「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

手紙~親愛なる子どもたちへ

2009-04-12 08:04:00 | クライミング
「手紙~親愛なる子どもたちへ」樋口了一、角智織、 本田優一郎

今朝のNHKニュースで取り上げられた。「手紙 ~拝啓 十五の君へ~(アンジェラ・アキ)」といのを以前に特集番組で見ていたのでこの手紙かと思っていたら,今度は老いた親から子どもへの手紙だった。
この歌を聴いていて、じ~んとしてしまった。
今までの私は回りの年寄り(実家の近所に数名いる)に叱咤激励していた。昨日の私は、その一人と真っ正面からぶつかってしまった。年寄りでもその行為に怒り,許せないと思った。
自分の母には少しは寛大な気持ちで優しく見守れるのに、理不尽な年寄りにはつい厳しいお小言をいってしまう。
今朝聞いたこの手紙の歌詞は、私が子育てをしていた頃の気持ちを思い出させてくれた。
何だかもやもやしていた気持ちに、「そういうことなんだ!」と知らしめてくれたような気がする。
丸ごと受け入れることは出来ないだろうが、この歌詞を年寄りに接しているときにちょっとでも思い出せればいいと思う。
人間って,どんな場合にでも優しくいることはとても難しいことだ。

そして、私がもっと歳をとったときにどんな歳の取り方をするのだろうか。
けっして、頑な心だけは持ちたくないと思った。
肉体が衰えても、いつまでも心は柔軟でいたいものだ。

CDを買ってしまった。
以下アドレスは歌詞
http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/disco/cg17_lyric.html


桜も散り始めて

2009-04-11 23:22:00 | 雑感
むせるような桜を横目に車を走らせていても、今年の桜は何だか魅力に欠けるように思うのは私にゆとりが無いからかも知れない。急に暖かくなって、桜も散り始めて来た。本当に月日の経つのが早いと思う。
母は昨年も桜の時期に入院していたことを思い出す。今年もまた病院で過ごしている。ついでの白内障の手術で今月いっぱいの入院となった。昨年は病室で本を読んでいたが、今年は読めないから持って帰ってといったきりで何もしないで寝ていることが多くなった。白内障の手術をしたら、また本が読めるのだろうか。どんどん、出来ないことが多くなって来ているのは、とても悲しい。
あともう少しの辛抱で新しい生活が始まる。そのための準備に追われている毎日だ。引越のために家の整理をしていて、人が生きて行くのにこんなにも物に囲まれているのかと思うと呆れてしまう。捨てたりオークションでかなり処分したが、まだまだいっぱいいらない物が残っている。
この慌ただしい時期が終われば、また新しい生活が始まるのだろう。しかし、今までやって来たことが、そのまま続けられるとは思わない。たぶんこれからの十数年は、「人生の整理期」になるだろう。
2001年から始めたこの私のHPやブログは,山やクライミングが中心だが,必然的に形が違って来るのも当然のこと。もうすでに、昨年あたりから違って来ている。山の道具も、もうすでに使わないだろうと思われるものもあるがこれは処分するには忍びない。
先のことは今は模索中で自分でもよくわからない。整理していて迷う物は、また仕舞っておこう。あわてて結論を出す必要も無いだろう。
桜が散り始めると何だか寂しいのは、気のせいだろうか。

慌ただしい日々に思う

2009-04-08 05:20:00 | 生活
ブログやHPの更新に気持が向かない。余裕の無い日々が続いている。はやく落ちついた生活を送りたいものだ。実家の一人暮らしの母の、これからが心配になりだして一年が過ぎてしまった。
昨年もちょうど桜の季節だった。あれから漠然と考え出した母のことが、もうすぐ同居ということで解決する。落ちつかない一年だった。自分のことは、後回しとなってしまった。
しかし、母と暮らせることは幸せなことだと思う。子育ての時も,双子で忙しく自分の時間も取れなかったが、不思議と自分を犠牲にしているとは思わなかった。今度,母と暮らす生活はもっと大変かも知れないがけっこう楽しみも出て来た。
私が若かった頃は,自分のやりたいことが出来ない状況に不満ばかり持っていたような気がする。押し入れの奥からその頃描いた絵が数点出て来た。その時の素直な気持ちが出ているのだが、今の私には目をそらしたくなるような絵だった。そのころは、拘束されていた家を出て自由になることばかり考えていて、自分の人生しか考えられなかった気がする。それは、自分の未来に夢や可能性が持てていたから?
そのころからの40年以上を経て、大きく自分自身が変わってしまっていることに気がついた。それは何でもありのまま素直に受け入れること。決してそれは諦めではないと思う。この40年で自分のスケールが大きくなったと思いたい。また、未熟な自分が成長したとも。
それは、若い頃に自分のことに夢中になれ突っ走ったことと無関係ではないはず。おもいっきりチャレンジして挫折する。これは、若い頃の特権だと思う。何度も挫折は味わっている。しかし、自分なりにチャレンジすることはいつも持っていたようだ。生きることは、チャレンジして挫折することを繰り返すことかも知れない。
あと2ヶ月後の新生活がどんなものかだいたい想像はつくが、今の私は素直に受け入れようとしている。しかし、その中でも何かチャレンジして行ける物をささやかにのんびりと見つけて行こう。
もう、自分に期待をしなくてもいいのだから。
そしてこんな気持ちになれるのも、若い頃の反骨精神(反抗心?)があったからかも知れない。