お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
?



 藤野付近から西への旧甲州街道は何度か走ったことがあり、先日も鶴川宿から野田尻宿まで走ったが、そういえば高尾から小原(おばら)宿まではどうなっているんだろう。間に小仏峠があるけど行けるのだろうか。地図を見ると、旧甲州街道はあるものの小仏周辺に道は見当たらない。ま、いっか。行ってみよう♪

 ということでまずは高尾側からアタック小仏峠!

 町田街道入口交差点から甲州街道(国道20号)に入り、高尾駅を過ぎJR中央本線のガードをくぐった先の西浅川交差点を右に入ると旧甲州街道。緩やかな上りを少し行くと、右手に見えたのが小仏関跡。峠はまだまだ先で、戦国時代にはもちろん武蔵国と甲斐国との要衝にある小仏峠に置かれ富士見関とも呼ばれていたが、武田、今川、織田など周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され、その後北条氏の滅亡により徳川幕府の重要な関所として現在地に移されたという。


小仏関跡



駒木野宿


 この関所があったのが駒木野宿だが、周辺は住宅地であまり面影はない。西には講の名を記した「板まねき」が掲げられる旅籠茶屋の建物が今でも残っているとあったが、どこか分からずじまい。後で調べると、正面に圏央道が見える蛇滝口バス停のところにあった。ここは右手にあった「いのはな慰霊碑」の方が気になっていたので、左手はノーマークだった。戦時中、いのはなトンネル付近で米軍機による銃撃があり、その死没者を慰霊したというが、激坂を上るようだったのでやめておきましょうね。

 道は相変わらず緩やかに上って行く。右手にはJR中央本線、さらにその上には中央高速の高架が走っている。左手には南浅川が流れていたが、いつの間にか消えていた。やがて民家も段々と減ってきた。しばらくすると赤煉瓦アーチと呼ばれる中央本線のガードをくぐる。中央本線が今度はすぐ左手を走るようになるが、鉄路はやがてトンネルへと吸い込まれていき、道はトンネルの上を越えるかのように上昇していく。


緩やかに上っていく



左手は中央本線


 その後は勾配がやや急になり、少し進むと京王バスの小仏バス停に着いた。ここから小仏峠までは2.5キロとある。さてどこまで行けるんだろう。ワクワクしながら漕ぎ出し、7〜8%の坂を上っていく。峠の前はこれぐらいないとね、なんて思いながら進むが、1キロほどのところで駐車場が見え、ハイカーの方たちがたむろしている様子もあった。どうやら登山口らしい。しかし、車止めがある所から先の道はダート。悪路ではないのでグラベルなら行けそうだが、公園・林業関係者を除く車両通行止めの標識が行く手を阻む。ここから峠までは1.4キロほどだろうか。ここであえなくUターンとなった。麓から通行止めの標識までは5.3キロ、平均勾配は4.7%、最大勾配は9.6%。


小仏バス停付近



小仏バス停



ここでUターン


 さてと、東がだめなら西からということで、反対の小原側から攻めてみようじゃないか。

 西浅川交差点まで下って甲州街道に出て右折し、大垂水峠を目指す。7キロ、平均勾配3.7%の登坂。たぶん久しぶり。標高392メートルのピークに着き、石碑の前で写真を撮ろうとしたら、え? あれ? どこ行った? 見当たらないぞ。「大タルミ峠」と刻んであった、でっかい石碑が消えてる。どして? 頭の中は疑問符だらけのまま、少し先の大垂水橋で写真を撮ってとりあえずダウンヒル。


大垂水橋


 石碑が消えたことをSNSでアップすると、早速返信があり、20年12月に車が突っ込んで吹っ飛ばしたということが判明。貴重な情報に感謝! 実はその2カ月前に石碑と写真を取っており、どうやらこれが最後の雄姿となったようだ。その後、21年11月にも大垂水峠を通過しているのだが、この時はまったく気がつかず、この日がそれ以来3年ぶりの訪問だった。


20年10月撮影の大タルミ峠の石碑。この先が大垂水橋


 気持ち良く下った後は小原宿手前の「割烹旅館 五本松」の看板があるところを右へ入り、県道516号を「五本松」方面へ向かう。いきなりの急坂を上ってしばらくすると右手に旅館が見えてきた。なかなかいい雰囲気で、後で口コミなど調べて見ると料理の評判も良さそう。でも泊まるにはちょっと近すぎるかな(^_^;

 この先から勾配がきつくなった。山の中の坂を700メートルほど上り続けると、道は左へ大きくカーブ。その先に交通誘導員の方がポツンと立っているのが見えた。あれ? 行けないのかな。


下に見えるのは甲州街道



遙かに中央高速



割烹旅館 五本松



この道は栃谷沢坂林道なのかな?


 「小仏?」と聞かれたので「そうです」と答える。「その先からですが、行けないですよ」と二股に分かれた右手の細い道の先を指さす。工事で通行止め? いや、どうもそうではないらしい。「自転車で向こうから来る人もいるし、こっちから行く人もいますが、普通はだいたい帰ってきます」。ふむ、坂がきついのか? 「とにかくあの白い看板の所までいけば分かります」ということなので行ってみる。

 あ、階段だ。そして小仏峠までは1.8キロとある。こりゃ無理だね。あっさりUターンして戻り「行けないですね」と降参したことを告げる。聞くと、峠を越えてやって来る猛者は、当然ながら自転車を担いでいるという。なるほどね。東西どっちから行くにしろ担がなきゃダメなのね。ということでアタック小仏峠は残念ながら失敗に終わった。もう行くことはないかなぁ。行くにしても担ぐのは無理だから、駐車場や階段手前に自転車を置き、シューズを履き替えて上るとかだろうね。


右手の道が小仏峠へと続いている



階段が見えたので断念。小仏峠までは1.8キロ


 二股の左の道を行くと「1周できるよ」ということだったのでそのまま進む。中央高速の大規模な工事が行われていることで要所に誘導員の方がおり、その指示にしたがって下って行く。地図によると小仏峠への階段があった付近からのこの下りが旧甲州街道のようだ。下り切ったところで甲州街道にぶつかるのだが、そこは「美女谷入口」の看板がある所。いつも気になっていた道だが、これが旧甲州街道だったのか。その看板には「照手姫の里」という文字もあるが、これはまた別の道を行くらしい。なんか林道があるっぽいので今度はそっちへ行ってみようかな。


旧甲州街道を下る。遙か上に中央高速


 この後は相模湖東IC出口付近に旧甲州街道への分岐を発見したので行ってみた。急坂を上り、下る途中に階段を下りろという、年代物の道標を発見。短かったのでここは担いで進む。出たところにあったのが「甲州古道与瀬下」という道標。どうやらこの辺りは与瀬宿ということらしい。ただ、分岐からここまでは住宅街の中を通ってきただけなので、どうということはなかったけどね。


甲州古道は後方の急坂



この階段を下る



甲州古道与瀬下


 で、腹も減ってきたのでこの日の旧甲州街道の旅は終了。この先はまた日を改めて行ってみよう。この日の走行距離は101.6キロ、獲得標高は1068メートル。

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