「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

久しぶりの駒形岩

2007-06-07 01:07:46 | クライミング
昨日の早朝、コンビニへ「スポーツ報知」を買いに行く。スポーツ新聞は買ったことがない。けっこういろんな種類があるものだ。この「スポーツ報知」は、スポーツ新聞では唯一家庭に持ち帰ることが出来る真面目(?)なスポーツ新聞だと夫が言っていた。コンビニで事情を話して、買い占める。といっても、一件にそんなにたくさんは置いていない。さっそく、開いてみるとかなり大きな写真が…。やっぱり、何となく照れくさい。カラーでこんなに大きく新聞に載ることは、これからもまずないだろう。
そういえば昔、東京にいるときに、「ヤングレディ」という女性週刊誌があって、知り合いの編集者に頼まれて載ったことがあったのを思い出した。その時はたしか、東京に地方から出て来て働く女の子の特集だったと思う。

今日は久しぶりに駒形へ行く。久しぶりの岩場の平日クライミングに参加させてもらった。駒形は平日とは思えないほどの賑わいだった。各ルートにトップロープが下がっていた。「斜陽」と「ふきのとう」までは良かったが、他は全く登れなかった。登れない理由はたくさん思い当たるが、一番は午後からの壁に容赦なく照りつける、お日様のせいだろう。ほんとうに暑かった。「ぬめる、登れない」という言葉が、毎年のこの時期の山行記録に羅列してある。この時期のフリークライミングは、過酷だと思う。
だからといって登らなかったら、ますます下手になっていくばかり。毎年、この繰り返しだなぁ~。いつまで、やってるのだろうと時々思う。いや、いつまで出来るのだろうかとも…。

帰りに母のところに寄ってみて軽い気持ちで新聞を見せると「いつまで、こんなことやってるんや~」と言われた。喜ぶと思ったが、反対に不安感を与えてしまったようだ。いつも山に行くときも、口には出さないが心配してるんだろうな、と思った。そうか、母にとっては何の価値もない危ないことをやってるのだと改めて思った。あまり心配かけたら親不孝かな。



散歩

2007-06-05 23:25:23 | レジャー
最近、ほんとうに体重が増える一方だ。今までと生活に変化があった訳ではない。前以上に、クライミングや山に行っている。体脂肪は少なくなっているので、筋肉が太くなるタイプなのだろうか? なぜなのかが、全く分らない。このままだと、クライミングはますます登れなくなるだろう。
生活習慣を少し変えてみることにした。車だと効率的に動けるので、日頃車での移動が多かった。その分、歩かなくなってしまってる。
今日、緑色の三段変速の自転車を買った。店の前にずらりと並んだ安いのだと中国製だというので、国産にして少しグレードアップしたのだが、メーカーの名前をネットで検索してみたら大阪堺の零細企業だった。だったら、2万2千円は高いと思う。定価は3万8千だというが本当だろうか?
早速、家の近くの山田池公園へ行ってみた。公園の駐車場の横に、自転車をとめて公園を1時間程歩いてみた。今は菖蒲と蓮の花や紫陽花が咲いていて凄い人出だった。なぜか、猫も多かった。どうも捨て猫が繁殖してるようだ。おばあさんが、餌をやっていた。ノラにしては人懐っこいはずだ。
山田池公園はけっこう広い。一周すると、2.5キロあるらしい。家から自転車で20分程で、ちょうど暇なときに歩くには良いかも知れないと思った。気分が乗れば走ることも出来る。
ちょっと、頑張ってみるか!


騒音でしょうか?

2007-06-05 10:13:10 | 雑感
山のなかは静かで良い。私もそう思う。しかし、最近の夏山の喧噪は騒音かも知れない。騒音か騒音でないかは、個人で感覚の相違があるので難しい。
昨日は、視覚障害者のSさんがピアノのレッスンで来られた。昨年暮れから1ヶ月に2回程、点字バイエル持参で私に習いに来られている。終わってからはティータイムで、いろんな話しに花が咲く。そのときに話しに出たことだが、最近横断歩道の信号が変わると前は「通りゃんせ」の音楽だったが、最近は鳥の鳴き声の「カッコーカッコー…」「ピヨ、ピヨ…」となったらしい。私は気がついていなかったが…。
その音がうるさいという苦情が、近くの交番にあったそうだ。交番でおまわりさんが、あの音は視覚障害者の人の横断歩道を渡るときの安全のためにいかに必要かと説明されたそうだ。
すると、その苦情を言った人物が、その横断歩道をいったい何人の視覚障害者が一人で渡るのかを調べたらほとんどいなかった、だから必要はないと言ったそうだ。
「何も鳥の声が聞きたいのではない、要は信号が赤なのか青なのかが分れば良いのだ。信号が青になれば白杖(視覚障害者の人が持っている白い杖)に、センサーかなんかでブルブルと震えるようなものつけて、青になったことが私らに分れば良いのや」とSさん。「ほんと、そうやねぇ~、えぇ~考えやわ~」と私は彼女の想像力とアイデアに感心して聞いていた。これなら、出来そうだとも思った。
しかし、このカッコーという音は騒音だろうか? 町の中には不必要な音が沢山あるのは事実だと思う。電車に乗っても「座席をお詰め下さい」「携帯をお切り下さい」など健常者向きの常識と思えることもくどくどとアナウンスされている。もっと、社会のマナーが守られたら、大分いらない騒音は消えるのではないかとも思う。
そういえば、電車が入って来たときに、上りと下りで音楽が違うのでどちらの電車が入って来たのかそれで分るということを、ずっと前に視覚障害者の人の講演で聞いたのを思い出した。今まで何気なく聞き流していた音も、少しは意識的に聞いてみるようにしてみようと思った。




山野草

2007-06-02 01:21:24 | 登山
最近、山野草のブームらしい。今日は、その山野草を手作りの鉢で育てている人が近くにいるというので、山野草の好きな友人と見せてもらいに行って来た。ウスユキソウ、イワギキョウ、シャジン、フウロウ、カワラナデシコなど山でよく見る花がもう咲いていた。
高山植物も山で見るのとは全く違っていた。鉢に植えられた花達は窮屈そう。やっぱり、自然の中で見る方が活き活きと見える。生け花を見ているようだった。
昨年の夏、八ヶ岳を縦走してみて高山植物の豊富さに驚いた。それまでの八ヶ岳は、冬の山というイメージしかなかった。やっぱり、私はいろんな色彩に彩られた山が好きだと改めて思った。
今見たいのは八ヶ岳の横岳に6月に咲くツクモグサを見てみたい。うまく行けばウルップソウも見られるかも知れないと思うと、矢も盾もたまらない気持ちになって来る。
山の花は山に、野の花は野原に、バラは花壇に…、それぞれ似合う場所に咲いていて美しいと感動するものだと私は思った。町の花屋さんの花や観葉植物もその場所にあって、華やかに美しい。花束をプレゼントされたりすると感激することも確かだ。しかし私の場合は、一番の感動はやはり山で出会うお花だ。それは、それぞれの花が相応しい風景の中にあるからか…。
高山植物はしんどい思いをしたご褒美の花束だと思う。しかし感動は、お花だけでもない。他にもたくさんのプレゼントを山から貰っている。

育てるということに重点を置けば、また違う楽しみになるのだろう。
いろんな、楽しみ方もあるものだと思った。

大野月子さんのHP
http://www5e.biglobe.ne.jp/~sukusuku/
(魔法の鉢ですくすく育つ高山植物)