「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

玄侑宗久著「流れにまかせて生きる」

2014-02-16 09:40:00 | 読書
カーリル(ネットでの図書館の蔵書検索と貸し出しシステム)で最近は便利に図書館を利用しています。

昨日も、貸し出しの用意ができたというメール連絡で借りた本、玄侑宗久著「流れにまかせて生きる」をいつも通り睡眠薬代わりに読み始めたら寝られなくなってしまい、とうとう一気に読んでしまいました。(お陰でめずらしく寝不足です)
歳のせいなのか,母の介護のせいなのか、最近では死について考えるようになってからは玄侑宗久さんの本は愛読しています。死を考えることは生きることを考えることでもあると感じています。いつも、この人の本にはいかに生きるかというところで共感してしまいます。
若い頃は「個性的、主体的」に生きたいと思い突き進んで来たように思う人生が、今頃になって自然な流れがあり、結局「流れにまかせて生きて」いたということになっていたんだと納得しました。
これからは,抗うことなく自然体でありのまま心穏やかに生きたいと思っています。

その前に読んだ黒川 伊保子著『夫婦脳―夫心と妻心は、なぜこうも相容れないのか (新潮文庫) 』は、男と女の違いは脳にあって、それが相容れずトラブルのもとになるという話には現実的で説得力があり、思わず笑ってしまうことが多々ありました。その男女の脳の違いが理解出来て上手く立ち回ることが出来れば男女間のトラブルも未然に防げるはずです。実は夫に読んでもらいたかったのですが拒否されました(微笑=この本にちりばめられています)。

どちらの本も上手く生きるには役立ちそうですが,現実には難しいものです。


「龍の棲む家」を読んで

2008-03-01 15:26:27 | 読書
「龍の棲む家」玄侑宗久著(文芸春秋)を読んだ。家族の老いはこれからの私のテーマーである。人が生まれて来た限りはかならず通る道だ。成り行き上痴呆になった父親と同居しなくてはならなくなった息子の幹夫は、父親と向き合うことになる。
親子といえども、お互いにどれほどのことを理解しているのだろうかと改めて疑問に思った。幹夫も父親が痴呆になってから、徘徊したり日頃の言動や行動の中に過去の父親の人生を見るようになる。
それは、徘徊した父親に寄り添って立ち寄った公園で偶然知り合った、介護士の佳代子のアドバイスによるところが大きい。徘徊も意味の無い行動ではないことを知る。それからは、この3人の生活を通していろいろなことが語られている小説となっている。
一度は崩壊した家族が、父親の病気に寄り添うことで、また新たな家族が出来上がる。それは理解しようと言う想いが、また新たな愛情や思いやりを生むということだろう。
私も,最近よく実家に行って母の話しに耳を傾けるようにしている。何度も何度も繰り返す話しは,母もだいぶ惚けて来たのかと思うのだが、内容は自分の嫁いで来た家(私の生まれた家)の人たちのことばかり。どうして、自分の実家の話しはしないのだろうと思うが、この小説を読んで何となく解った気がする。
母の人生は、嫁ぎ先での生活と人間関係が全てだったということが理解出来て来た。この本を読んで、「もうその話しは聞いた,知ってる,何回言うの?」などとしょっちゅう言っていた私は反省した。これからは、母が話したいときにはゆっくり話しを聞いてあげようと思うようになった。
今まで封印して母が言わなかったことも、ポロポロと出て来る。難しいことだが、一番なのは寄り添ってあげることなのだろうが…。



最近読んだ本

2008-02-03 10:14:13 | 読書
朗読の録音が終わり一段落して少し時間が出来たので、本屋に行き文庫を数冊買い込み、久しぶりに連続で本を読んだ。
真保裕一著「灰色の北壁」講談社文庫2008年1月16日第1刷発行
玄侑宗久著「中陰の花」文春文庫2005年1月10日第1刷発行
この2冊だ。
どちらも、一気に読んでしまったので、面白かったということだろう。

「灰色の北壁」は新田次郎文学賞を受賞して「『ホワイトアウト』から10年。渾身の山岳ミステリー」と広告文に謳われているが、それほどでも無かったかな?
『黒部の羆』『灰色の北壁』『雪の慰霊碑』の3編で構成されている。
いつも、山岳小説を読むときは、モデルの人がいるのだろうかと思ってしまう。新田次郎の小説は、実在の人がモデルの場合が多い。それが、またリアリティーがあって面白くさせているように思う。
この「灰色の北壁」の中にも実在の人物が登場していて、これは誰がモデルなのだろうかと思い巡らせながら読んでしまった。著者の真保裕一氏は登山をしないで山岳小説を書いているということだが、まるで山を熟知しているような描写には感心した。ついカスール・ベーラをネット検索してしまった。
『黒部の羆』は、富山県警の山岳警備隊を辞めて劔の小屋の主におさまっている主人公が、自分の若かった頃に起こした遭難事故と同じような滑落事故の救助に向かい、山に掛けた男同士のパートナーとの葛藤が描かれている。山は美しくて雄大だが、自然を征服しようという人間の傲慢さを思った。何のために…。
『雪の慰霊碑』は、もう山を借りた恋愛小説でしかない。中途半端な感じがしたなぁ。

玄侑宗久著「中陰の花」を読むきっかけになったのは、朝のNHKのインタビュー番組で「死」「老い」「認知症」について語っていたのを何気なく聞いていて興味を持った。テレビに映っているのは、袈裟をつけたお坊さんだった。れっきとした、禅宗のお坊さんだと言う。
さっそく、近所の本屋で芥川賞を受賞した「中陰の花」と「多生の縁」という対談集が目に留り買って来た。ほんとうは「アミターバ―無量光明」を探したが見つからなかった。「多生の縁」はまだ読んでいない。
「中陰の花」は、確かにいろいろ考えさせられてしまった。子どもの頃から私は、人の死に敏感だった。それは農家の大家族で、人の死に出会う機会が多かったから。仏壇には、名前も知らないご先祖の古い位牌がたくさんあったし、仏間は気色の悪い場所であることは今でも変わらない。
最初に衝撃的な死に出合ったのは、4歳の頃に兄が近くの池で水死したときのこと。今でも、モノクロ写真で切り取ったような記憶で残っている。とても優しい兄でよく遊んでくれた。兄が買ってもらった自転車も、ほとんど私が占拠していたことも覚えている。
保育園に行っていて「兄ちゃんが死んだ」といって近所のお姉さんが自転車で迎えに来たが、その時はまだどういう意味か分っていなかったと思う。足など包帯で巻かれた動かない兄を見た時はとても怖かった。仏間から「おう、おう」と聞こえて来る祖父の泣き声も怖かった。
自宅で死んだ祖父の死の瞬間も、小学3年生の私は隣の部屋で眠れずにいた。今まで、生きていた人がお墓の大きな穴に埋められてしまう。その頃は、土葬だった。子どもの頃は、よく死んだ身近な人がお墓から出て来る夢を見た。死んだ人の夢は今でもよく見るが、それは全く怖くない。
そして家の宗教の浄土宗で、人が死んだときの一連の儀式が四十九日(満中陰)まで一週間ごとに行われる。この法要が満中陰で成仏するためだという意味も、子どもの頃に祖母から教えられていた。
この本の中で「人は死んだらどうなるん?」という、僧侶の妻の疑問は、私の子どもの頃から思っていた疑問でもあった。「極楽や地獄はほんとにあるのん?」という問いに「しらん?」と夫の僧侶は応える。これは、子どもの頃はあると信じていた。人は、死をどのように捉えているのだろうか。
子どもの頃に知らないうちに祖母から教え込まれた教育や学校での宗教教育は、未だに私の中に生きているように思う。死を考える時、それは「死ぬまで生きる」という生きることを考えることだとこのごろは思う。
もう、子どもの頃のような恐怖心は無くなってしまった。それよりも、最近はこれからの生き方の方が気になる。それが、どんな死を迎えるかに深く関わって来るようにも思える。
この著者の、他の本も読んでみたくなった。



『日本奥地紀行』を読み終えて

2006-11-28 14:52:04 | 読書
『日本奥地紀行』イザベラ・バード著/高梨健吉訳(平凡社)を読み終えた。
明治十一年、47歳のイギリス人女性が、日本人の青年伊藤を伴って東北から北海道へ三ヶ月にわたって旅行したときの紀行文である。まさに、日本が近代文明へと突き進もうとしている時代でのこと、イザベラの旅した東北の農村の姿は、美しい田園風景の影に人々の貧困があった。そんな中でも、都市の近代化は進んでいたりと、農村との格差が驚く程あり、その様子がリアルに描かれている。それは、私の遠い記憶のなかでの農家の姿と生々しく繋がり、よりいっそうリアル感が増した。私の子ども頃は、ほんとうに貧しかった。シラミ、ノミ、ネズミは日常的にいたような記憶もある。読んでいるうちに、オーバーラップして来ることが多い。
なかでも北海道のアイヌの描写は克明で、私のアイヌに対する知識の無さを暴露した。この本から、いろんなことを初めて知った。
見せ物的な好奇心の目に遭いながらも、イザベラ・バードから見た日本人はとても好意的に描いている。貧乏でも、人々は思いやりがあり礼儀正しい。現在の日本人には欠けていってるように思う。文明が人々から、奪って行ったものだろう。反面、このころの農村の人々が、いかに閉塞した中で生きていたかよくわかる。
イザベラ・バードのスケッチもどこかで見たことがあるような記憶を呼び起こす。この本を読んでいるとこの時代にタイムスリップして、あたかも自分が旅行をしているような錯覚すら覚えた。
もっと興味津々だったのが、この本にしょっちゅう出て来る伊藤という通訳の青年。この人物は、いったいその後はどうしたのだろうという疑問からネット検索をしたら、中島京子著『イトウの恋』という本が出ているということだ。この本は、この日本奥地紀行を題材にして、イトウが母親程も年齢の違うイザベラ・バードに恋をしていたという設定の恋愛小説らしい。面白そう!
話しはそれたが、『日本奥地紀行』は久しぶりに面白い本だった。

     

灰谷健次郎の本

2006-11-24 10:06:37 | 読書
ホシダから帰って食事をしていたら、テレビから「灰谷健次郎が死去」というニュースが流れて来た。72歳食道がんということだ。灰谷健次郎と林竹二は、私の子育て(教育)のバイブルだった。
灰谷健次郎の絵本はほとんど小さいときから年齢に応じて買い与えて来た。小さいときには、絵本の読み聞かせをしてから寝るという毎夜の習慣があり、灰谷健次郎の本の中でも子どものお気に入りは『ろくべえまってろよ』だった。穴に落ちたろくべえという犬を子供たちが心配して助け出すという話だ。ヘタウマの長新太の絵もほのぼのとしてとてもいい。
小学校に入った頃には『兎の目』を毎晩連載で読み聞かせた。次は『太陽の子』と…。内容が分かっていたのかは不明だったが、毎晩楽しみにしていたのを今でも覚えている。今は主のいないかつての子ども部屋に残されていた本箱の中の、たくさんの子どもの本に混じって灰谷健次郎の本も残っていた。この『兎の目』のカバー表紙の開けたところに「子どもたちの優しさが、すべての人々の足もとを照らし、未来に向けて歩もうとする太陽のような希望を、どのような不幸な人でも持てるような物語を、いつか、私は書きたかった。灰谷健次郎」と書かれている。この言葉に、灰谷健次郎の本のテーマーが要約されていると私は思う。
私が感動的に読んだのは、『わたしの出会った子どもたち』だった。実際、親になって(なってしまって)子どもの世界に関わるようになって、いろんな子どもを見た。悪い子と烙印を教師にまで押されてしまった子どもは、大人から見放された存在になり行き場を失いますます荒れる。だれも、その子の心の叫びまでは気づかず、生きる希望まで無くして行く。現在では、悪い子だけではない。人とは少し違ってるととか、変わり者とかちょっとしたことで、人はいじめたり排斥したりする。悲しいことだと思う。
灰谷健次郎の著作は、人としてどうあるべきかが、一貫したテーマーで繰り返し書かれている。一言で言えば「思いやり、優しさ」だ。他者を思いやるという簡単そうなことが難しい時代だ。だからこそ、林竹二や灰谷健次郎の本を教育現場の人に関わらす、読んでほしいと思う。