「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

ピアノ

2014-01-04 22:44:00 | 音楽
『辻井伸行×東南アジア紀行』~心を繋ぐメロディー~
【今回の放送日時】 2014年1月 4日(土)19:00~20:55

テレビがつまらないと言いながら、見ていました。
私は、ピアノの音色ががとても好き。
やっぱり、いいですね。
ピアノを弾いている辻井さんは、音楽が乗り移っているようです。
そして、何よりも楽しそう。
ピアノピース「それでも、生きてゆく by 辻井伸行」衝動買いしてしまいました。
簡単そうに聴こえたのですが、どうでしょうか?

衝動買いで弾かなかった(弾けなかった)楽譜が家には山とあります。
情けないですね。この前衝動買いした楽譜は、「小原孝の楽しいピアノ基礎レッスン」です。その時は、もう一度基礎からやり直そうとその時は思ったのです。山の中に埋もれていたのを今日引っ張り出したところです。この本も、「楽しいピアノ」とタイトルの入っていますが、練習は本当に苦しいです。なのに、あんな奇麗な音は出せません。

あんなに楽しそうにピアノが弾けたらいいのになぁ~、と思います。
私の「夢」です。

音のない世界での作曲

2012-11-21 22:56:00 | 音楽
佐村河内守(さむらごうちまもる)を知っていますか。何日か前、何気なく見ていたテレビに釘付けになりました。あとで調べたところ11月9日(金)のNHKの番組「情報LIVE ただイマ」という番組でした。私は、この時に始めて知りました。
私は衝撃を受けて、その日のうちに、交響曲第1番「HIROSHIMA」のCDと「交響曲第1番」の本とをAmazonで購入しました。ところがテレビの影響かと思うのですが、出荷が遅れていていつ来るのかはっきりしません。
テレビ放映の次の日には「弦楽作品集ジャコンヌ」を購入しましたが、これはすぐに配達されました。
今この「無伴奏ヴァイオリンのためのジャコンヌ」を聞きながららこれを書いています。
繊細で美しい曲です。無伴奏と思えない程いろんな音が聴こえて来るような気もします。この曲が全く耳が聞こえない人が作曲したとはとても信じられません。そして、作曲した本人が演奏が聴けない
と思うと、悲しいです。

聴こえなくても絶対音感があると、頭で奏でている音が音符に表せることが出来るというのは前から理屈では知っていました。そして、ごく小さい時に訓練で絶対音感も付くということも。
それでも、音を聞かないでこれほどの曲が楽譜で表現できるのは才能としか言いようがないと思います。
目が見えないピアニストの辻井伸行さんもそうですが、人間は何かを失うと研ぎすまされる感性が芽生えるのでしょうか。そしてその感性が才能と結びついたらこんなに素晴らしい表現が出て来るのでしょうか。凡人の私は、羨ましくてしかたがありません。

私は、子ども頃から音楽が好きでしたが学校教育の移動ドの弊害で絶対音階は付きませんでした。今は固定ドでの教育がされているのかどうかは知りませんが、この移動ドで歌わせるというのは絶対音感は絶対に付きません。最初に音(音楽的に)に触れる時には必ず固定ドで教育してほしいと節に思います。

交響曲第1番「HIROSHIMA」CD、早く聞きたいと思います。(Facebookからの転載)

久しぶりのピアノコンサート

2007-02-27 11:13:28 | 音楽
土曜日は、Sさんご夫妻のご招待で、久しぶりにピアノコンサートに行って来た。ほんとうに、生の演奏を長い間聞いていなかったなぁ~と、つくづく思った。子どもや私がピアノを習っていた頃は、先生の関係でコンサートのチケットを購入する機会も多かったのだが…。
コンサートの曲はモーツアルトの「ソナタK.331」という、第3楽章が「トルコ行進曲」という有名な曲とベートーベン「悲愴」「月光」の三曲がメインだった。モーツアルトのソナタは、かなりたくさんの曲をレッスンで弾いた。もちろん、この曲も半年程かかって仕上げたのを覚えている。私は、モーツアルトは大好きだが、ベートーベンやハイドンはあまり好きではなかった。
バイエルが終わるとソナチネ、ソナタと教則本は進んで行き、いろんな作曲家の作品を集めた曲集でレッスンを受けるのだが、私の場合はソナタ集の中にでて来るハイドン・ベートーベンは1-2曲やったようには覚えているが、好きになれずやる気が出なかった。春秋社版のモーツアルトの楽譜でモーツアルトの曲ばかりレッスンしてもらっていた。大人になってからの習い事なので、我が儘放題だった。
モーツアルトのソナタを弾いていた頃からは、20年ほどが過ぎてしまったが、最近ピアノはほとんどといっていいくらい弾いていない。たまにピアノの蓋を開けても長いブランクの間にすっかり弾ける曲も無くなってしまった。ピアノが非常に難しく感じ、スランプに陥ったそのころに山が楽しくなったり、新しく朗読をやりだしてそちらに気持ちが移行して、徐々にピアノの前から逃げ出していったというわけだ。へたくそな自分のピアノに嫌気がさし、おさらばしてしまった。
しかし、昨年暮れに友人でもある視覚障害者のSさんからピアノをやりたいということで相談された。点字のピアノ教則本をネットで探したり、楽器の購入など手伝っているうちに、焼けボックリに火がつくきっかけとなった。そして、独学でピアノをやり出したSさんのお手伝いをするようになってから、また蓋を開けるようになって来た。だからといって、簡単に弾ける曲はなくただたまには蓋を開けるというだけなのだが…。
土曜日のコンサートでのモーツアルトのソナタを生で聞きながら、リズムに乗って自分で弾いていた時のことをいろいろ走馬灯のように思い出し、興奮してしまった。まず思ったのは、「こんなに速く弾いてええんか???」という疑問だった。
昨日は楽譜を開いてポロリ、ポロリ…、ずっと昔にレッドポイントしたルートを、何年かのブランクののちにまた登るのと同じことで、弾ける訳は無い。一度登ったルートのホールドやムーブがかすかに思い出して、テンションだらけで登るのと良く似ている。
最近ほとんど、聞かなかったCDを探し出し、聞いてもみた。あきらかにコンサートで聞いたのとは違いゆっくり弾いている。時間が経過したことによって、また新たなことに気がついたりもする。この曲をもう一度弾いてみたいと思った。もう一度、レッドポイントだ!。


今日は雨だから

2006-06-25 23:22:28 | 音楽
朝から雨。ホシダの予約はキャンセルして、一日中パソコンに向かっていた。何をしているかと言えば、カセットテープのCD化をしていた。
子供が小さかった頃に録音した声や歌、ピアノの発表会で録音したものもCDにしてみた。そしてレコードから録音した童謡やピアノ曲など、今ではほとんど聴かないようなものだが、それぞれの音楽には思い出がいっぱい詰まってる。CDには、綺麗な印刷もした。立派な保存版CDが出来上がった(写真は一例)。
長い間生活してくると、いろんな物がたまってしまう。整理してすっきり暮らしたいと思うのだが、なかなか出来ない。特に、本やレコード、写真などは思い出がそれぞれにあって捨てられない。今やネットで何でも調べられ、すぐに手に入る時代なのに…。考え込んでしまう。
特に、処分出来ないものは今までの思い出に繋がるもの。
何とかしなくてはとも思う。しかし、捨てるしか片付かないのだが、それが難しい。
捨てられないなら、せめて整理整頓してすっきりしたいものだ。



久しぶりのコンサート

2006-05-08 13:52:31 | 音楽
昨日は雨の中、ピアノの恩師Pak先生のご招待でコンサートに行ってきた。
ピアノのレッスンをやめてしまってから十数年。生演奏からは遠ざかってしまっていたが、久しぶりのコンサートは心洗われる気持ちだった。最近は、何かにつけてかなり鈍感になってしまっていると思っていた。自分で演奏する能力はどんどん退化して行くし限界もあるが、美しいものを感動を持って感じられる感性が残っていたのは嬉しいことだった。
そして、ピアノのレッスンを受けていた頃の夢中になってピアノに向かっていたことやPaK先生のことがいろいろ思い出されて懐かしかった。子供と一緒にピアノを習っていた。先生は、3人程変わったが結構長い間続けていた。その中でも、Pak先生は楽典を本格的に教えて下さったり、私の苦手なバッハのインベンション2声を暗譜で弾けるまでみっちりレッスンして下さったりと、音楽的にも出来の悪い生徒の私に根気よくお付き合い下さった。
それに,何よりも私の知らなかった在日朝鮮,韓国人の歴史や文化など知らない世界も先生を通じて学び、自分の無知を恥じた。
今回、先生が新作発表された曲「チョロプ~3.23~」はその当時(1987年)先生やご家族の苦悩をそばで見ていた私にも、大きな感動を呼び起こされた。人はなぜ,いろんな人(民族、考え方、個性、性別、思想、宗教、などなど)を認め合うことが出来ないのだろう。いつも私の中にくすぶり続けている疑問。認め合うことが出来なくても,理解しようと努力することで少しは世の中も変わって行くと思うのだが…。
Pak先生は,音楽だけではなくいろんなことに目を向けさせて下さったという意味合いにおいても、いろんな意味で今でも恩師であると思ってる。
私にとっても、この曲はまた思い出のアルバムに追加されることになった。