先週末は、義父の見舞いに車で関東に向かったが、家を出て東名を走りはじめてしばらくして訃報が携帯に入った。
明治生まれという人は、私の周りを見回してももうほとんどいなくなってしまってる。義父は明治44年生まれ。私が結婚したときにはすでに義母は亡くなっていて、義父は一人で暮らしていた。世間でも「男やもめにうじがわく」と言うように、男性が家事を自分でこなし、一人で暮らすというのが私には信じられないことだった。それは、私の父が全く何も出来ない(しない)人だったからである。「お~い、お茶!」ではないけれど、いつでも母を呼びつけてさせていた。義父に初めて会ったときに、凄い人だと思った。子どもにも頼らず、また頼らせない。そんな義父を、自分勝手と見る見方もあるかも知れないが、私はそうは思わない。
家族はお互い助け合わなくては行けないとは思うが、大人になれば基本的には一個の人間として自立しなくてはならないと思う。その点、最近親も子どもも、親離れ子離れが上手く出来ていないと思うことがよくある。
96歳の義父はほとんど最後まで一人暮らしを貫き、誰にも看取られず生涯を閉じた。母がいないと何も出来なかった私の父に比べて、あっぱれな生涯だと思った。義姉の話しでは、最後までまだ生きる希望を持っていたという。
今、私の84歳の実母も一人暮しをしてる。娘の私として少しは心配なところもあるが、出来るだけ手助けはしないようにしている。出来ないことも少しづつ増えてはきているが、まだまだ生きることに積極的だ。手を貸しすぎないということも親孝行かな、と自分勝手な理屈で出来るだけ知らん顔をしている。そして、せっせと山やクライミングに行ってしまう。出来るだけ長生きしてほしいから…。
義父の冥福を祈りながら…。合掌
注:男やもめにうじがわき女やもめに花が咲く(『故事・ことわざ事典』新星出版社)
明治生まれという人は、私の周りを見回してももうほとんどいなくなってしまってる。義父は明治44年生まれ。私が結婚したときにはすでに義母は亡くなっていて、義父は一人で暮らしていた。世間でも「男やもめにうじがわく」と言うように、男性が家事を自分でこなし、一人で暮らすというのが私には信じられないことだった。それは、私の父が全く何も出来ない(しない)人だったからである。「お~い、お茶!」ではないけれど、いつでも母を呼びつけてさせていた。義父に初めて会ったときに、凄い人だと思った。子どもにも頼らず、また頼らせない。そんな義父を、自分勝手と見る見方もあるかも知れないが、私はそうは思わない。
家族はお互い助け合わなくては行けないとは思うが、大人になれば基本的には一個の人間として自立しなくてはならないと思う。その点、最近親も子どもも、親離れ子離れが上手く出来ていないと思うことがよくある。
96歳の義父はほとんど最後まで一人暮らしを貫き、誰にも看取られず生涯を閉じた。母がいないと何も出来なかった私の父に比べて、あっぱれな生涯だと思った。義姉の話しでは、最後までまだ生きる希望を持っていたという。
今、私の84歳の実母も一人暮しをしてる。娘の私として少しは心配なところもあるが、出来るだけ手助けはしないようにしている。出来ないことも少しづつ増えてはきているが、まだまだ生きることに積極的だ。手を貸しすぎないということも親孝行かな、と自分勝手な理屈で出来るだけ知らん顔をしている。そして、せっせと山やクライミングに行ってしまう。出来るだけ長生きしてほしいから…。
義父の冥福を祈りながら…。合掌
注:男やもめにうじがわき女やもめに花が咲く(『故事・ことわざ事典』新星出版社)