「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

新田次郎「槍ケ岳開山」を読んで

2005-12-02 11:48:54 | 読書
かなり前に(半年程)古本屋で買っていた新田次郎の「槍ヶ岳開山」という本をやっと読み終えた。本はすぐに読んでしまうものとなかなか読み進まないもの、また途中で投げ出してしまうものとがある。この本がなぜ読み進まなかったかは、あとになって何となく理解出来た。それは小説独自の脚色が何となくわざとらしいのが気に入らなかったようだ。
新田次郎の作品でいつも気になる点である。短編を読んでいたら、ほとんど人間関係のドロドロしたものが(例えば恋愛などの)遭難などに結び付いていたりしていて、「あぁ、これはジュニア文庫の恋愛ものと同じだなぁー。」と思うことが時々ある。
この「槍ヶ岳開山」も、出だしは播隆上人の槍ヶ岳への初登のクライミング場面から始まり、読んでる私もおもわず引きつけられ力が入った。だが読み進むうちに百姓一揆のときに妻を殺してしまい、逃げて出家するという播隆上人のそれからの伝記じみたところに、「ほんまかいな」というような作為が感じられていた。
そして、笠ケ岳で見た阿弥陀仏の御来迎(ブロッケン現象)を妻のおはまさんとし、その妻のおはまさんに会うために槍ケ岳の開山を目指すというストーリーに、何となく宗教家としてのうさん臭さを感じていた。
小説を史実として読むのは間違いなのだが、どうしても登場人物の人物像を脚色されたイメージ像で捉えてしまう。実在の人物が登場し史実が語られていると、どうしても読み手はフィクションの部分も事実の話として捉えてしまう。小説になると、作者は実在の人物をどうにでも料理出来てしまう。そこに大きな落とし穴があるようだ。
新田次郎の小説がみんなそうだと思えない。フィクションでもノンフィクションでもおもしろくて一気に読んだものもたくさんある。私が読んで面白かったのは、「銀嶺の人(上)(下)」「強力伝・孤島」「八甲田山死の彷徨」「栄光の岩壁(上)(下)」「孤高の人(上)(下)」「劒岳/点の記」など、面白くて一気に読んだ。
これらが事実と同じだとはとても思わないのだが、小説としての脚色により、私にはより面白く感じさせたのだろう。
読後、本物の播隆上人の「人となり」が気になりネットで調べたところ、妻帯もしていなくて殺人の事実もないということだ。このネットで史実に触れ、また新たに播隆上人と槍ケ岳に興味が湧いて来た。
そして、初めての北アルプスで槍沢から槍に向かった時の坊主岩小屋を思い出した。このルートをまた歩いてみよう。

下記播隆上人のサイト
http://www.allhida.jp/onko/kamitakara/index.html


写真は1991年(上高地ー槍沢ー槍ケ岳ー北穂高ー上高地)
槍沢から槍を見たところ
坊主岩小屋の前で
蟻ンコの行列のような登山者


 





最新の画像もっと見る

コメントを投稿