「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

眠れない夜は…

2022-09-24 04:48:43 | 芸術(絵画 音楽他)

歳のせいか、最近早い時間に寝ています。

すると夜中に目が覚めてしまいます。

本を読んだり、音楽を聴いたりしているうちにまた寝付いてしまいます。

それでも目が冴えて眠くならない時があります。

すぐに寝られる時は、昼間の行動に関係があるようです。

昨日は雨で畑には出られず、動いていないからかもしれません。

まるで、赤ん坊みたいですね。

今夜は、目が覚めてから絵を描きました。

初夏の伊吹山登山道の五合目から少しいったところにスミレの群生があります。

アクリル絵の具は、仕上がりが早いです。

大体仕上がったので、これからもう一度寝ます。

午前3時34分、地震がありました。

兵庫県南東部、震度3。このあたりは震度2らしいです。

ガタンと一度だけ縦に揺れましたがそれで終わりでした。

 


初めての公募展

2022-04-04 08:22:00 | 芸術(絵画 音楽他)
初めて油絵を出展した「八幡市展」が昨日終了しました。観に来てくださった友人知人の方や他の方からも感想やアドバイスなどたくさん頂きました。ありがとうございました。

最近、色んな方から絵手紙をいただいたり、友人の絵の教室の案内を頂いたりで刺激を頂き、数年前からまた絵を始めました。水彩画や油絵が少し溜まって部屋に飾つたりして自己満足の世界です。趣味でやっていた登山で出会った風景や花などで、私が感動したものが題材です。始めてみるとその感動を表現するのはとて難しく、毎回不満足な出来栄えですがキャンバスに向かって色を塗り重ねていくのは私にとってはとても楽しくて夢中になれる時間ででした。

今回、「八幡市展」というのが一般公募されているのを市の広報で初めて知り、30号までと言う大きさの規定なので、今まで描いたことのない大きさ(30号は家に飾るには大きいので)にチャレンジしてみたくなり、出品を決意しました。
それからの製作期間は約1ヵ月。油絵は乾くのにも時間がかかるので、手探り状態で始まりました。題材は何度も行っている大好きな尾瀬。6月末の季節の写真が目に止まりました。

それは、コロナ禍の前に友人がどこかに行きたいと言ったので尾瀬の水芭蕉を思いつきました。しかしすぐに梅雨の時期になり、雨の間の晴れを待っていたらこの時期になりました。行ってみるとすでに水芭蕉は終わり、尾瀬は初夏になっていました。特にこの年の水芭蕉は早かったそうで5月中旬で終わったそうです。しかし、水芭蕉は大きな葉だけとなっていましたが、尾瀬は美しく新緑に輝いて素晴らしい色彩に満ちていました。その感動をこの機会に表現したかったのですが、私にとっては大変な作業でした。なかなかイメージ通りの色彩には届かなかったのですがもはやこれまでと、筆を置きました。

初めての公募への出品で不安もありましたが、色んなお言葉を頂きとても嬉しく、また今までの感動をキャンバスに表現したくなりました。そしてまた次への意欲にもなり、来年の絵がどんな表現をしているのかも自分でも楽しみになりました。
それにそろそろ、上手く描こうという自分を捨てて、未熟でも楽しくて夢中になれることがあることが幸せと思う年齢にもなってもいいいのだと。
亡くなられるまて創作されていた日本画家の堀文子さん。足元にも及びませんがありのままの生き方を尊敬しています。




水彩で静物画

2022-01-18 16:27:00 | 芸術(絵画 音楽他)
コロナが過去最多になった。
まだまだ増えそうだ。
今日は雪が舞っていて寒い。
こんな日は畑にも出たくない。
ますますお家時間が増えてくる。
今日も絵を描いていた。
目の前にあった油絵のオイル瓶とコーヒーカップは滅多に描かない題材。
少し続ければデッサン力がつくかな?
いつまでコロナ禍は続くのだろうか。




絵を描く

2022-01-17 08:36:00 | 芸術(絵画 音楽他)
昨日も一日絵を描いていた。

チューリップの球根やパンジーの苗、そして花の種など、昨年秋に衣替えしていた花壇やプランターで春になると一斉に咲き始める。畑や庭でも梅の花が咲き始めて次から次へと賑やかに、そして美しく彩る。実家に戻って花の好きな母と同居してから我が家の恒例となっている春の植え替えだった。母と過ごしていた六年間は半ば義務的にやっていた。亡くなったあとも天国の母は見ているかなとか喜んでいるかなと思いながら重い腰を上げていた。でも次第に、もっと美しくもっとゴージャスにと春の季節を想像して植えるとき欲が出てきて工夫している。いまでは冷たい殺風景な冬の風景から一変する魔法のような世界を味わう楽しみに変わっていった。春が待ちどしい。

どんなに頑張っても私の描く絵では表現できないが、私の感じる美しさを表現できたらと夢中になってしまう。
でも、思うようにはいかない。
今の自分はこんなものでしょう、と筆を置く。

数年前に撮った写真を見て水彩絵具で描いてみたチューリップ(F6サイズ)。だいぶ前に描いた油絵(F10サイズ)。少しは進歩できているかな?


油絵


水彩画



雨の日。絵を描く

2022-01-12 08:49:00 | 芸術(絵画 音楽他)
昨日は雨。今日もどんよりとした曇り空。ここ数日部屋にこもって絵を描いていた。今の私にとって集中できることがあるのは幸い。この年齢になると、大切なことはやることがあるということ。そして時間を忘れるほど楽しいということ。

今まで生きてきて子どもの頃は、何をやっても楽しい遊びとなって毎日が繰り返されていたような気がする。それが大人になってくるに連れて、他者が気になったり、仕事となって社会的な位置ができたりで徐々に自分の立ち位置が理解できるようになり「しんどい」と感じることが多くなる。


歳を重ねると子どもに返るという。本当に子どもに返れたら幸せではないだろうか。よく認知症などになったら子どもに返って来ると言われるが、私のいう意味は少し違っている。

極端に言えば、「いろんなものが捨てられる」という意味合いがあると思う。それは子どもから大人になり社会に出て色々直面する自分を制約するものから少しずつ解き放たれるということかもしれない。例えば、こんなことを言ったり為ては恥ずかしい。これは常識はずれだからと自分の狭い枠に自分を追い込む。自分は大したことがないと思ったり、また傲慢になったり、自信満々になり奢れたり、常識に囚われて何もできなかったりなど、他にもあると思うが自分を規制する枠から自分を抜け出すことかなと思う。

だいぶ前になるが、朗読を習っていた先生がいろんな人の朗読を評価するときに、私が上手いなぁと当時思っていた人によく「ヌードになりなさい」と言ってあまり細かい注意をしなかった。そう言われた人は「評価してくれない」と不満いっぱいだったようだ。

今ではその先生の言われたことが、なんとなく理解できる。自分を曝け出して自分を表現する。自分に規制をかけて自分の価値観に固執しない、という意味合いだったのかと。

そろそろいろんなものを捨て、小手先のことに惑わされず、人に迷惑さえかけなければ自由に思うままやりたいことをやったらいいのではないか。自分を解き放ってもいいのではないかと。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、小学生の頃勉強のノートや教科書の隙間に絵を描いていた。その頃は無意識に漫画やお姫様を描いていたのだが。それが講じて仕事にした。しかし、才能がないことは少しは自覚していた。かなり無理をして頑張った時期もある。お金をいただくのだからそれに見合うものを作らなくてはと絶えず自分を追い込んでいたようだ。勤めていたときはかなりの激務で胃痛が起こり神経性胃炎から潰瘍らしいと診断され痩せ細っていた。それでも頑張らなくては、良いものを作らなくてはと当時は自分を追い込んでいたように思う。それは自分をある意味では過大評価していたのかもしれない。ダメな自分を認めたくないと。

しかし、この年齢になると自分というのがわかり過ぎてしまっていてる。
子どもの頃に楽しいと感じた気持ちに素直に戻ればいいのだなと感じている。
人は「多趣味でいいですね」なんて言って下さるが「一枚ずつ脱いでヌードになろうとしているだけです」と言いたい。

そして以下がこの雨の日に描いた絵の一部です。
自画像も初めて描いていますが、まだ公開には至りません(笑)
今のところこんな感じで遊んでいます。