車の定期点検で京都に出かけたついでに、修理工場の近くの北野天満宮の梅園を見て来た。長い間京都と関わっているのに、北野天満宮の梅園に入ったのは初めてのこと。改めて、「観光地京都」を知らないことを認識した。
しかし、ここの梅はもうだいぶ花が落ちていた。3月いっぱいは開園されているらしいが、それまで花が持つように思えない。例年に比べたら早いのかも知れない。平日のせいか人出も少ないように思えた。
山の自然を知ってしまうと、なかなか人工の美は受けいられないでいる。どうしても、お寺の庭園やこのような梅園を冷めた目で見てしまう。
しかし、帰ってから写真を眺めているとこんなにも綺麗だったのかと改めて思ったりする。
知らない間に、自分の中の感動する気持ちがどんどん年とともに消えて行ってるのだろうか。
何かにつけて悲観的になっている93歳の親戚のお婆さんに、「もっと前向きに!」と励ましているのは無駄なことなのだろうか。人生の最後に向かうに従って、感動や感激は消えて行くのだろうか。
「あなたもこの歳にならないとわからない」と反発されてしまう私の言葉は空しい。
そういえば、あんなに春の花の咲くのを楽しみにしてどろんこになっていた母が、大好きなユリの球根を植えたままほってある。また、「ユリの花が咲いた!」と大喜びするのだろうか。
毎日、炬燵に潜り込んだままあまり動かない母を見ると心配になって来る。
暖かくなったら、近くの公園にでも連れ出して2人のお婆さんに少しでも感動を味合わせてあげたいと思う。
そして、自分の感性を枯れさせないためにも、また今年も山に向かいたいと思った。
しかし、どこまで出来るだろうか。
しかし、ここの梅はもうだいぶ花が落ちていた。3月いっぱいは開園されているらしいが、それまで花が持つように思えない。例年に比べたら早いのかも知れない。平日のせいか人出も少ないように思えた。
山の自然を知ってしまうと、なかなか人工の美は受けいられないでいる。どうしても、お寺の庭園やこのような梅園を冷めた目で見てしまう。
しかし、帰ってから写真を眺めているとこんなにも綺麗だったのかと改めて思ったりする。
知らない間に、自分の中の感動する気持ちがどんどん年とともに消えて行ってるのだろうか。
何かにつけて悲観的になっている93歳の親戚のお婆さんに、「もっと前向きに!」と励ましているのは無駄なことなのだろうか。人生の最後に向かうに従って、感動や感激は消えて行くのだろうか。
「あなたもこの歳にならないとわからない」と反発されてしまう私の言葉は空しい。
そういえば、あんなに春の花の咲くのを楽しみにしてどろんこになっていた母が、大好きなユリの球根を植えたままほってある。また、「ユリの花が咲いた!」と大喜びするのだろうか。
毎日、炬燵に潜り込んだままあまり動かない母を見ると心配になって来る。
暖かくなったら、近くの公園にでも連れ出して2人のお婆さんに少しでも感動を味合わせてあげたいと思う。
そして、自分の感性を枯れさせないためにも、また今年も山に向かいたいと思った。
しかし、どこまで出来るだろうか。