先週、家内と2人で広島城~原爆ドーム・平和記念館~安芸の宮島・厳島神社へ小旅行に行ってきました。
今回の目的は、広島城天守閣で開催されている鎧・甲・刀剣などの企画展と、家内の希望で原爆ドームと資料館を見ることと、平清盛が1168年に現在の規模に改築した厳島神社
の干潮時と満潮時における神社の様子の違いなど、さらに、神社の中心線の方位を確認するためでした。厳島神社は、593年(推古天皇元年)の創建といわれ、平成8年12月に世界文化遺産に登録されています。
写真 焼け野原になった原爆ドーム周辺
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島は世界で始めて原子爆弾による被害を受けました。原爆ドーム周辺は瓦礫となり、仏像が無残な姿になっています。資料館では、外国人の団体さん達が熱心に展示物を見ていたのが印象的でした。
写真 現在の原爆ドーム周辺
写真 干潮時の厳島神社大鳥居(重要文化財)柱材は楠、高さ16m、棟の長さ24m、
宮島桟橋前のホテルに荷物を置き、15時ごろに厳島神社へ鳥居の下まで徒歩、鳥居の外から神社の方位を磁石で確認しますと、607年に聖徳太子が創建したと言われる法隆寺・斑鳩寺(若草伽藍)の聖方位とよく似ています。また、境内にある鏡池(真水が湧き出している)を見ることができましたが、潮が満ちるとこの池は見ることができません。
写真 満潮時の大鳥居
翌日の10時前潮が満ちていて水上の厳島神社を見ることができました。
写真 廻廊(国宝)
全体に朱が塗られて優美な感じです。法隆寺西院伽藍の廻廊構造と比較してみると興味が広がるかと思います。
写真 水上の廻廊
参考資料;広島平和記念資料館、厳島神社パンフレット
今回の目的は、広島城天守閣で開催されている鎧・甲・刀剣などの企画展と、家内の希望で原爆ドームと資料館を見ることと、平清盛が1168年に現在の規模に改築した厳島神社
の干潮時と満潮時における神社の様子の違いなど、さらに、神社の中心線の方位を確認するためでした。厳島神社は、593年(推古天皇元年)の創建といわれ、平成8年12月に世界文化遺産に登録されています。
写真 焼け野原になった原爆ドーム周辺
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島は世界で始めて原子爆弾による被害を受けました。原爆ドーム周辺は瓦礫となり、仏像が無残な姿になっています。資料館では、外国人の団体さん達が熱心に展示物を見ていたのが印象的でした。
写真 現在の原爆ドーム周辺
写真 干潮時の厳島神社大鳥居(重要文化財)柱材は楠、高さ16m、棟の長さ24m、
宮島桟橋前のホテルに荷物を置き、15時ごろに厳島神社へ鳥居の下まで徒歩、鳥居の外から神社の方位を磁石で確認しますと、607年に聖徳太子が創建したと言われる法隆寺・斑鳩寺(若草伽藍)の聖方位とよく似ています。また、境内にある鏡池(真水が湧き出している)を見ることができましたが、潮が満ちるとこの池は見ることができません。
写真 満潮時の大鳥居
翌日の10時前潮が満ちていて水上の厳島神社を見ることができました。
写真 廻廊(国宝)
全体に朱が塗られて優美な感じです。法隆寺西院伽藍の廻廊構造と比較してみると興味が広がるかと思います。
写真 水上の廻廊
参考資料;広島平和記念資料館、厳島神社パンフレット