「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

リモートの時代広がる

2021-02-10 10:05:00 | 朗読音訳
コロナ禍の中、リモートでの仕事が推奨されている。
私の家族でもリモートで孫の誕生会や顔を見たくなったら利用する。

そして、私の関わっている図書館でもリモートでの対面読書となって、試験的にこんな時期だから急速に始まっている。
もともとは目の見えない人対象で図書館で対面して本を読むボランティアをかなり長い間ボチボチやってきた。
昨日は初めてそのリモートでの対面読書の日でした。

この日は歯の治療後で、前日から治療した歯が舌に触れて傷つき、痛くて仕方がなかったが鎮痛剤を飲んで行ってきた。
画面に映ったのは、10何年か前によく当たっていた方で、久しぶりのお顔に懐かしさと親近感を覚えた。こんな不調な時に当り申し訳ないと思いながらお詫びをしたのだが、相手の方も覚えてくださっていていろんな趣味の話にも花が咲き、痛みもすっかり忘れて2時間があっという間に過ぎてしまいまった。

その後、帰ってから舌に激痛が走り苦しみましたが有意義な1日だった。今日は午後から治療の予約を急遽してもらうことになり喋らずにいられるパソコンに今日は向かっている。

それで話はリモートに戻して、感想としてはとても便利です。かなり遠くの方でも対応できるため、お互いに図書館まで行く過程の時間の無駄は省かれます。特に目の不自由な人にとっては自宅でサービスを受けられるので便利だと思います。
ただ、目的が人との繋がりに重点を置いた場合は、顔の表情や仕草などでは直にお会いしている時から見たら希薄な感じがします。
しかし、それも慣れなのかもしれません。何回も回を重ねると解決するのかもしれません。
ただ、機械の扱いに通じていない方にとっては面倒で嫌なことかもしれませんが。
これからコロカナが落ち着いても、ますます世の中がこういう形で進んできて、気がついた時には人との繋がりもパソコンやスマホの中という時代に知らないうちになってしまうのではないでしょうか? 
電車の中や歩いていながらもスマホを見ながらの人が目につくこの頃、すでにそうなってきているのかもしれません。

気になるのは、この時代に置き去りにされていく人たちのこと。障がいを持っている方は特に情報難民になりがちです。
人間同士の繋がりが直接なくなるとと思うと少し恐ろしい気持ちもします。


トキメク気持ち

2019-01-19 16:13:00 | 朗読音訳
昨年の暮れから、久しぶりに図書の音訳をしている。
前回から約一年ぶりになる。

朗読というのから始めて、約四半世紀になる。
音訳や対面読書を始めて十年。
「もうそんなに経つのに、大したことがないなぁ〜」とも思う。

関西人である私は、始めた頃からアクセントにずっと苦労をしている。
校正が出ると、毎回自信がなくなるほど訂正が上がってくる。
自分の知識不足も甚だしく、毎回自己嫌悪に陥る。
それでも辞めることなく続いて来た。

下調べにもアクセント辞典や音訳マニュアル本、電子辞書、パソコンなど必需品である。
こんなにやっていてもまだまだと未熟さばかりを感じる。
しかしその反面、新しい知識を本で学べることは自分のためになっている。
頭の老化との戦いと思える節もあるが、やっている限りは微々たる物だが成長も感じられる。

今日NHKで『チコちゃんに叱られる』という番組が掛かっていて、「子供の頃より大人になると時間が立つのが早く感じるはなぜか? 」 というチコちゃんの質問があって、最近私は加速度がついて一年が、いや1日が早く感じ、同じように平々凡々と繰り返していると感じていたので思わず聞き入ってしまった。
回答は「年齢(19歳頃から)と共にトキメキが無くなっていくから」だった。
そう言われれば孫の吸収力は凄いもので、私は新しいものには何事もそれほど興味を示さず、また頭にも入ってこない。
この歳になればこんなものかも知れないと居直る気持ちもあるが、少しは抗う気持ちも残ってる。

そんな中でも今までにやって来たことは多少の経験で蓄積されて来たものがある。
せめてこの蓄積を土台にして、もう少し幅を広めてチャレンジしてトキメクことを見つけてみたいと思う。

新しいことを一から始めるのは相当な労力がいるのだから。
好きなことには、努力することももっとトキメクこともできるはず。
今年は、たくさんトキメキたい。



昨日の交流会

2010-09-25 22:59:00 | 朗読音訳
昨日は私の所属している朗読の会(朗読グループさつき)の毎年恒例の交流会だった。私は入会してからかれこれ15-6年が経つ。この会は昭和57年にスタートしている。30年ほど続いていることになる。
基本は朗読を勉強して朗読をすることで、活動としては、テープ雑誌を作ったり、朗読の発表会をしたり、録音図書を作ったりと朗読に関することが中心だ。
朗読は目の見えない人だけではなくて、最近は小学校や中学校でも朗読をしている。

また朗読だけではなくて、この交流会のように一緒に楽しむイベントも主催したり参加したりしている。
交流会では朗読をしたり、楽器の演奏をしたりと昼食を挟んで数時間を過ごす。
なぜか心和むひとときでもある。





朗読ブログ開設

2008-02-16 00:23:12 | 朗読音訳
朗読を公開しているブログを以前から見かけていて、どうしたら出来るのだろうと興味を持っていた。
生来の好奇心でいろいろ調べていたら「ポッドキャスト」という聞き慣れない言葉に行き当たった。
「ふ~ん、これって何なに? パソコンに録音した音声をブログで公開出来る。へ~、面白そう!」というわけで試行錯誤の結果、ブログで私の朗読が公開出来た。
野山に咲く花のように/朗読で遊ぶ」と今回は少し気取ったタイトルを付けてみた。あ~ぁ、またひとつ恥を晒すこととなってしまった。
一応、しばらくは大阪弁で大阪の文化がよく表れていると思って面白く読んだ「ごめんやす「大阪弁」」という本を抜粋して録音したいと思ってる。何年か前にも、テープ雑誌でも取り上げて録音したことがある。
この本を読んでいると、言葉は文化だということが実感出来る。吉本興行ではないけれど、大阪弁を発するだけで喜劇的だと感じてしまう。
パソコンを触り出して十数年がたち、最初の頃からは様変わりしてしまったが、そのお陰で私は豊かな人生を送れるようになった。パソコンの進化に伴って,私も少しは進化出来て来たと思う。脳の機能はこれからは衰えていく年齢になって来る。少しは,老化を防ぐのに役立つかも知れない。



やっとひとつ終わる

2007-12-20 00:27:44 | 朗読音訳
やっと、テープ雑誌が終わった。新年号なので読者に届くのは2008年1月15日。そうか、もう10日ほどで今年は終わりか…。本当に一年が早い。
このテープ雑誌に取り掛かってからは、気持ち的にはクライミングや山からは遠ざかっていた。何をやっても、完成すると嬉しい。RPしたときと同じような達成感を味わう。
次は、本を読んで録音している。山本周五郎の『シャーロック・ホームズ異聞』 という中に収録されている「シャーロック・ホームズ」という探偵小説だ。山本周五郎が探偵小説を若い頃にたくさん書いていたことは私も知らなかったし、ほとんどの人が知らないだろう。
私が朗読して録音しているのはシャーロックホームズが日本に来て活躍し、それが国際的な事件に展開して行き、解決して行くというストーリーである。今は時代小説で知られている山本周五郎が、少年雑誌に探偵ものを戦前に沢山書いていたようで驚きだ。
内容はいろいろ疑問と矛盾がある。何で、シャーロック・ホームスは日本語でしゃべるのかが大いなる疑問だ。まだ三分の一位のところまで進んだところだが、なぜか私はとても面白い。いったいどういう展開になるのだろうと気にもなる。また登場人物の台詞中心なので、朗読も声優のように声を換えたりして楽しんだりもしている。暇さえあれば、マイクに向かっているという毎日。
主婦にとっては忙しい年末を、こんなことをしていて良いのかしら、とふと思ったりもするが…。止まらないのである。