「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

新年度に向けて

2021-01-15 22:17:00 | 雑感
ずいぶんご無沙汰しているうちに2021年1月も中頃になってしまい、松の内も今日で終わってしまった。
このブログの最後の投稿からも半年があっという間に過ぎてしまった。
新型コロナウイルスの最初の感染から一年が過ぎたと今日のニュースで言っていた。昨年はこのウイルスが思わぬ速さで世界中に蔓延し、世界中の人々が振り回されてしまった。そして今年になって日本でも、どんどん感染者が増えて先が見えない状態となっている。

私もその渦中に身を投じざるを得ず、自粛生活を余儀なくさせられた一年だった。そして2回目の緊急事態宣言が出て一週間。今のところ身近に感染者が出ていないが、増え続ける感染者の現実を思うとできるだけリスクを避けるために出かけることは続けて極力控えようとは思っている。


幸いにも私の場合は趣味でやることがけっこうあり。そういう意味では充実していた日々だったとも思う。しかし。1回めの緊急事態宣言で星田園地も2ヶ月ほど閉鎖されその後は感染対策として人数制限されたり、2年間通ったジムも辞めて山歩きもあまりしなくなってしまった。そのため筋力が低下したのか、昨年末には腰痛や転んで肋軟骨骨折、星田でホールして仙骨骨折と打撲。元旦には捻挫と立て続けに怪我が続いて悪循環に陥ってしまっていた。

やっと、足の方もだいぶ良くなったようなので今日は星田に登りに行った。まだ少し外踝に違和感はあるがもう大丈だと思う。長いブランクがあるので前のようにはいかないが、これからは歩いたりして慎重に少しずつ体力もまた付けていこうと思っている。
夏野菜の準備や畑の片付けもそろそろしなくてはならない。これも体力作りには効果的だ。

年頭にいろいろ思うこともあり、こんな時勢だからこそ何事も前向きにできることを楽しんでいたいと……
ただし無理はしないこと。年齢と体力を考えて慎重に。
そして普通に平穏に暮らせることを願って。






春の風景

2020-05-23 22:36:00 | 雑感
コロナウィルスのため自粛生活になって約2ヶ月になり、やっと少しずつ解除されることになった。
明日から、感染の予防対策をしながらも星田クライミングウォールも解放される。
今まで外での活動はすべて中止になり、それに伴って私は買い物以外はほとんど家で過ごしていた。
ちょうど夏野菜の植え替え時なので、畑仕事に勤しんでいた。
晴耕雨読と言うが、雨の日は久しぶりに絵を描いている。子どもの頃から絵を描いていると時間の経つのを忘れるほど夢中になっていた。今も楽しくて仕方がない。絵の具もキャンバスもイーゼルも新しいのを買ってしまった。
若かったころ、リキテックスと言うアクリル絵の具が出始め、絵を描いていたことがある。油絵の具のようにも使えるし、色も明るくて綺麗かった。それから半世紀余りが過ぎてしまった。
油絵の具はたまに使っていたが、この50年のリキテックスの進化が気になり、とうとう買ってしまった。
今日は、新しいリキテックスを使ってみた。
何かを描きたいと言うのではなく、絵の具をキャンバスに書きなぐっているという感じだ。
この歳になると、もう先も見えてきている。何かを成し遂げようとか認めてもらおうとか言うような欲は全くない、と言うよりは実力が無いことは自分が一番よく知っている。何をやってもその時楽しいことが、1番重要なこと。
こんな時期に、楽しく過ごせるのは幸せなことだとつくづく思う。
久しぶりのあまりにも速乾性の絵の具には手を焼いてしまったが、あっという間に1枚仕上げられた。
油絵の具は乾くまで次の作業ができないが、アクリル絵の具はあっという間に乾き、お手軽だった。
2年前ちょうどこの時期に行った尾瀬のイメージの絵だ。出来栄えは、とても満足の域には達していない。
が、トイレに飾ってみた。



下の三枚はちょうど50年前にリキテックスで描いた私の絵です。
今でも当時と色が変わっていません。
当時は画期的な絵の具でした。







「Facebookの6年前思い出」今日との出会い1

2020-02-07 08:10:00 | 雑感
6年前こんなことがあったんですね。交響曲第一番は今でもいい曲だったなと思い返します。6年経った今、この人はどうして生きてるんだろう何をしてるんだろう?
本物の作曲家はテレビで時々見たことがある。
何かにつけてマスコミが大騒ぎするのに問題もあるが、それに扇動された自分もいまだに反省材料となっている。
やっぱり正直に生きた私の祖母は、平凡だけど素敵な人だったなぁと思い出せる。
これからの私も祖母のように思い出に残る私でありたい。

以下はFacebookの六年前の私の記事

佐村河内守さん、信じていただけに残念です。
子どもの頃から「嘘ついたらいけない、正直に生きなさい。嘘ついたらおまわりさんに連れて行かれてしまう」と単純明快に物心ついたときから祖母に言われ続けていました。
何気なく見栄を張って自分を大きく見せたがる小さな嘘が、日常ではいっぱいあると思います。戒めになります。

昨日,近所のお婆さんから「あんたのお祖母さんは、他の人と違って人の悪口やうわさ話もしないし、親切で正直な人やった」と言われたばかりでした。
お寺参りをしては、親鸞、法然、一休さんなどの絵本をお土産に買って来てくれて、一緒に寝ていた子どもの私に、毎夜「読んで」とせがんだのを思い出します。田舎の小さな村でつましく平凡に生きたお婆さんが何だか素敵に思えます。

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小さな秋

2019-11-19 09:08:00 | 雑感

疲れたこの頃、ふと窓に真っ赤な映るハナミズキの花。


童謡の「小さな秋」サトウハチロウ作詞/田中喜直作詞です。




だれかさんが だれかさんが


だれかさんが みつけた


ちいさい あき ちさい あき


ちいさい あき みつけた


おへやは きたむき くもりの ガラス


うつろな めのいろ とかした ミルク


わずかな すきから あきの かぜ


ちいさい あき ちいさい あき


ちいさい あき みつけた




二番の歌詞


今の私の心境にぴったりです。




おへやは きたむき くもりの ガラス


うつろな めのいろ とかした ミルク


わずかな すきから あきの かぜ


 


私の子供の頃の動揺が身に染みる年頃になりました。


自然を読んだ叙情豊かな詩はやっぱりいいですね。


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春の風景

2019-03-20 22:10:00 | 雑感
かなり温かくなったと感じた日だった。
車の外気温は22度。

今日は図書館の音訳の会合があり、いつものレストランでいつもの友人とランチを済ませてからすぐ近くの通りにあるカンヒザクラ(寒緋桜)の並木の花見に誘われぶらりと散歩。
公園ではコブシが咲き乱れ、タンポポ、オオイヌノフグリ、オドリコソウ、ホトケノザが草に紛れて彩る。やっと春到来という感である。

私はこの時期から本格的な春夏野菜の準備で忙しいはずだが、少し余裕がでてきたのか逸る気持ちはそれほど湧いてこない。
すでにトマトは昨年と同じ品種のサカタの大レイカ、中シンディー、小アイコと昨年のタネの残りで伏見シシトウ、カモナス、真黒ナス、カラーピーマン、大ピーマンなどの苗を育成中。
昨日は、昨年より10日ほど遅れてじゃがいもキタアカリの植え付けた。
今日はかぼちゃの植え付けと、この時期は次から次へと畑仕事が待ち受けている。

ほったらかしのヤーコンも今頃収穫して、今日の夕食にブロッコリーの脇芽とゴママヨ和え。ヤーコンはタネからもう新芽が出ていた。作り出して数年経つがどんどん増える。

畑には大根や白菜など菜物の残り野菜が花を咲かせ始めているが、十分食べられる。私の畑は野菜の食品庫のようなもので食材はいつも畑の野菜の収穫からレシピが決まる。
野菜に花が咲き始めると筋張ったりまずくなったりするのだが、花の蕾あたりは柔らかくて美味しかったりする。

ここに来てこのような生活がもう十年も過ぎると、毎年繰り返される日々が当たり前のこととして過ぎ去っていく。
なのに春を迎える時はいつも心踊るのはなぜなのだろうか。
それは無彩色から徐々に彩色されていく自然の美しさに命の芽生えを感じるからだろうか。
いつも行く星田でも枯れたような色彩の木々がこれから徐々に色が付き、5月の連休の頃にはこんなにも緑の種類が多いのかと色彩の多様さに驚き感動する。そしていつもの同じ場所に咲く花を発見しては安堵する。
クライミングが上手くなるということはもう諦めかけているのにもう二十年以上も通っているのは、この変わらぬ自然に包まれていることが私にとっての癒しなのかもしれない。

年を重ねて先が見えて来たときには、この平穏な日々が愛おしく感じるのだろうか。そして私もその時期を迎えようとしているのだろかとふと思ったりする。