「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

夏が来れば思い出す♬遥かな尾瀬~

2021-03-02 15:36:00 | 芸術(絵画 音楽他)
今日は久しぶりの雨。それも午前中は台風かなと思うほど風と雨が強かった。朝は暖かかったのに午後から冷えてきた。
天気が悪い時は最近絵を描いていることが多い。
ずっと前に行った、尾瀬の水芭蕉の絵を前から描いてみたいと思っていた。何年か前に友人にこの風景を見せたくて尾瀬に行ったが、最近は温暖化のせいか年々早くなっていると言うことで6月の中頃に行ったのだが尾瀬もすっかり春になってしまっていて水芭蕉が葉っぱだけになってしまっていた。この絵の 写真を撮った時は満開の水芭蕉と雪のかぶった至仏山が最高の眺めだった。残念なのは空が曇り空だったことだけだ。
山に行くとラッキー と思うほどぴったりの美しい条件に遭遇することもあれば、同じ時期なのにがっかりすることもある。それは仕方のないことだがそういう時は かなり落胆してしまう。
この水芭蕉の頃の風景は青空の時にもう一度見てみたいとずっと思っていた。尾瀬はどんな季節も美しいが、水芭蕉のこの場所からの風景は忘れられないものとなった。 この絵は6月1日の風景だったが、この風景を見るには今は5月の中頃に行かないとダメだと言われてしまった。本当に季節は年々加速しているようだ。
やっとこの絵を描いてみようと思い 筆をとったが、 あの美しさが頭をよぎり、なかなか思うようには仕上がっていかないのだが、描いている時は楽しい。
山は登っていて風景や花にも出会うのも 嬉しいのだが、 計画を立てているときも私は楽しい。そして帰ってから写真を見ながら反芻していろいろ思い出すのも楽しい。
最近はいろいろやってきた趣味がつながって きているような気がする。
ずっと前に山岳会の報告に、「 老後の楽しみはスケッチ山行、 のんびりと山 を楽しみたい」 と書いたことがある。
まさに今その時が来たようだ。
昨年からコロナ禍であったりして山に行けていない。それでも今年はお花や風景を楽しみながらのんびりと山を楽しみたい。
そして、クライミングはもう良いかなと思う。

写真は描きかけの、尾瀬の水芭蕉。




非生産的な生産

2021-02-03 21:51:00 | 芸術(絵画 音楽他)
コロナ禍、この言葉も日常化してきた。本当に家にこもっていることが多くなっている。この時期を利用して描いていた絵が三点額装してあちこち飾った。「馬子にも衣装」という言葉があるが「下手な絵にも額」だとつくづく思う。なかなか思うようには描けないが、妥協点を見つけて終わりにすることにした。
普通なら「いつか個展をしたい」とか「公募展に出品したい」と思うところだが、この年齢になると楽しく描けて部屋に飾って自己満足という段階で終了となる。描いた絵が不憫なので、せめてこの場で最近の三点を公開することにした。

結果、私の亡き後のゴミの山と残された私の絵の処分に娘たちが困るだけだろうことを思う。今私はメルカリなどで断捨離をしているというのに、メルカリで売ろうと思うほど自惚れてもいない。ゴミは捨てればいいのだが、残された絵や写真の処分には本当に困るだろうなと思うが、私の知ったことではない。
今の私は確かに生きているので、制作意欲が湧いてくるのだから仕方がない。これもコロナのせいかもしれない。
さっそく、前に飾っていた絵も外し新しいのに掛け替えてみたら少しは気分が晴れてきた。
そして、次の絵にまた取り掛かりたくなってきた。
非生産的な生産だなぁ~。


バラ(F10)


畑で昨年実ったトマトのレイカ(F4)


当尾の石仏(F4)


azubyの展示会

2012-11-19 12:34:00 | 芸術(絵画 音楽他)
京都・膕ー2Fサロン ル シックでのazuby展示販売(11月14日~20日)に行ってきました。奥山さんの作品です。
斬新でとても素敵でした。ステンレスの手作りだそうです。とても美しかったです。イスも家具と言うよりはオブジェと言った感じなのですが、座らせてもらったところ意外と座り心地が良かったです。立ってから気がついたのですが、お尻の辺りが微妙にカーブを描いていて、工夫されているなと感心しました。
azubyというブランドで注文に応じて制作されるということでした。
(Facebookからの転載)





「sensibilia センシビリア」

2006-02-12 23:36:30 | 芸術(絵画 音楽他)
滋賀県近代美術館の「sensibilia センシビリア」という展覧会の招待状を戴き見に行って来た。そういえば、最近は絵の展覧会もあまり行かなくなってしまっていた。長いあいだには芸術に興味を持って美術館にしょっちゅう出入りをしていたこともあった。昔若かった頃に京都に「京都書院」という芸術(美術)関係の本ばかり置いていた本屋さんがあってそこにもよく行っていた。その本屋さんはもうつぶれてない。
ネットで検索してみたら京都書院のサイトがあるではないか。(http://yfujimatu.hp.infoseek.co.jp/)あれ~、倒産したのでは? と思いながらよく見ると「京都書院は、1999年5月31日にて営業活動を停止いたしました。整理中ですが、多数のお客様のお問い合わせや、いろいろな方のご協力のおかげで在庫出版物の販売を開始することになりました。一般の書店には並びませんが、K-SHOINが京都書院債権委員会から委託され提供させていただきます。」と書いてある。納得した。
久しぶりの美術館は、刺激的だった。それは現代美術ということでだけではなかった。
この展覧会はパンフレットの副題(~所蔵品によるある試み~)とある通り、この美術館の現代美術のコレクションの展示だが、関西の芸術家のグループのsoftpad(ソフトパッド)が関わり、音響や映像、照明を工夫し、ちょっと変わった演出の展示となっている。
展示場を入ったところから中は真っ黒、照明の僅かな光で少しだけ見える。最初は意味が分からなかったが、その暗闇に点在している数点が、今回の主役の作品であると理解したのはだいぶたってからだった。所々に置かれている椅子はどうも鑑賞用の椅子で、ゆっくり腰掛けていていいらしい。こんな体験も初めてのこと。じっと座っていると、照明がいろいろ変わって、作品がいろんな表情で映し出される。そして、となりに移動するとimacが置かれていて、出展作品の作家の作品の開設がスライドされている。
出口の部屋では壁一面のスクリーンで、作品がスライドで動かされている。そして何とも不思議な音が響いている。前には椅子が離されて5脚程並んでいた。誰もいなかったので真ん中の椅子に座って鑑賞する。これが先ほどの部屋で展示されている作品だということがやっと理解出来た。それは造形のエッセンスを切り取られたようなスライドだった。一連のスライドと音の組み合わせは不思議な世界に導いて行く。もう元の作品のイメージからは逸脱されてしまってる別物だ。
スライドを一通り見てから、もう一度もとの展示作品を見に戻る。初めて壁の暗闇消えていた個々の作品にもスポットが当たったように、私の中によみがえってきて感動した。素晴らしい演出効果だと思った。こういうふうに、鑑賞するんだよということを暗黙のうちに教わったような気がした。

ソフトパッド+滋賀県立近代美術館
sensibilia センシビリア
~所蔵品によるある試み~
sensibilia ~An Experiment on the Collection~
2006年2月11日(土)~4月2日(日)