5日日曜日、愛宕山に水尾から登ってきた。本当は清滝からの予定だったが、新しく購入したナビの操作が不慣れで、水尾にいってしまった。
嵐山の渡月橋を渡らそうとしたときは、おかしいなと思ったが時既に遅し、観光客に注意しながら、ナビ様のおっしゃる通り進むしかなかった。人をかき分け走った嵯峨野もそこから抜けて水尾に至る山道も、私の運転では厳しいかった。行きも帰りもひたすら対向車が来ないように願いながら緊張しまくって水尾についた。
山に行き始めの頃、保津峡駅から水尾まで4キロ近く歩いて愛宕山に登ったことがある。急登でほとんど視界もなく暗い感じがして、この登山道はあまり好きではなかった。今回は、新緑のお陰か暗いイメージはなかった。
それからは、何度も愛宕山には登っているが、ほとんど清滝からだった。
しかし久しぶりの水尾の村は新鮮だった。柚子の木に囲まれた静かな懐かしい日本の村といった風情でとても美しいところだった。
こんなに小さな集落なのに小学校があった。ここで育つ子供たちは、今の時代幸せなのかもしれないとふと思った。
久しぶりの山歩きに気持ちはウキウキしていた。しかし、急登は最初から辛かった。しばらく登ると、水尾の自治会バスの運転手さんに出会い、お客さんの忘れ物だというストックを貸してくださった。これで、少し楽になった。
他に誰も出会わなかったが、清滝からの出合いに出たとたんに人がいっぱいで、子供の歓声などで静寂は破られてしまった。
愛宕神社に参拝して、三角点まで行き、そこで昼食にした。どんよりした梅雨空の下では、三角点からの展望もなかった。
ふだんでも場所が分かりにくいせいか三角点まで来る人は少ない。
もと来た道を下山しはじめたら、ふとケーブルの駅舎の廃墟が気になり立ち寄ってみた。緑の蔦に覆われていたが、前に行ったときと変わらずあった。この駅舎の廃墟は私には気になる存在だ。今回久しぶりに行ったところ、やたら赤いマーキングの布が付けてあり、ケーブルの軌道も駅舎前の広場も奇麗に整備されていることに気がついた。前に行ったときには、清滝の駅跡に立ち入り禁止と書いてあったが、最近は公認のハイキングコースになっているのかもしれない。だが、私が居る間に誰も来なかった。
もとの登山道に引き返していると、今まで何度か通ったが気がつかなかったが建物の跡を見つけた。そこは、昔の地図に遊園地跡となっていた場所だった。木造部分が自然に帰るのは早いのかもしれないが、コンクリート部分はしっかり残っている。これらが自然に戻ることはあるのだろうか。
今更ながら、こんな山の上に遊園地を作った人間の浅はかさを思った。
下り道は急降下で足には悪かった。
下山したらバスの運転手さんに「乗って行かない?」と声をかけられた。制服姿は凛々しく、登るときに出会った人と同一人物だと分かるまでちょっと間があった。バスの運転手さんにお礼を言ってストックを返した。
水尾に来るにはこの道しかなく、来たときの山道を戻った。水尾の人たちにとっては、なくてはならない生活道である。
途中で出会った対向車は、バックをしてくれて助かったが、清滝と嵯峨野への三叉路では観光の車やタクシーに手こずってしまったが清滝の方へ一方通行になっていて、嵯峨野の観光道は通らずにすみ、やっと見慣れた広い道路に出られてホッとした。
久しぶりの山歩きで、リフレッシュできたような気がする。
水尾にて
柚子畑があちこちに
小学校
柚子風呂の看板(今はシーズンオフ/なぜか松尾さんが多い)
登山道は新緑が
頂上の愛宕神社
三角点
ケーブル駅舎の廃墟
内部
途中で見つけた廃墟
嵐山の渡月橋を渡らそうとしたときは、おかしいなと思ったが時既に遅し、観光客に注意しながら、ナビ様のおっしゃる通り進むしかなかった。人をかき分け走った嵯峨野もそこから抜けて水尾に至る山道も、私の運転では厳しいかった。行きも帰りもひたすら対向車が来ないように願いながら緊張しまくって水尾についた。
山に行き始めの頃、保津峡駅から水尾まで4キロ近く歩いて愛宕山に登ったことがある。急登でほとんど視界もなく暗い感じがして、この登山道はあまり好きではなかった。今回は、新緑のお陰か暗いイメージはなかった。
それからは、何度も愛宕山には登っているが、ほとんど清滝からだった。
しかし久しぶりの水尾の村は新鮮だった。柚子の木に囲まれた静かな懐かしい日本の村といった風情でとても美しいところだった。
こんなに小さな集落なのに小学校があった。ここで育つ子供たちは、今の時代幸せなのかもしれないとふと思った。
久しぶりの山歩きに気持ちはウキウキしていた。しかし、急登は最初から辛かった。しばらく登ると、水尾の自治会バスの運転手さんに出会い、お客さんの忘れ物だというストックを貸してくださった。これで、少し楽になった。
他に誰も出会わなかったが、清滝からの出合いに出たとたんに人がいっぱいで、子供の歓声などで静寂は破られてしまった。
愛宕神社に参拝して、三角点まで行き、そこで昼食にした。どんよりした梅雨空の下では、三角点からの展望もなかった。
ふだんでも場所が分かりにくいせいか三角点まで来る人は少ない。
もと来た道を下山しはじめたら、ふとケーブルの駅舎の廃墟が気になり立ち寄ってみた。緑の蔦に覆われていたが、前に行ったときと変わらずあった。この駅舎の廃墟は私には気になる存在だ。今回久しぶりに行ったところ、やたら赤いマーキングの布が付けてあり、ケーブルの軌道も駅舎前の広場も奇麗に整備されていることに気がついた。前に行ったときには、清滝の駅跡に立ち入り禁止と書いてあったが、最近は公認のハイキングコースになっているのかもしれない。だが、私が居る間に誰も来なかった。
もとの登山道に引き返していると、今まで何度か通ったが気がつかなかったが建物の跡を見つけた。そこは、昔の地図に遊園地跡となっていた場所だった。木造部分が自然に帰るのは早いのかもしれないが、コンクリート部分はしっかり残っている。これらが自然に戻ることはあるのだろうか。
今更ながら、こんな山の上に遊園地を作った人間の浅はかさを思った。
下り道は急降下で足には悪かった。
下山したらバスの運転手さんに「乗って行かない?」と声をかけられた。制服姿は凛々しく、登るときに出会った人と同一人物だと分かるまでちょっと間があった。バスの運転手さんにお礼を言ってストックを返した。
水尾に来るにはこの道しかなく、来たときの山道を戻った。水尾の人たちにとっては、なくてはならない生活道である。
途中で出会った対向車は、バックをしてくれて助かったが、清滝と嵯峨野への三叉路では観光の車やタクシーに手こずってしまったが清滝の方へ一方通行になっていて、嵯峨野の観光道は通らずにすみ、やっと見慣れた広い道路に出られてホッとした。
久しぶりの山歩きで、リフレッシュできたような気がする。
水尾にて
柚子畑があちこちに
小学校
柚子風呂の看板(今はシーズンオフ/なぜか松尾さんが多い)
登山道は新緑が
頂上の愛宕神社
三角点
ケーブル駅舎の廃墟
内部
途中で見つけた廃墟