「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

映画「奇跡のリンゴ」

2013-06-23 23:31:00 | 映画
映画「奇跡のリンゴ」を見ました。

「日本最大のリンゴ生産地・青森を舞台に、それまで絶対に不可能だといわれていた“リンゴの無農薬栽培“に挑戦した木村秋則氏の実話を映画化。阿部サダヲが木村さんに、菅野美穂が、農薬に体を蝕まれながら木村さんと共に無農薬栽培に挑む妻・美栄子を演じる。私財を投げ打ち、11年もの歳月をかけて信念を貫くひとりの男の姿が胸を打つ物語だ。」映画解説より

私の畑は,家庭菜園で趣味です。それでも農薬や化学肥料を使わないとなると、模索と失敗の連続の4年でした。今でも,出来の悪さに嘆いたりします。しかし、少しずつ土に変化が出て来てもいます。

映画を見て、「よく頑張りましたね」と木村秋則氏エールを送りたくなりました。そして,目標に向かって日々見えない物を追いかけてチャレンジしている人にも…。みんな成果が得られる訳ではありませんが、過程が大事だと思います。私もとても励まされました。

帰ってから,本を2冊Amazonで購入しました。
「土の学校」木村秋則著と「すごい畑のすごい土」杉山修一著です。
私も、諦めないでもう少し頑張ってみます。

週末は映画

2009-09-07 22:50:00 | 映画
とうとう、私もシルバーで映画を見られるようになった。
嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだが、特典は使わないと損。
自転車で10分程と、映画館が近いのも嬉しい。

土曜日の午前、見たいと思っていた「HACHI 約束の犬」を観ようと出かけた。
何とこの日から上映時間が変更されていた。
仕方ないので、ちょうどこの時間に始まりかけていた「BALLAD 名もなき恋のうた」のチケットを買い観て来た。
お目当ての「HACHI 約束の犬」は、次の日の日曜日に観て来た。
日本語吹替えということなので、母も一緒に行ったところとても喜んでくれた。

「BALLAD 名もなき恋のうた」は何の予備知識も無かった。
しかし、ストーリは単純で軽く感じたがけっこう楽しめた。
出演していた草なぎ剛はどこかで見たことのある俳優だなぁ~と思っていたら、ちょっと前に公然わいせつでTVニュースで見ていたのを帰ってから思い出した。役柄とにギャップがありすぎてすぐには思い出せなかった。
未来や過去にタイムスリップするお話しは、前から小説やドラマなどでもよくあり珍しくはない。子どもの頃には、空想も手伝ってワクワクした記憶がある。
還暦を迎えた私は、子どもの頃から現在を見るとタイムスリップしたようなものだ。
子どもの頃から半世紀後に実家に戻って来て住むようになって、あまりにに変わってしまっていることを改めて感じている。
しかし徐々に変わって来たものは、タイムスリップしたのと比べると、そう驚かないものだ。
映画の中で、動画や写真、自転車や自動車などに驚く場面が多々ある。
私が子どもの頃に学習雑誌などに載っていた未来の姿をはるかに越えてしまっている現代。
現在を生きていてもどんどん加速度を増すこの時代に、ついて行けないことが多いのに、あんなに簡単に受け入れられるものだろうかと映画を観ながらふと思った。
これからの数十年、最後までしっかり時代の流れに付いて行き、時代はどう変わるのかしっかりと見届けたいものだ。しかし,過去にタイムスリップだけはごめんこうむりたい、とも思う。
この映画はこれだけではなく、恋愛や家族,勇気など盛りだくさんな内容を盛り込んでいてちょっと焦点がぼやけた感じは拭われない。
原作が「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」ということを後で知った。漫画が原作なら、なんとなく納得出来る。

そして、次の日に観た「HACHI 約束の犬」は、あまりに有名な話しだ。これは前者と大違いの正当派の映画。もうすでに知っていて、冷めた気持ちで観ていたはずなのに,不覚にも涙、涙…だった。映画でこんなに泣いたのは、もしかしたら初めてかも。
秋田犬『ハチ」の名演技には参ってしまった。
ただし、秋田犬=日本人という捉え方はアメリカ的だったかな?
しかし、犬を飼いたいなぁ~。




剣岳 点の記

2009-07-18 22:05:00 | 映画
新田次郎著『剣岳点の記』を読んでからもう5年近く経ってしまった。この本は新田次郎の本の中では一番感動した本だ。それだけに映画になるというのを知ってから,首を長くして待ち続けていた。
どんな映画もそうだが、この映画もやはり原作の方が良かった。
しかし,映画が良くなかったという訳ではない。これだけの映画を剣岳で実際に撮影した苦労は並大抵ではなかっただろう。映画は綺麗だったのに、素直に素晴らしかったといえないのは原作への思いが強すぎなのだろうか。木村大作監督の前口上でのこの映画に懸ける思いは十分に伝わっていたはずなのに、この映画を観た私にまでは届かなかったようだ。また日頃山に行っていない俳優やスタッフにとっては大変な撮影だっただろうとうことは察しがつく。この映画の一番達成感を味わったのは,映画を作った仲間たち(出演者やかかわった人をこう書いてあった)だったのだろう。観客は、その感動をどこまで共有出来ただろうか。
映画を見ながら思ったことは、やっぱり山は美しいなぁ~ということ。しかし映像での美は本物を見たときの感動よりは落ちるとも思う。やはり、原作は本物だったのだろう。
それより映画はもう少し違った視点で見るべきなのだろう。

2005年の下記の記事に、最近(7月5日付け)小笠原勇八氏のお孫さんという方から書き込みを頂いた。著書「剣岳・立山」と『剣岳点の記』を拾い読みした。
今は山には行けそうにも無いが、また歴史をたどって立山周辺を歩いてみたいと思った。

ブログの引用
2005/3/19「劔岳・点の記」  
古本屋で見つけた「劔岳・点の記」新田次郎著(文藝春秋)を興味深く読んだ。
明治40年測量隊が立山周辺の山の測量に入り、剱岳に苦労して長次郎谷から初登を果たす。しかし、頂上では古い錫杖の頭と剱が見つかり、人の入った形跡が洞窟の中にも残されていた。
この時代の立山信仰のことや、歩いたルート、そして当時の山の装備など歴史的事実を踏まえて書かれた小説だけに納得できおもしろかった。また日頃何気なく見ている国土地理院の地図が、こんなにも苦労して作られていたことも改めて知った。
立山や剱はいろいろ思い出深い山だけに、感慨深いものがあった。1997年には、初めての剱の頂上に登り一旦雷鳥沢に戻り、雄山からザラ峠・五色ヶ原まで、縦走。そして越中中沢をピストンして黒部に降りた。
この時は剱沢では、かなりきつい台風を体験して、本来の予定は薬師岳までの縦走だったが、大幅に変更せざる終えなかった。(この時のことは、「山への想い」に書いている)剱という山の厳しさの、初体験だった。
この本を読みながら、それからも何度か行った剱のことが思い出されて来た。
そして、何よりも剱や立山にはまだまだ私の知らないところや面白い話がいっぱいあった。特にザラ峠から常願寺川の方にくだって行くと小説に出ていた立山温泉の廃墟に出会えるという。ここは、かなり好奇心が湧いてきた。ネットで調べたら、かなりの情報があった。
そしてもう一冊、夫が古本屋でずっと前に買って家の本棚に見捨てられていた古くて汚い本が、この「劔岳・点の記」を読み進むにつれて、日の目を見た。
この本は、昭和14年発行された。著者は「小笠原勇八」で、東京都岳連の初代理事長だったという。本の最後の綴じ込みの立山の概念図を見ると、アルペンルートがなかった時代ということもあり、より私の興味をそそった。
明治40年から昭和14年の間に、かなりの登山道や小屋が出来たことになる。それは、「劔岳・点の記」に出てくる、小島鳥水の日本山岳会と剱岳の初登を競い合っているように日本山岳会の貢献が大きい。このころから宗教的な登山から近代登山の幕開けとなっている。これも私には興味深かった。
この二冊の本からは、まだまだ好奇心が湧いてくる。
今年の夏は、「これだ!!」と思った。

そして立山温泉見学の時の報告
http://www.eonet.ne.jp/~iku-san/12kitayama/12kitayama05.html#6



映画「眉山」

2007-05-30 19:39:26 | 映画
朝起きたら、もう雨が降っていた。今日はホシダの予定だったが、土砂降りの雨に気落ちして中止をしてしまう。そうしたら、もう昼過ぎには雨はやんでしまった。すこし損をした気分だが、明日の予定(母の病院)を今日にこなし、明日ホシダへ行くことにする。映画館の前を車で走って今日が水曜日なのを思い出した。母を家に送り届けて映画館に入ると、「眉山」の開演時間にちょうど良かったので観て来た。
この映画は、つい先日原作を読んだばかりだったのでストーリーが鮮明に残っていた。いつも映画は原作より良くないのが普通だが、この映画はわりとよかったと思う。
宮本信子の「神田のお龍」が原作よりお上品に感じた。この人、ほんとうに演技上手いなぁ~、と思った。それと徳島の人形浄瑠璃と阿波踊りはやはり音と映像の世界が迫力があり、良い効果あったようだ。
眉山という山は、山好きな私としてはあまり魅力のある山には見えなかった。恋人の代役としてはお粗末な気がしたが、こんなこと言うと徳島の人に叱られるかな? 大事な観光資源のようだが。
この映画を観て、阿波踊りを一度見てみたいと思った。凄く迫力があった。そういえば、最近夏場の盆踊りもここに引っ越したときには聞こえていたが、最近は聞こえていないようだ。
お祭りや盆踊りは廃れて来ているのだろうか。地域社会の繋がりも薄れて来てるのだから、廃れて当然なのかも知れない。私の子どもの頃とは、全く違ってしまっている。

映画「東京タワー」

2007-04-26 20:49:58 | 映画
今日は蝙蝠谷にクライミングに参加の予定だったが、ちょっと用事が出来て行けなくなった。だいぶ岩場からは遠ざかってる。時間の合間を見て、映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を観て来た。
これは原作を読んで、テレビドラマで見て、今回の映画なので新鮮味に欠けていた。この本の原作は、もう200万部を越えてしまっているらしい。凄いなぁ~。今回の映画は、オカンが樹木希林で若いときは娘の内田也哉子がやっていたが、これはさすがに親子だなぁ~と思う程似ていた。内田也哉子の演技は樹木希林にはまだまだという感じはしたが、個性的で良かったと思う。
やっぱり、映画とテレビの大きな違いはセットにあるようだ。改めて、リアリティーをもって私に迫って来たようだ。それにしても、やっぱり樹木希林は魅力的なオカンだった。というよりは、樹木希林が魅力的なのだろう。
親の子どもに対する愛、子どもの親に対する愛を改めて考えてしまった。子どもは愛情一杯に育てられると、大人になってまた愛情を持てる大人になるということなのだろうか。最近は「愛情=甘やかす」ということと履き違いをしていないだろうかと思うことが良くある。貧しい時代の方が、子どもはちゃんと育っていたように思うのは気のせいか…。
ちなみに、私の隣に座っていたオカンは映画の間中泣いていたようだ。

2006/1/21本を読んだときのブログ
「東京タワー」  読書
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー著
この本、ベストセラーらしい。私は全く知らなかった。友人が「読んでみてみ」と手渡してくれた。「この本なに?」「エー、知らんのん?」「外国人の作家みたいやのに、東京タワー? オトン? オカン? どうなってんねんや…」「ごたごたいうてんと、とりあえず読んでみ~!」と言うような訳で、借りて来て読んでしまった。娘に知っているかと聞いてみたら、涙…涙…の本だということで職場の話題になっていたので読んだという。知らなかったのは私くらいなのか?
これは、作家の私小説で子供の頃から現在までのお話。副題の「オカンとボクと、時々、オトン」通り、両親は別居で母親に育てられて、父親は時々登場するがいわゆるマザコンではと思う程の密接な母との結び付きのなかで成長するが、高校から母親とも別れ別府へ、大学で東京。そして最後に東京へ母を迎えて一緒に暮らし、癌で亡くすまでの話し。1963年生まれの著者リリーさん、私とは一回りは歳が違うのだが、何だか共通の経験をしていて近親感を持ってしまった。
それは地方から東京に出て行って、東京というところの捉え方が「なるほど、そうそう」とうなずきながら読んだ。仕事も同じような仕事をしていたせいか、私が東京にいた1970年代の前半もそうだったなぁ~、と懐かしく思いながら読んでいた。私は、結局故郷に帰ってしまったのだが…。
私が東京にいた頃には、東京に夢を見て出て来たデザイナーやカメラマン、漫画家志望などで食べられない人がたくさんいた。しかし消費者金融などという物は無く、みんな汚いアパートで共同生活などしながら肉体労働などのアルバイトをしていた。しかし大方の若者は夢破れ疲れて故郷に帰って行った。私の仲の良かった作家志望の友人は、お金がなくなるとコーラーの瓶を酒屋の裏から盗んで来て、違う店に持って行って1本10円で引き換えていたのを思い出した。それらの人たちが、この本の登場人物と時代は違うがオーバーラップしてきた。
最後に、東京タワーから眺めて「東京の風景すべてが巨大な霊園に見えた」「故郷から胸をときめかせてやって来た人々。この街は、そんな人々の夢、希望、悔しさ、悲しみを眠らせる、大きな墓場なのかもしれない」。これには、「うん、うん、」とうなずいてしまった。
オカンもオトンもその辺にいる平凡な庶民的な親だが、深い愛に溢れている。また子どものときにはひどい親だと思って育っても、大人になれば違った見方で見ることも出来る。なんだか、そのへんにいそうな家族でもある。
この辺に、ベストセラーの秘密がありそう。
歳とともに涙は枯れていくのか、ちなみに私は涙が出なかった。