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法隆寺など「斑鳩の里ガイド」のご相談は、斑鳩町観光協会(0745-74-6800)にご相談ください

亀塚古墳

2008-08-19 09:42:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』
亀塚古墳は、旧奈良街道に沿って東西に長い並松集落の西側、斑鳩小学校の北にあります。 情報マップをご参照
現状は、古墳の周りを民家が取り巻き、古墳周囲は削り取られて元の姿は不明ですが、
径10m余りの円墳ではないかと推測されています。
なを、この古墳は、藤ノ木古墳と斑鳩大塚古墳を一直線で結んだ中間点に有、三古墳を結んだ直線は、創建法隆寺の角度(真北より西に20度振っている:「聖方位」)と同じ角度になっています。
 写真 小さな祠が立つ亀塚古墳


藤ノ木古墳の公開

2008-05-04 10:16:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』
藤ノ木古墳の周辺整備が終わり3日~6日一般公開されています。所在地は、斑鳩の里情報マップご参照ください。
石室内部・石棺を間近で見ることができ、ボランティアガイドも常駐しています。
isaoも3日pmガイドに出ていました。初日の見学者は約1600人でした。
法隆寺夢殿の開扉特別公開、秘宝展と合わせて是非お越しください。
 写真 藤ノ木古墳

中宮寺跡の礎石

2008-05-02 09:48:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』
中宮寺は法隆寺夢殿の隣にありますが、聖徳太子が創建したと言われる旧中宮寺は、この東約300mの斑鳩から西ノ京に行く観光道路の傍にあります。(斑鳩の里情報マップご参照)
中宮寺の名前のいわれは、聖徳太子の母穴穂部間人皇后の宮を寺にしたからとか、斑鳩宮・岡本宮・葦垣宮の中間にあるからなど言われていますが、斑鳩の全体図を見ますと、南北の方位が西に20度振った道があちこちに残っています。法隆寺の東大門を出てすぐ左、土塀に沿って斑鳩神社へ行く道も20度振った古代の道です。
聖徳太子は、この地にゾロアスター神殿と言われる「斑鳩京」を創ったのではないでしょうか?
太子道と言われる斑鳩から飛鳥への道も20度振って直線を引くと、この道の途中にある「島の山古墳」も20度振っていることが解ります。
 写真 旧中宮寺の礎石

御坊山古墳群

2007-11-15 19:25:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』
御坊山(御廟山)古墳群は、藤ノ木古墳の西250mの竜田丘陵に3基、終末期の古墳がありましたが、今は、住宅団地に変貌し古墳はつぶされています。この内、3号墳(径8m)は特異な横口式石槨で、石槨内の陶棺から我が国初と言われる琥珀製枕、14~15歳(17~18歳説有)男子身長160cmの人骨等が出土しています。御坊山古墳群は、山背大兄王一族を葬ったとの伝承があります。
写真 御坊山古墳の横口式石槨(橿原考古学博物館)

神代古墳

2007-11-03 09:29:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』
神代(じんだい)古墳は、藤ノ木古墳ー御坊山古墳ー神代古墳と東西にほぼ500m間隔で並んでいます。神代古墳は、春日(滝谷)神社の境内に、コの字型に3枚の石が一部地表に露出しており、当初の墳丘の規模は東西約20m、南に延びた丘陵の南端にあったと思われます。藤ノ木古墳と同時期に築かれており、斑鳩の七世紀を考える貴重な古墳といえます。
写真 神代古墳の石室?、石槨?