみやいせき)は、現在、公園になっています。 公園の東側に聖徳太子の像、中央と四角に歌碑があります。 この地は、太子が薨去(こうきょ)された「飽波葦墻宮」(あくなみあしがきのみや)の伝承地であり、称徳天皇が弓削道鏡と、河内に行幸される際に泊まられた「飽波宮」(あくなみのみや)と推定される奈良時代の掘立柱建物群が見つかっています。 写真 西方浄土を見る聖徳太子