「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

畑の春を感じて

2017-03-30 10:47:00 | 雑感
今朝はやっと春を実感する陽気となった。
カメラを持って庭や畑を巡ってきた。
庭のしだれ桜も昨年より一週間ほど遅れて、我が家の開花宣言をした。
桜が咲き始めると、合図をしたかのようにいろんな草木や花などが活き活きとしてくる。

桜に踊るのは人間だけではないようだ。
生き物すべてが目覚めの時を迎えるのが春だと感じる。
私も踊る人間の一人だと改めて実感した。
昨日の孫守りで疲れが出たのか、朝起きた時は体がギクシャクしていたが今はすっかり回復している。
ゲンキンなものだ。

草と野菜の共存している畑を巡っていて、美しいなと感じた。
今畑に咲いて雑草はオドリコソウが中心で、カラスノエンドウが一面の緑をなしている。
そんな中で大根や水菜などの冬野菜の残り物に花が咲き出してきた。
庭にはボケや桜や沈丁花などが咲き始め木々には新芽が出始めている。
すべてが光り輝きささやかな小さな楽園を呈している、と思うのは自己満足の世界。

こんな時は、山がよけいに恋しくなる。
スケールの大きな自然の営みがそこにはある。
今年はどれほど山に登れるのだろうか。

畑の春・下からカラスノエンドウ、オドリコソウ、ネギとニラ


畑の春・下からカラスノエンドウとオドリコソウ、大根の花とスナップ豆、そら豆と玉ねぎ、えんどう豆とちゃんと野菜もあるよ!






大根の花


庭のしだれ桜



10年以上放置していた自転車、復活

2017-03-27 20:15:00 | 雑感
もう10年以上も乗っていないママチャリを「邪魔だから処分したら!」とこのところ夫に言われ続けていた。
「いつか乗るから…」と言い続けながら、どんなに近くても車という生活が長い間続いていた。
昨日、自転車に詳しい娘婿が来ていたのでこの自転車がまだ乗れるか聞いてみると「大丈夫ですよ、空気を入れて綺麗にしたら乗れますよ」と言ってタイヤに空気を入れてくれた。
それでも夫は、「どうせ乗りゃしないよ!」とのたまう。

悔しいので、今日は夫の留守に2時間ほど乗ってきた。
最初はハンドルがふらついてちょっと不安だったが、すぐに勘を取りもどした。
目指すは、家から4キロほどの木津川沿いに走っている自転車道だ。

木津川の堤防まで行くのも普段通らない農道を走ってみた。

このあたりは宅地化が進んでいて農地が少なくなっていると思っていたが、まだ畑や田んぼがかなり残っていた。
畑では大きなトラックターが耕していたり、ビニールハウスがたくさん並んでいたりとかなり本格的な農業のようだ。
農道は昔と違って舗装されていて車が通れるようになっているのだが、車はほとんど通らないので自転車で快適に走れた。

しかしながら、私が子供のころのこのあたりの風景とはかなり違ってしまっているのにはがっかりしたが、仕方がないことなのだろう。

農道からの風景


ネギ畑


そんなことを思いながら目的地の「八幡木津自転車道線」(道路延長/約45キロメートル 幅員/3メートル、京都嵐山から八幡市経由、木津まで)の自転車道にたどり着いた。
この道は京都は桂川沿い八幡市からは木津川沿いに走っていて、なかなか眺めもいい。(かなり昔にママチャリで全線走ったことがある)

この木津川の堤防は、子供の時分土筆を採りに行っていたことがあったのを思い出して期待していた。
二人土筆を摘んでいるらしい人を見かけ自転車を降りると、期待通り土筆の群生があった。
ひとしきり土筆を摘んで持ち帰り、夕飯の一品となった。
子供のころの記憶では土筆の味はほろ苦かったが、くせがなく美味しかった。

久しぶりの自転車の感覚は、とても気持ちがよく快適だった。
このママチャリ、もう少し活用してみようかなと思った試運転だった。

木津川沿いの自転車道からの風景













桜のころに思うこと

2017-03-22 04:24:00 | 雑感
ジャガイモを今月の初めに植え付けていて、そういえば土をいじり始めて最初に植えたのはジャガイモだったなと思い出した。

2009年6月、実家に戻りその横に新築した家で母との生活が始また。
そのあと実家を解体して跡地が空き地になり宅地として整地してもらった。
そして庭の植木が植え終わり、ちょっと落ち着いた頃(2010年)である。

同居した母は、空き地や家の周りに草が生えるのが気になるようで私に草引きをするように言うので地面に這いつくばってやっていた。
私はこの草を抜くのが、とてもいやだった。
楽しくない。
植木を庭にせっせと植えていた時とは気持ちは全く正反対だった。

そういえば母が一人でここで暮らしていてだいぶ弱ってきて用事を頼まれることが多くなってきた頃、実家にいついっても母は泥んこになって地面に這いつくばってよく草を抜いていたのを思い出した。母が年老いてからはさすがに哀れに思い見ていられなくて、実家に用事で行った時などはブツブツ文句を言いながら手伝ったりしていたが、そのころは決して自発的ではなかった。

それで、この広い空き地で草との格闘をしなくていい方法を模索していた。「それなら草が目立たないように野菜や花を植えればいいんだ」という結論に至った。
そこでカチカチの土を掘り起こし石を出し母の指導を受けながら初めて植えたのがジャガイモだった。私にとってジャガイモは野菜作りの原点だったのだ。
苦肉の策の野菜作りの始まりでもあった。

庭に梅やボケが咲き始めたころ母は入院して、母が植えて欲しいと言ったしだれ桜がやっと満開に花をつけたころ母は逝ってしまった。
その母がいなくなって丸2年たちもうすぐ三回忌を迎える。
今年はまだ蕾は固い。今週末の予定の法事に開花が間に合わないかなと毎日桜の蕾を確認している。そんな中昨日東京で開花宣言があった。今年はこちらは遅れそうだ。

母が亡くなる少し前のある日、「あんた、もう野菜作るのいやになったん」と言われた。「なんで?」と問うと「そやかて畑が草ぼうぼうやん」と母がいった。草だらけの畑をデイサービスに行く途中で見ていたらしい。
もう色んなことに関心が無いだろうと思っていたのに、いろんなことを見ていたのに驚いた。
私はその時「そんなことはないよ、草もあるけど野菜もあるのよ」と言って、自然栽培の本や写真を持ってひとしきり草を抜かなくていい農法で今まで母のやっていた方法でないことを詳しく説明した。
草の中の野菜の写真を見た母は、「えらいもんやなぁー、草がこんなに生えているのに野菜が育っている」と驚いていたが、続けていることに喜んでいた。

母が年老いて、ここにきて一緒に住んで欲しいと私にいうようになった時に、「私ここで何をして暮らすの?」と生活の基盤ができてしまってるところを離れるのをずっと渋っていた。母はいつも「私と同じように暮らしたらいいやん」と言っていた。そのころは母と同じ生活はまったく考えられず、ましてや否定的だった。

母が喜ぶから庭にも色んな木を植え、花を咲かせ、野菜を作っている。
そう思っていた。
冗談で「母の罠にはまってしまった」などといつも言って笑っていた。

それがいつの間にか母がここでやっていた同じことをやってる。
しかし、今は芯からこれで良かったのだと思える。
野菜の作り方は母とは違うが、私はわたしのこれからの生きる道筋をここで見つけられたといまでは思える。
自然の流れに必要とされているところに私はいるのだろう。
それでも、取捨選択してやりたいことをやっているのも確かだろう。
母のためにやっていたことだと思っていたのが、結局は自分のためだったのだ。

桜の季節にやはり母を思い出してしまう。

(母の桜は昨年は満開だった)



夏野菜の苗作りの覚書No.1🌱2017/2.8現在

2017-03-08 21:58:00 | わたしの畑2016年秋から
今日は種から育てている夏野菜の苗の整理をした。
1月の終わりから順番に温室代わりにしている衣装ケースの数は増え続けている。
衣装ケースに順番に番号をつけて、発芽しなかったのや発育の悪いのは衣装ケースから出して整理した。

掲載写真は2017年3月8日撮影。

衣装ケースは全部で14個になった。


①桃太郎トマト(タキイF1/初めて育てる)15本
 カモナス(固定種/タカヤマシード昨年の残り種、半分しか育たなかった)9本



⚫︎桃太郎トマト浸水2/1→2/15(14日で🌱)90%→3/8(写真)


⚫︎カモナス1/28→2/14(17日で🌱)50%→3/8(写真2/32回目浸水)→2/8(写真)


②世界一トマト(タカヤマシード/固定種/二年目の残り種)34本


⚫︎世界一トマト2/4→2/18(14日で🌱)90%→3/8(写真)


③ステラミニトマト(固定種/野口種/昨年の残種)32本


⚫︎ステラミニトマト1/28→2/11(14日で🌱)95%→3/8(写真)


④レッドオーレ中トマト(カネコF1/初めて育てる)18本
 マダボール小玉スイカ(みかどF1/初めて育てる)6本
 愛娘あすか小玉スイカ(ナントF1/初めて育てる)4本



⚫︎レッドオーレ中トマト2/1→2/14(14日で🌱)95%→3/8(写真)


⚫︎マダボール小玉スイカ 1/28→3/8(写真)発芽70%(発芽時期ばらつき生育50%悪く
原因は時期が早く温度不足かと思われる)



⚫︎愛娘あすか小玉スイカ 1/28→3/8(写真)発芽80% (発芽時期ばらつき生育悪く40%
原因は時期が早く温度不足かと思われる)



⑤ブランデイワイン大トマト(自家採種2回目)29本


⚫︎ブランデイワイントマト 2/4→3/8(写真)発芽100%(自家採種2年目で育てやすいが昨年は特大にはならず)


⑥菊かぼちゃ(自家採種1回目)29本
 そうめんかぼちゃ10本



⚫︎菊かぼちゃ発芽 2/22→2/26(4日で🌱)100%(自家採種1年目)


⚫︎そうめんかぼちゃ 2/22→2/26(4日で🌱)発芽70%(自家採種を昨年いただきました。)


⑦えびすかぼちゃ(サカタf1)16本/未発芽8本(可能性があるので残し)
 黒スイカタヒチ大(サカタf1)6本/未発芽2本(可能性があるので残し)



⚫︎えびすかぼちゃ 2/22→2/28(6日で🌱)65%(タキイf1)(発芽にばらつき)


⚫︎黒スイカタヒチ大(サカタf1) 2/15→2/22(7日で🌱)発芽70%(小玉スイカに比べるといいのはやはり時期なのか?)


⑧真黒茄子(野口種自家採種2回/固定種)36本
 茄子の自家採種で発芽は初めて。それも2本の種茄子の一本のみで畑で朽ち果てていたものからのみ発芽。紫御前は失敗。



⚫︎真黒茄子 1/28→2/4(7日で🌱)95%→3/8(写真)


⑨とうがらし(昨年の購入苗から自家採種)6本
 とうがん(昨年購入したとうがんから自家採種) 21本中1本のみ🌱確認  



⚫︎とうがらし(昨年の購入苗から自家採種) 2/8→2/28(20日で🌱)50→3/8(写真)



⚫︎とうがん(昨年購入したとうがんから自家採種) 2/28→3/8(写眞)一本のみ確認


(10)伏見甘長とうがらし(サカタ)26本 


⚫︎伏見甘長とうがらし 2/15(15日ほどで🌱)→3/8(写真)


(11)とんがりピーマン(ナントf1)18本 
 新種特大というので好奇心で購入(HP)

 白かぼちゃ 10本中1本のみ発芽しかけ 



⚫︎とんがりピーマン 2/15(15日ほどで🌱)100%→3/8(写真)


⚫︎白かぼちゃ 2/15→3/8(写真)明らかな発芽はこの写真のみ。経過を観察中


(12)白マクワ 32本 (昨年自家採種の種をもらった)


⚫︎白マクワ(自家採種) 2/3→2/14(4日で🌱)→3/8(写真)


(13)黄まくわ 本数不明 (三代目自家採種)


⚫︎黄まくわ2/3→2/14(4日で🌱)→3/8(写真)一晩ケースの蓋を忘れ枯れかけ。経過観察




(14)夏すずみキュウリ(タキイ) 18本


⚫︎白マクワ(自家採種) 3/3→3/8(写真)発芽しかけたところ


以上今までの経過で、まだ次にオクラ、ゴーヤ、とうもろこしなど控えている。
今まで、わりと固定種にこだわっていたのだが味覚、出来栄え、好奇心(どんな味の野菜かという興味)のためF1種も買ってしまう。

昨年は、保険に苗も購入したが必ずしも苗から育てたほうが育ちがいいとは思わない。植え付け時期(5月前後)には種からの我が家の苗はかならず見劣りしているが、成長が追いつき追い越すものもあった。
今年は苗は買わないことにしたい。

試行錯誤の苗作りをしてきたが、失敗をしながらいろいろわかってきたこともある。また手塩にかけた野菜を収穫できたときは喜びも一入でもある。
家族や友人が買った野菜より美味しいと言ってくれると、単純な私はまたやる気も出てくる。

野菜を作っていると、一年のサイクルがとても速く感じる。



節分草に思う

2017-03-08 01:31:00 | レジャー
今年はもっと山に行きたいと思っていた矢先、もう一度節分草を見たいと思って藤原岳に登ろうかなとぼんやり思っていてネットで調べていたら、伊吹山の山麓の村(米原市大久保地区)に節分草の群生地があることを知った。
市の観光課に問い合わせたところ、今年は3月5日に「セツブンソウふれあい祭り」があるという。
こんな平地で群生が見られるなら、行かないという手はない。
この日は混雑するだろうと思って、友人を誘って6日に行ってきた。

ここ大久保地区は、観光地とは別世界の静寂に包まれた集落だった。
節分草目当ての人は来ているのだが、村自体は日常そのもだった。
そんな中2箇所だけが節分草の居住地で、囲われて保護されていた。
そこは節分草が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていると言った印象を持つほど群生していて、そこだけが人の賑わいがあった。
昔はあちこちに普通の草のようにあったそうだが、今は保護されないと見られないというのは他の山野草と同じ宿命である。
味気ないとは思うもののこれが時勢かと思うと寂しさもある。

節分草を知ったのは 2002年3月9日藤原岳に登った時のことだった。
その時の目的は福寿草だった。
登山道の途中でたくさんの人がカメラを向けているところに出くわした。
一体何をしているんだろうと思って聞いてみると、節分草が咲いていると教えてくれた。
よく見ると消えてしまいそうな小さな小さな花が一輪そこにはあった。
こんな小さな花一輪に大勢の大人が大騒ぎすること自体にその時の私は驚いた。

そのあと2005年3月27日にもう一度藤原岳で節分草とは出会っている。
その時は、数カ所でもう少したくさんあった。
今でも写真は残っているが、昔のデジカメの性能が悪いのか、それとも花があまりに小さいせいかピンボケの状態だった。
ネット上に出ている節分草の写真は鮮明で美しく、私の記憶の中の節分草とは大きなズレができてしまっていた。

藤原岳は「花の百名山」で紹介されているメインの花は本来は福寿草であって、節分草はあまり知られていないような気がする。
福寿草に比べると節分草はあまりに地味で目立たない花である。
なのにどうしてこんなにも節分草をもう一度見たいと思うのか。
自分の中の印象もピンボケの写真のようにぼやけていたせいもあるだろう。
しかし、今回改めて節分草に出会ってそれだけではないことも確認できた。

ただ野に咲く草花としか思われていなかった山野草。
その山野草がブームになり、特別なものとして人は追い求める。
この大久保地区に住んでいる人は、節分草も道端の草も同じで当たり前にあるものではなかっただろうか。
私は子供の頃、当たり前に自然の中で暮らしていた。
人はともかく私は自分の中に失ってしまったものを自然の中に求めている気がする。
地味な花に惹かれていくのは、自分の中にある自然への郷愁かもしれない。

今回撮った鮮明な美しい節分草の写真を見て、ピンボケではっきりしなかった思いが改めて自分の気持ちも鮮明になった気がした。

大久保地区の集落にはまだ雪が残っていた


セツブンソウの可憐な花たち










帰りに立ち寄った彦根城