先月の24日、三バカセによる歴史探検ウオークで、天理参考館特別展「よみがえるヤマトの王墓」-東大寺山古墳と謎の鉄刀ー(11月23日まで)と常設展を見て東大寺山古墳群までウオーク。 コースは、JR奈良駅~JR天理駅~天理参考館~和爾下神社古墳~東大寺山古墳~JR櫟本駅~JR奈良駅 徒歩約15000歩・8kmでした。
東大寺山古墳から出土した中平銘鉄刀(青銅製環頭太刀3) この太刀は、全体で約3cm内湾しており、棟部に金象嵌で24文字が刻まれています。 銘文の大意は『中平?年5月丙午の日に銘文を入れた刀を製作した。良い鉄を鍛えた刀であるから、天上では神の御意に叶い、下界では災いを避けることができる』と読めるそうです。「中平」は後漢の年号で、西暦184~190年に相当し、卑弥呼の時代に中国で製作されたと考えられています。(天理参考館の特別展図録を参考)
和爾氏は、5代孝昭天皇から15代応神天皇までに20人もの姫たちを、天皇に嫁がせており、ヤマト王権成立に大きく関わった豪族であると思います。
写真 和爾下神社古墳 全長107m前方後円墳 4世紀末~5世紀初
和爾下神社は、古墳の後円部の上にあり、祭神はスサノオノミコトです。物部氏の武器庫と言われている天理の石上神宮の祭神と同じで、物部と和爾氏の関係をうかがわせます。この古墳の北側が和爾氏の本拠地といわれています。
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写真 東大寺山古墳 全長約140m前方後円墳 4世紀中~後半
写真は後円部の頂上です。この古墳からは銘文の入った鉄刀のほかに多くの武器類が出土しています。
東大寺山古墳から出土した中平銘鉄刀(青銅製環頭太刀3) この太刀は、全体で約3cm内湾しており、棟部に金象嵌で24文字が刻まれています。 銘文の大意は『中平?年5月丙午の日に銘文を入れた刀を製作した。良い鉄を鍛えた刀であるから、天上では神の御意に叶い、下界では災いを避けることができる』と読めるそうです。「中平」は後漢の年号で、西暦184~190年に相当し、卑弥呼の時代に中国で製作されたと考えられています。(天理参考館の特別展図録を参考)
和爾氏は、5代孝昭天皇から15代応神天皇までに20人もの姫たちを、天皇に嫁がせており、ヤマト王権成立に大きく関わった豪族であると思います。
写真 和爾下神社古墳 全長107m前方後円墳 4世紀末~5世紀初
和爾下神社は、古墳の後円部の上にあり、祭神はスサノオノミコトです。物部氏の武器庫と言われている天理の石上神宮の祭神と同じで、物部と和爾氏の関係をうかがわせます。この古墳の北側が和爾氏の本拠地といわれています。
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写真 東大寺山古墳 全長約140m前方後円墳 4世紀中~後半
写真は後円部の頂上です。この古墳からは銘文の入った鉄刀のほかに多くの武器類が出土しています。
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