「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

16歳 不屈の少女 ~マララ・ユスフザイさん~

2014-01-08 20:15:00 | 人間
2014年1月8日(水)放送、クローズアップ現代
16歳 不屈の少女 ~マララ・ユスフザイさん~を見ました。
しっかりとした考えは、16歳の少女とはとても思えません。
私が育った環境は、完全な男尊女卑でしたが、教育は受けられました。
内容は平等とは言えないまでも、勉強する権利は守られていました。
それでも貧しい時代で教育は全ての人に行き渡っていたとは思えませんが、義務教育は確立していました。

しかし私が子どもの頃は、家の中でも男女の役割や待遇はっきりしていました。
祖父、父、祖母、母の順番で全ての位置が決まっていました。
弟はあらゆるものが私よりは優位でした。
女の子である私は、自分の意見すら言えませんでした。
言うと「女だてらに口答えするな」と父に叱られました。
それに準じていた母を可哀想と思いながらも反発を感じていました。
学校の先生すら「女らしさ」「学生らしさ」と「らしさ」と黒板に大書されてお説教されていました。
子どもの時から、反発ばかりしていました。
男に生まれたかったと思ったこともありました。
今から思えば戦後生れの私は、民主主義と男女平等の教育を受けたのだから衝突するのは当たり前ですね。
それでも、実家に帰って古い因習の中に身を置くと理不尽に思うこともしばしばありますが、時代の流れや世代の交代とともに淘汰されることでしょう。

大事なことは、おかしいと思うことはちゃんと考える力を持つということではないでしょうか。
それには、やはり男女共に教育は大事だと思います。
ましてや、女性である為に教育が受けられないなど論外です。

マララ・ユスフザイさんの強い信念には感銘を受けました。


40年前の青春再来

2010-11-01 23:00:00 | 人間
先週の土曜日は、同窓会だった。卒業してかれこれ40年が過ぎてしまった。最初は誰か分からず、自分は棚に上げ、「え~、○○ちゃん? 変わったなぁ~」という言葉の連続だった。時々会っていた友人は全く違和感がなかったが、卒業以来会っていない人は思い出すのすら時間がかかってしまう。しかし、不思議なのは誰かということを認識したら、後は昔の呼び名がすんなり出てくる。
また懐かしい写真のスライドを見たら、連鎖でいろんなことを思い出してくる。
就職を紹介してくださった恩師にも会えた。京都を脱出して東京に行く前に報告に行ったのが、お会いした最後だった。しばらく年賀状だけは出していたがいつのまにか不義理をしていて、そのことがずっと気になっていた。先生にちゃんと感謝の気持ちとお礼を言えたのが嬉しかった。
いろんな人と関わりお世話になりながら今まで生きてきて、自己形成してきたのだとつくづく思った。いろんな出会いがあり、また別れるということの繰り返しの年月が今に続いているのだと改めて思った。そして、青春時代わずかの接点をを持った後は、みんな一人一人の人生が40年あったし、これからも続いて行く。

そして昨夜は、東京から同窓会に参加した仲の良かった友人が我が家に泊まった。長い間会っていなかった時間を埋めるように、遅くまで話し込んでしまった。一時は、お互いの考え方の違いに失望したりもしたが、長い間会わなかった間に成長出来ていたのか、昔と変わらなく接することが出来た。というよりは、年齢を重ねて他者を認める心が、少し広くなってきたようだ。

今まで関わったすべての人に感謝したくなった。そして、これから出会う人も……。ありがとう。



あかちゃん

2006-03-17 23:32:57 | 人間
昨年の6月に尾瀬に行ったメンバーのひとりに3人目の男の子の孫が出来、今日はお祝いに尾瀬のときのメンバー全員で行ってきた。生まれて間もない赤ちゃんを見ることは、そういえば長い間無かった。赤ちゃんとしてはけっこう大きく生まれたというのに、その小ささには驚いてしまった。真っ赤な顔で、ふんばっている。
家の子供も、そういえば生まれたての赤ちゃんだったときにはこんな顔をしていたなぁ~、と思いだした。まだ人間としての個性は感じられない。みな一応にスタートは同じようなものなのでは、ともふと思った。赤ちゃんのお母さんは、家の子供と同じ歳で子供頃のことをよく知ってる。甲斐甲斐しく3人の子供の世話をしているのを見ていると、なんだか不思議な気持ちになってしまった。
尾瀬で山の魅力に味を占めたこのメンバーで、今年の夏は涸沢から穂高に行く予定を立てている。今まで山には縁遠かった人たちだが、年齢に逆行して過激に走り出している。観光旅行の延長で、みんながそろって山に行くようになるとは、私も夢にも思っていなかった。
今月末は、その予行演習でみんなで藤原岳に福寿草と節分草を見に行くことになってる。さて、どこまで歩けるのかは分からないのだが、行けるところまででいいという気楽さがこのメンバーの意識である。
仲のいい昔からの友達と山に登れるのは、私にとっても嬉しいことだ。
福寿草や節分草にも、尾瀬のときのようにみんなは感動してくれること請け合いだ。
人が喜ぶのを見るのも、私は好きだ。

お花の名前から思うこと

2005-07-29 10:45:34 | 人間
いつもいつも、お花の写真を送ってくださるSさん。先日のPCの不調で消えてしまい申し訳ないと思っていたが、今度は伊吹山の花を沢山送ってくださったので、今日やっと更新できた。
いつも感心しているのは、名前をちゃんと付けてくださっていることだ。わたしは知らない花が多く、写真を撮って帰ってから調べても名前が判らないのが多い。これかなと図鑑を眺めながら思っても、すぐに葉っぱの形や顎、花びらの数など違っていたりして打ち消す要因ばかりが見つかってしまう。かなり時間も掛かる。おまけに、記憶力が悪い。やっと調べて知った名前は忘れたくないのにすぐに忘れて、「あれ! あれー! ほら! ほら! あれやぁ~!」を連発している。我ながら情けない!!
もう少し、時間を掛け図鑑を広げ特徴を観察して写真を撮るという行為まですれば、少しはましかも知れないのだが、「あれ! あれー! ほら! ほら! あれやぁ~!」を連発しながら、いつも写真をパチパチ撮って帰るだけ。
何をするにも、軽く上滑りに楽しむ人と、一つのことを掘り下げてする人がいると思う。それによって完成度が違ってくる。私の場合はどうも前者のようだ。人生それにすべてを掛けて素晴らしい業績を残し、人間国宝(重要無形文化財保持者)なんて人は尊敬してしまうし、うらやましい。
しかし、超凡人の私には、絶対出来ないことだけはわかる。
でも、超凡人の私でも好奇心だけは旺盛なようだ。「これなに? あれなに?」と子供のように聞いてしまう。それは、お花だけではなくいろんなことに広がっていく。
そして、また忘れてしまう。

元気の元

2005-05-21 09:08:50 | 人間
昨日、今度の愛地球博に一緒に行くSさんが、私が買っておいた前売りのバスの代金を散歩がてらご主人と持ってきてくれた。
そして、午後のお茶の時間を楽しくお喋りで過ごした。
お二人とも視覚障害者である。私は最近ではうっかりすると彼女が視覚障害者であるということを忘れてしまっていることがある。
彼女は聞き上手。人は話したがりで人の話をあまり聞かない人が多い。たぶん私もその部類。聞き上手な人と話していると、話題がどんどん膨れあがってくる。彼女は私と似ているところもあって、好奇心が旺盛。ゴシップ的な人のうわさ話には興味を示さないが、自分の知らないことには「それって何?」と聞いてくる。私の山行き話しにも、何気なく言った「クライミング、アイス」などという言葉も聞き漏らさず、質問攻めをしてくる。そう、まるで少女のよう。
私が、ある日「何でも興味があるのね」というと、「見えてる人は見えた時点で何であるか、どういう状態か理解できてるやん、私らは聞かんと、情報がはいらへんのや」という返事。私のいつもの無遠慮な質問にも、明確な答えがいつも返る。
昨日の私の山の話しで「それってどんなん? どうするのん? 見せて。」と言うので、山の道具を並べて、「こういうときにこう使うねん」とひとしきり説明して触って貰う。彼女にとっては、靴一つとってもプラブーツ、沢靴、フラットソール、軽登山靴、短靴…と次から次へと触りまくり履いてみて感動している。フラットソールも、爪先で立って、クライミングの立ち込みのポーズをして、「こうしたら爪先に力が入るわ。今まで手でガリガリ登っている力持ちかと思っていた。そうだったんか…」「私ら、靴は運動靴一つでこと足りるのに…」と感心している。
山の会の人にも、こんな質問攻めにはあったことはなかったので、私自身がビックリ仰天してしまった。
見えると言うことは、本来の好奇心を無くしていると言うことがあるんだなと、彼女を見てつくづく思った。情報過多も然りだと…。

彼女にとって、時間のたつのも忘れて続く私のお喋りは、好奇心を満たす結果となったようだ。私はわたしで、彼女のおおらかな明るさで元気をもらった。彼女とは、周波が合うようだ。だから彼女が視覚障害者であることを忘れてしまい、すぐにほって置いて歩いてしまい、はっと気がつくと言うことになるんだなぁ~。 

彼女を、愚痴ばかり言っている実家の近くのおばあさんに会わせてあげたい。 
どういう、結果になることやら?