お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
?





 2024年の年間走行距離は9043キロ。10年ぶりの1万キロ突破は残念ながらならず(T_T) ブルベDNSの4本が痛い。やっぱ雨に弱いとダメですな。

 遠征は帰省を兼ねたAJ広島主催の「BRM203広島200km岡山・呉」のみ(DNFだったけど(^_^;)。プライベートで土日が珍しく忙しかったこともあるけど、ちょっと寂しいね。来年は遠征であちこち行きたいなぁ。といっても前半は超重要なミッションがあるので多分ダメで、夏以降になるけどね。

 とにかく来年も気持ち良く、事故なく、力が続く限りどこまでも走ろう!

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 孫とスケートに行って2回豪快にコケた(T_T) 手を繋いで滑っていたんだけど、孫息子がコケて手を思い切り引っ張られ、耐えきれずツルンと滑り、どっしーんとケツから落ちた。

 スタッフが瞬時に寄ってきたのには驚いたよ。まぁ、じーさんだからねぇ。少し後頭部も打ったし、心配されちゃったか。コケると骨折の可能性がある年になっちゃったし、次回からはヘルメットをかぶろっと。


入口付近にあった日刊スポーツ号外

 
 こどもの国のアイススケート場は子供が生まれる前にカミさんと一度行ったことがある。生まれる前といっても、実は長女がお腹にいたんだけど、それを知らずに滑りまくった^_^; 月日は流れ、孫と行く日が来ようとはねぇ。

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 「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」第2章「武士の世へ!いざ鎌倉から戦国探訪」の「その7」で鎌倉を巡った。

 この日は自転車を置いて歩くシーンが多くなると思い、キックスタンドの付いたグラベルロードのJARIにまたがり、まずは「金沢文庫」に向かう。

 走り出してすぐボツポツと降り始めたと思ったら、なんと雪だった! もしかして初雪? そういえば前夜の予報で雪が降るかもと言ってたけど、市街地まで降るとは。気がつけば結構な降りとなったが、まあ、これから向かう南の空は晴れてるので大丈夫だろうという予想通り、いつの間にかやんでくれたので助かった。

 朝比奈インターから環状4号を離れて釜利谷方面へ行き、金沢動物園前を経由して金沢文庫へ。坂だらけの住宅街を迷いながら、やっと奧まったところにある建物を発見した。北条義時の孫にあたる北条実時が創設した武家の文庫で、現在歴史博物館として活動し、2万点を超える国宝を保管しているそうだ。ここも65歳以上は入場料100円。今日は急いでいるので、いずれまた(^_^;


金沢文庫


 この後は国道16号を少し走り、六浦交差点を右折して鎌倉方面へ向かうのだが、この交差点はどうやって右折したらいいんでしょうかね。歩道橋のみで横断歩道がないT字路。車は右折車線があるからいいが、自転車はどうあがいても曲がれない。次の信号を渡って戻ってくるしかないのかな。

 さて次に行くのは「名越切通(なごえきりどおし)」。鎌倉時代に尾根を堀割って造られたとされる通行路で「鎌倉七口」のひとつ。鎌倉と三浦半島を結ぶ道として重要な役割を果たしたという。自転車に乗り始めた頃、つまり十数年前に法性寺側から上ったことがあるが(もちろん徒歩)、とても苦労した覚えがあったので今回は亀ヶ岡団地側からアプローチした。

 披露山公園とは反対側にある団地の中の急坂を上り続け、ピークとなる付近に切通の入口を発見した。山道を少し分け入って見ると、すぐに第1切通が見えてきた。なんだ、こんなに簡単に来られるじゃないかと拍子抜け。いや、住宅地のすぐ裏手にこんな歴史的なものが残っていることに驚くべきか。

 徒歩で第1切通の岩の間をすり抜けて進むと、右手に「まんだら堂やぐら群」への階段がある。やぐらとは四角い横穴に石塔を建て、納骨や供養をするところだが、この日は保存工事中で立入禁止となっていた。残念。


名越切通



名越切通



第1切通



まんだら堂やぐら群はここを上っていく


 亀ヶ岡団地からは勾配10%超の急坂を下ってほぼ一直線に県道へ。その途中、お母さんのママチャリが凄い勢いで下っていく姿に仰天した。慣れるとあのスピードが出せるのか。こっちは怖くておっかなびっくり。フルブレーキでゆっくり下って行くしかないというのにね。

 で、この後は逗子ハイランドを上って下る。横浜も逗子も坂だらけだねぇ。

 次の「永福寺」はテニスコートの向こうにあった。源頼朝が建立した寺院の跡で、応永12年(1405年)に焼失した。発掘調査で発見された建物の基壇や苑池などを復元して公開しているのだが、駐車場の先のじゃり道を抜けると、広大な空間がぽっかりと空いていて驚いた。


ここを抜けると永福寺跡



永福寺跡


 その近くにあるのが「法華堂跡」。鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓と、幕府の2代執権として武家政権の確立に大きく貢献した北条義時の墓があるが、階段があったのでお墓までは行かず(^_^;


法華堂跡


 この付近は鶴岡八幡宮のすぐ東にあたる所で初めて迷い込んだのだが、隠れ家的でおしゃれな飲食店を見かけた。人通りもそれほどではなかったので穴場といっていいかも。まあ、見るからに高そうなのでスルーしたけどね。

 この後は小町大路から江ノ電和田塚駅へ。スタンプポイントの「鎌倉彫工芸館」前には「かながわ歴旅ARラリー」のポスターが飾られていて気合が感じられたが、人の姿はほとんどなかった。その目の前にあるのが「和田塚」。鎌倉幕府内部抗争による北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍を埋葬した塚と言われている。ここも初めて通った。


鎌倉彫工芸館



和田塚


 そのまま由比ヶ浜へ出て国道134号を西へ少し行くと「鎌倉海浜公園坂ノ下地区」。この前はもう何度も通り、ここに公園みたいなものがあるとは認識していたが、まさか三代将軍源実朝の歌碑があるとは夢にも思わなかった。歌碑には「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」と刻まれ、鎌倉観光公式ガイドによると歌碑の台座は船を、歌碑板は帆を、手前(芝でおおわれて見えないが)は波を表しているそうだ。いや、ほんとこのスタンプラリーは勉強になる。何度も言うけど(^_^;


鎌倉海浜公園坂ノ下地区の実朝の歌碑


 この後は引き返し、長谷〜大仏前と走り、大仏トンネルを抜けて梶原まで行き、そこから源氏山公園を目指す。ここも名越切通と同じで、「鎌倉七口」を制覇しようとした十数年前に「化粧坂(けわいざか)」から自転車担いで上っていこうとしたが、あまりの岩場に断念。その後、カミさんと銭洗弁天から徒歩で行ったという思い出の場所だ。今回は梶原からなのでたぶん一番楽なルートのはず。

 自転車で行けた、というか乗れたのは葛原岡神社の少し先まで。突き当たりっぽいところで銭洗弁天方面への分岐があり、左手が源氏山公園方面なのだが、ここからは進入禁止となっていた。少し押し歩いて行き、急坂をぐいっと上ったところに頼朝像があった。広場もあり、春には桜、秋には紅葉が楽しめるそうでお弁当でも持ってきたいところだが、展望は樹木に遮られて残念ながらまったくないのは残念。


源氏山公園の頼朝像


 亀ヶ岡団地も逗子ハイランドもそうで、ここもそうだが、急坂や狭い道幅をものともせず住宅はあるもんですな。

 鎌倉方面のスタンプを全てゲットし、北鎌倉へダウンヒルして帰宅。途中、境川の下分橋近くの「薬王院(信法寺別院)」でこの日9つ目のスタンプゲット。ここは上和田の地頭であった和田義盛が建立したそうな。え? ここにも和田義盛がいたのか? 三浦半島の和田城じゃないのか? お墓は和田塚だよね。行動範囲、広すぎない? 一体、どうなってる?


薬王院(信法寺別院)


 まあ、いろんな言い伝えがあるんでしょうね。歴史はロマン。過去にも夢がある。だから面白い。

 さて、これでスタンプポイントは63/83。保有ポイントは30ポイント賞に応募したので、ただいま18ポイントまで逆戻り。

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※村木嵐(1967年京都市生まれ。京都大学法学部卒業。会社勤務を経て95年より司馬遼太郎家の家事手伝いとなり、後に司馬夫人である福田みどり氏の個人秘書を務める。2010年「マルガリータ」第17回松本清張賞受賞。近著に「せきれいの詩」「にべ屋往来記」「阿茶」など)



●爽やかな読後感

 病のため片手片足は動かず、口をきくこともできない9代将軍吉宗の嫡男・家重(幼名長福丸)。歩いた後には尿を引きずった跡が残るため、かたつむり(まいまい)が這った葉のようだとして「まいまいつぶろ」と呼ばれ蔑まれていた。ところが、誰も聞き取れなかった家重の言葉を唯一、解するものが現れた。大岡越前守忠相の遠縁にあたる大岡忠光(幼名兵庫)だった。「口となるも、目や耳になってはならぬ」。そう忠相に戒めを受け、忠光は将軍の小姓となり、通詞を務めることになった。第170回直木賞候補。第12回日本歴史作家協会賞作品賞、第13回本屋が選ぶ時代小説大賞受賞。

 家重といえば、23年にNHKで放送されたドラマ10「大奥」を思い出す。よしながふみさん原作のドラマで、恥ずかしながらそこで初めて家重の病を知った。冨永愛さんの吉宗はカッコ良かったが、家重を演じた三浦透子さんの演技には驚かされた。あの表情はすごい。まさに名演。この作品を読んで、もう一度見てみたい気になった。再放送してくれませんかねぇ。

 将軍の言葉をそのまま伝えているのだが、当然そこには「ほんまかいな。脚色してない?」という疑惑が生じる。第5章「本丸」では家重の将軍襲職をめぐり老中が反旗を翻す。ここが一番面白い。そして最終章の家重の言葉。「もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光に会えるのであれば」。30年間の2人の孤独な闘い。「不如意な身体で、まいまいつぶろの如く、のろのろと。ですが大きな殻を見事、背負いきって歩かれました」と忠光。2人にとって悔いのない人生であっただろう。家重と比宮が愛し合っていく姿もぐっとくる。爽やかな読後感だった。

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 少しでもスタンプを稼ぎましょうかねということで、カミさんのお墓参りの後に市が尾の古墳を巡った。「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」第2章「武士の世へ!いざ鎌倉から戦国探訪」の「その6」。

 まずは「稲荷前古墳群」。かつて丘陵上に所在していた、10基の古墳と3つの横穴墓のうち、方墳2基と市域でも珍しい前方後方墳1基が保存されている。駐車場に自転車を置き、階段を上っていくと、こんもりとした丘が見えてきた。これがそうなのかな。4世紀から7世紀ごろの古墳時代に継続的に造られていったそうだ。

 横浜市教育委員会の説明版によると、4世紀から5世紀ごろに、ここ谷本川流域を中心とする都筑の地は一首長によって統合され、大和政権とも一定の政治的文化的関係を持つようになった。この時、古代の横浜の地が国の一部として機能し始めたという。


稲荷前古墳群の駐車場に案内版



階段を上って行く



稲荷前古墳群


 お次はすぐ近くにある「市ヶ尾横穴古墳群」。以前、「青葉区制30周年デジタルスタンプラリー」を走った時に訪れたが、裏手に出てしまって行けなかったところだ。今回はちゃんと表から入ったよ。


市ヶ尾横穴古墳群


 稲荷前古墳群では都筑一帯を治めていた首長層の墓が発掘されたが、こちらは農耕を営んでいた有力な農民の家族を葬った「家族墓」のひとつだそうだ。この付近はほかにも古墳群や遺跡、集落跡が発見されていて、市が尾と荏田地域は古代都筑の中心地であったと考えられている。


市ヶ尾横穴古墳群



市ヶ尾横穴古墳群



市ヶ尾横穴古墳群


 横穴墓というのは初めて見たかも。こんな身近に古墳や遺跡があるなんて知らなかった。勉強になるねぇ。広場からは丹沢が見えた。天気が良ければ富士山も見えるんだろうね。やはりお墓は眺めのいいところに造るのか。というか、大昔なんてどこからでも富士山が見えたろうね。

 さて、これでスタンプ獲得数は54/83。保有ポイントは39。そろそろ第2章の特典に応募しようかな。

 そういえば、境川の鶴間橋の左岸上流がようやく開通していた。まだ工事で通行止め区間はあるけど、ここが通れるようになると助かるね。


境川の鶴間橋



境川の通行止め区間


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 青葉区役所から郵便物。え? 何これ? おれ、なんかやった? とまずはマイナス思考。でもよくみると「青葉区制30周年デジタルスタンプラリー」とある。そういえば10月に走ったぞ。おぉ、当たったかと今度は超プラス思考。

 でも封書だから「特産品詰め合わせ」じゃないか。

 何だろう。ワクワクしながら封を切るが、でてきたのは「残念ながら…」のお知らせ。でもなんと参加賞が入ってるじゃないか。何人参加したかは分からないけど、こういう対応は好感が持てるし、次もってなるよね。



 シールは孫にやるかな。知らないうちに家のどこかに貼られることになるだろうけど(^_^;

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 「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」第2章「武士の世へ!いざ鎌倉から戦国探訪」の「その5」で小田原方面へ。

 まずは入生田の「神奈川県立生命の星・地球博物館」。地球の誕生から現在までの46億年にわたる歴史が展示されている。入場料は520円だが、65歳以上はなんと100円。シニア割引の恩恵にようやくあずかれると喜んだけど、なぜか休館日。月曜日が休館日でこの日は火曜日だよ。なんで? 入口の案内版をよく見ると、毎月第2火曜日が館内整備日。ピンポイントで命中したようだ。残念(T_T)


神奈川県立生命の星・地球博物館



神奈川県立生命の星・地球博物館。本日は休館


 そのまま石垣山一夜城へ登坂開始。いわゆる裏コースですな。表のようなドーナツ坂はまったくないけど10%超が続く激坂には変わりない。ピークはターンパイクの上空にかかる橋で、ここから少し下ったところが石垣山一夜城。距離1.9キロで平均勾配は10.5%。ちなみに表は距離1.8キロで平均勾配11.6%なので、裏の方が少しだけ楽みたい。

 チェックポイントは「二の丸(馬屋曲輪)」付近なので階段を上って行く。秀吉が一夜のうちに築城したと言われているが、実際は約80日を費やしているそうだ。無事二の丸でゲットできたので本丸までは上らず(^_^;


石垣山一夜城



石垣山一夜城二の丸



バイクスタンドあり


 「一夜城 YoroizukaFarm」は残念ながら定休日だったが、奧にある川島なお美さんの慰愛碑まで初めて足を運んだ。そこに刻まれた遺言を読むと、目頭が熱くなった。「銀幕のヒロイン」は今でも好きな歌だ。


川島なお美さんの慰愛碑



川島なお美さんの遺言


 ダウンヒルは表から。日差しを浴びて気持ちよく、眼下に小田原の町を見下ろす絶景の中を下っていく。


ドーナツ坂を下る



眼下に小田原の町


 そして小田原城。言わずと知れた戦国大名小田原北条氏の居城。小田原合戦で秀吉に敗れた後は秀吉の支配するところとなった。ここのチェックポイントも「本丸広場」なので久しぶりにお城の前まで歩く。天守閣は死ぬまでには一度上ってみたいものだ。


小田原城



小田原城銅門


 この後は二宮へと戻る。駅の北にある二宮町観光協会が運営するアンテナショップ「にの屋」へ行くのだが、すげー激坂。目の前にある町役場は斜面に沿うように建てられており、麓の1階(徒歩用かな)と頂上の2階(車用かな)に入口があった。もっと驚いたのはバイクスタンドがあったこと。そんなに需要があるのか。

 いったん下って近くの知足寺へ向かうときも激坂を覚悟したが、こちらは緩い坂があるだけでほっとひと息。曽我兄弟ゆかりの寺で、境内には曽我十郎・五郎の墓があると伝えられている。あれれ、箱根にもあるよね。国道1号のピーク付近。と思って調べるとどうも複数存在するようだ。なんでだろうね。


にの屋



知足寺


 さてランチ。地元の食堂が好きなのでチェーン店は遠慮しているのだが「丸源」だけは別格。カミさんも好きでよく食べに行ったもんだ。ということでバイクスタンドのある大磯店で「熟成醤油ラーメン肉そば」(792円)をいただく。相変わらずうまいね。


バイクスタンドがある丸源大磯店



熟成醤油ラーメン肉そば


 満腹になった後は大磯の延台寺。ここも曽我兄弟ゆかりの寺で、兄弟の剣難を救ったと伝わる「虎御石」などがあるそうだ。スタンプをゲットして折り返しただけだけど…。


延台寺


 延台寺からは少し西へ戻って滄浪閣交差点を右折して北上。湘南平(高麗山公園)を目指す。何度来ても14%の直線の上りはきつい。見上げても見上げても、そこには坂しかない。パンダまでが長いよねぇ。ようやくひと息と思ったら次は10%。あぁ…。距離1.7キロ、平均勾配9.4%、最大勾配14%。いちおうタイムを計ったけど12分弱ぐらいかな。昔はどうだったのかなと思ってブログを見返すと、なんと15年前は8分台だったそうで。衰えたなぁ。ま、足つきなしで上れたからいっか(^_^;


湘南平。もう階段を持ち上げる体力はないのよ



遙かに見えるのは大島かな


 ところでスタンプポイントの「硯水(すずりみず)の池」ってどこ? テレビ塔付近でゲットできたからその時点では探さなかったけど、調べるとハイキングコースの途中にあるもよう。曽我兄弟の弟、五郎が水を飲もうと地面を強く踏みつけた時に湧き上がった、という伝説があるそうだ。

 この日の最後は相模国十三座のひとつ、平塚の「前鳥神社」。古くから修学の神・学問の神・就職の神として信仰を集めているとか。また緑あふれる境内は「森の前鳥神社」として平塚八景に指定されている。確かに圧巻だった。


前鳥神社



30スタンプゲット(^o^)


 この日は8ポイントをゲットし、所有ポイントは37ポイントに。トータルでは83ポイント中、52ポイントゲット。

 これで30スタンプ達成賞の「魚山亭やまぶき ペア招待」への応募権を獲得(^o^) どこだろうと思って調べると丹沢湖の北の中川温泉だった。お、いいねぇ。でも自転車持ち込み可なんだろうか?

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※青山美智子(1970年愛知県生まれ。横浜市在住。大学卒業後、シドニーの日系新聞社で記者として勤務の後、出版社で雑誌編集者をしながら執筆活動に入る。2017年「木曜日にはココアを」で小説家デビュー。同作は第1回未来屋小説大賞受賞、第1回宮崎本大賞受賞。21年「猫のお告げの中で」で第13回天竜文学賞受賞。同年「お探し物は図書館で」が本屋大賞第2位。22年「赤と青のエスキース」が本屋大賞第2位。23年「月の立つ林で」が本屋大賞第5位)



●「ああ、いい作品だ」 この一言

 「エスキースとは『下絵』のこと。本番を描く前に、構図を取るデッサンみたいなものだよ。それを見ながら、あらためてじっくり完成させるって。だから1日…半日でもいいよ」。メルボルンに短期留学中で帰国直前だったレイ。「期間限定」で恋愛中のブーに頼まれ、画家の卵のモデルとなる。「青」と「赤」だけで描かれたその絵画が語り出す30年間の物語とは…。書き下ろし連作短篇集。

 ああ、いい作品だ。この一言に尽きる。

 まったく無関係に見えて、全てが見事に繋がっている素晴らしい恋愛の物語。最後の最後に「仕掛け」にようやく気がつかされるが、とっても幸せな気分になれた。清々しい読後感。「赤と青とエスキース」のタイトルはまさに「うんうんその通り」としっくりくる。すべてが分かった上で、もう一度読みたい。

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 震生湖が工事中で入れず消化不良だったので、やっぱり大山へ行ってきた(^_^;

 あつぎつつじの丘から七沢へ出て、自然観察園を経由して日向へ。日向薬師の麓で折り返し、温泉入口まで下って石倉から旧道を上って行く。清水屋へ出る前にある、キッチンカーの「大山きっちん」が営業していたので帰りにラーメンでも食べるかと思ったが、風が強くて寒そうなので悩む。


あつぎつつじの丘



日向薬師の麓



日向川


 12月6日の大山は見ごろはすでに過ぎていたが、まだ多くの人が紅葉狩りに訪れている様子だった。

 清水屋から勾配が一気にきつくなり、終盤は最大勾配12%の激坂。歩いている人をかろうじてかわして上っていく。たった1.2キロだが汗びっしょりですな。

 自転車はバス停までしか行けない。紅葉をさらに楽しむには参道を歩いて上り、ケーブルカーで大山阿夫利神社まで行き、さらに山頂を目指す必要がある。駐車場はあるが、駐輪場は見当たらない。まあ、ここに自転車でやってくるのは坂バカしかいないからねぇ。でも、一応聞いてみるかと観光案内所で訪ねると、その向かいの市営駐車場が置かせてくれるという。振り向くとすでに先駆者がいたようでフェンスに立てかけたロードバイクが目に入った。なるほど。自転車で来ても大丈夫なのか。さすがに山頂までの登山は無理だけど、せめて神社まではウォーキングシューズを持ってきて上ってみるかな。


大山



大山



大山


 さて、下山。ダウンヒルは旧道へは行かず、道幅の広い大山バイパスを気持ちよ〜く下って行く。大山は上りは旧道、下りはこちらがおすすめですよ(^o^)

 下って下って東名手前を右に入ったところにあるのが「三之宮比々多神社」。そう、「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」のスタンプポイント。神武天皇6年創建と伝わる由緒ある神社で、これで3度目の訪問だが、全てがスタンプラリー。


三之宮比々多神社


 で、「下山メシ」。気に入ったね、この言葉。少し上り返すことになるが、前から気になっていた七沢の「和風料理 おかめ」へ。創業が昭和20年と老舗なんだけど、なんとバイクスタンドがあるのよ。うな重3800円、いのしし鍋3500円に魅力を感じるが、まあ、ここは様子見で味噌煮込みうどん天ぷら付き1400円にしましょう。こしがあって美味しくいただきました(^o^)


和風料理 おかめ



味噌煮込みうどん天ぷら付き


 老舗というのにタッチパネルで注文、支払いもほぼ全ての電子マネー対応には驚いた。平日の午後1時過ぎだったけどほぼ満席で、口コミによると鰻がおすすめの行列のできる人気店だとか。次はうなぎいってみるかな(^_^;


清川村


 帰路は清川村経由。走行距離は80.4キロで、獲得標高は1054メートル。結構、上ったみたい。

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※西加奈子(1977年、イラン・テヘラン市生まれ。エジプト・カイロ、大阪育ち。2004年に「あおい」でデビュー。「通天閣」で織田作之助賞受賞。「ふくわらい」で河合隼雄物語賞受賞。15年「サラバ!」で直木賞受賞。ほかに「さくら」「きいろいゾウ」「円卓」「舞台」「漁港の肉子ちゃん」「ふる」「i」「おまじない」「夜が明ける」など)



●「死ぬまで生きる」 そんな思いが

 カナダで、がんになった。2021年コロナ禍の最中、滞在先のカナダで浸潤性乳管がんを宣告された著者が、乳がん発覚から寛解までの約8ケ月間を克明に描く。祈りと決意に満ちた初のノンフィクション。

 バンクーバーって大阪弁やったんか! ということにまず驚いた。いや、そんなことはないのだが、大阪弁の人は英語も大阪弁に訳すんかい!というのは、よく考えれば当たり前かもね。そのツッコミどころ満載の大阪弁が、がん闘病という重いストーリーの深刻さを笑いに替え、安心感さえ与えてくれる。大阪弁って便利やね。

 途中で山本文緒さんが亡くなられたことがでてきたことにも驚いた。山本さんは2021年10月13日に永眠。そうか、同じ時期だったのか。山本さんはがんで余命宣告をされ抗がん剤治療を続けたが、副作用のあまりのひどさに緩和ケアを決断した。その様子を遺作となった「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」に書き綴った。まさに命をかけた作品だった。

 「人はいつか死ぬ」。健康だとつい忘れてしまう。がん宣告はそのことを唐突に、しかし揺るぎない現実として突きつけてくる。「まさか私が」「なんで私が」。生活が一変し、始まる闘病。それもコロナ禍の上、言葉が通じず、文化も違う海外。書かれていない、もっともっと酷く辛いことがあったに違いない。そして寛解で終わりではなく、治療は続き、人生も続いていく。「本当にこれで終わりなのか」。日常を取り戻したけど「幸せすぎて怖い」。すさまじい。

 「死にたくない。少なくとも『もう死んでいいか』と納得できる日なんて、私には来ない気がする。きっと死ぬ瞬間、最後の最後まで、それはもう、本当にみっともなく、恐がり続けるだろう」。

 「がんになって良かったことは『それの何が悪いねん』、そう思えるようになったことだ。みっともなく震えている自分に『分かるで、めっちゃ怖いよな』、そう言って手を繋ぎ、肩を叩きたくなる」。

 がんになることで見えなかったものが見えてくる。「死ぬまで生きる」。闘病記を読むといつもこう思い知らされる。幸いにしてがんは宣告された翌日に死ぬことはなく、猶予期間が少なからずある。そこで何をするか。どう生きるか。自分の身体のボスは自分。自分で決められる状態なら自分で決めていきたい。先のことは神のみぞ知る。今日と同じ明日が来るとは限らないのだ。

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 突然、お荷物お届けのお知らせメールが届いた。注文した覚えはないのだがと思って品名を確認すると、「かながわ歴旅ARラリー第1章賞品」とある。なんと、当たったのか! やったぜベイビー(^o^)



 届いたのは15スタンプ賞のSKLO(スクロー)革のペンスタンド。ありがたく使わせていただきます!

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 「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」第2章「武士の世へ!いざ鎌倉から戦国探訪」の「その4」で12月3日に三浦方面へ。

 境川サイクリングロードを下り、まずは藤沢の白旗へ。交差点の先の路地を入ったところにあるのが「伝義経首洗い井戸」。住宅に囲まれた小さな公園の一角にあったので少し驚いた。奥州で自害した源義経の首は、鎌倉での首実検後に浜に打ち捨てられたと言われているが、潮にのって境川を遡り漂着した首を村人がすくい上げ、井戸で洗い清めたという伝説があるそうだ。


伝義経首洗い井戸


 そのまま国道467号を南下。海沿いの国道134号に出て逗子方面へ行き、渚橋から県道へ入り葉山の「森戸大明神」へ。源頼朝ゆかりの神社であるが、我々にとってここは裕次郎ゆかりの地だ。境内から眺められる森戸海岸沖にある葉山灯台は、裕次郎の三周忌に兄・石原慎太郎が会長を務めていた日本外洋帆走協会が寄贈した灯台であるため、裕次郎灯台とも言われている。その灯台を望む境内の海沿いには石原裕次郎記念碑も。晴れ渡ったこの日は富士山、裕次郎灯台、鳥居の絶景を綺麗に見渡すことができた。


森戸大明神



石原裕次郎記念碑から望む裕次郎灯台、鳥居、富士山


 三崎到着が午前11時過ぎだったので混まないうちにとランチ。たまにはいいかなと「まぐろ食堂 七兵衛丸」ののれんをくぐる。ここはバイクスタンドがあるのでいつも吸い込まれてしまう。中トロ、赤身、ぶつ切りのまぐろ丼3000円といきたいところだったが、「王道 活きイキ刺身定食」1900円を勧められたので素直に従う(^_^; 中トロ、赤身、メカジキ、いさき、金目鯛、こはだ、生シラス。うまいわ、やっぱり(^o^)


三崎港



まぐろ食堂 七兵衛丸



王道 活きイキ刺身定食


 お店を出てみると、行列ができていた。平日でまだ午前11時半なんですけどね。ただ、着丼が早いので開店は良さそう。

 満腹になった後は「海南神社」へ。三浦半島の総鎮守として平安時代に創建。源頼朝による手植えと伝えられ、龍の姿に見えるご神木の大銀杏があるそうな。そこまで行ってないけど(^_^;


海南神社


 次に目指すは油壺。マリーナの絶景ポイントからは富士山がくっきり。ここはお気に入りの場所だ。夕日がきれいみたいだけど、その時間に来れないのは残念。


油壺マリーナから望む富士山


 「新井城址」は解体中の油壺マリンパークの手前の路地を入って行く。三方が海に面した断崖で守りに優れた構えをしており、三浦一族がわずかの手兵で3年間籠城したという。「陸路は北方約3キロメートルの大手の引橋のみ」って、あの引橋交差点のことかな? なるほどねぇ。もう少し先へ進むと左手に油壺湾が望める絶景ポイント。で、その先は急な下りになっていたので引き返す。三浦一族は3年籠城ののちに全滅したが、その時に湾一面が血汐に染まりまるで油を流したようになったことから油壺といわれるようになったそうだ。


新井城址



油壺湾


 お次は「和田城址」。引橋まで戻って国道134号に復帰し、和田交差点を入って激坂を登っていく。和田義盛が館を構え、この地から多くの兵士が出陣し食糧が戦陣におくられるなど重要な役割を果たしていた。現在はその面影は何もなく、和田城址と書かれた石碑がある。


和田城址


 渚橋まで戻り、そのまま直進した田越橋の手前に「六代御前の墓伝説地」がある。六代御前は平清盛のひ孫の平高清。石碑があり、スタンプもゲットできたのでここで引き返したが、お墓はもっと奧にあったようだ。


六代御前の墓伝説地


 最後はちょっと回り道して「大庭城跡」へ。湘南地域の中では唯一残る戦国時代の山城で、扇谷上杉氏の築城と考えられている。麓でスタンプがゲットできなかったので上の芝生広場まで上る。


大庭城跡。ここではゲットできず



芝生広場




 これで保有ポイントは28ポイント。スタンプ獲得数は83ポイント中43。あれ、なんか少なくない? って思ったら、なんと和田城址でゲットするのを忘れていた。三浦はいずれまた行くのでいいんだけど、あの激坂をまた上るのかと思うと、ちょっとうんざり……。

 まー、それはいいのだが、撮影の際に自転車が倒れてまたキズがついちゃったよ(T_T) こっちの方がショック。

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<J1:横浜F・マリノス0-2名古屋グランパス>◇12月8日◇第38節◇日産スタジアム◇観客4万2866人

 ホームで迎えた最終戦。中2日のオーストラリア遠征の疲れがあったのか、ボールを回せるものの名古屋グランパスの守備網をこじ開けられず、枠内シュートはたった1本。湧いたのは終盤、縦パスを受けたアンデルソン・ロペスの左足シュートがポストを叩いたシーンだけだっただろうか。日産スタジアムでは最後にしてようやく今季最多となった4万人超のサポーターに勝利を届けるどころか見せ場もなく、守備のミスもあって0-2の完敗でシーズンは終了した。一桁順位の9位で終えられたことと、アンロペの2年連続得点王が救いか。


日産スタジアム



ホームゴール裏



アウエーゴール裏。2階も埋めて欲しかったよ


 金Jのナイトゲームで始まった今シーズンは、アジアチャンピオンズリーグを勝ち進んだことなどで日程がタイトとなり、日産スタジアムでのナイトゲームは15試合中10試合。そのうち平日は5試合。真っ暗な鶴見川サイクリングロードを走り続けてスタジアムを往復していたが、最終戦でようやく明るい風景の中を走ることができた。といっても、セレモニーがあったので帰りは真っ暗だったけどね。ああ、それとバクスタがもろに日差しを受けることをすっかり忘れていて、防寒対策はぬかりなかったが、帽子を忘れてまぶしくて仕方なかった。


鶴見川サイクリングロード



遙かに日産スタジアム


 そのセレモニー。選手がひとりひとり、トリコロールカーペットを歩いて登場するのだが、最後にエンブレムがある。気にせずまっすぐ歩く選手が多いのだが、たまによけて踏まないようにしている選手の姿もあった。途中で気がついたので誰がとはよく覚えていないが、最後のマリノスくん、マリノスケ、マリンちゃんは踏まないようにしっかり避けていたね。


最終戦セレモニー



中央のトリコロールカーペットを歩いて登場


 過密日程(なんと61試合)もあり苦しいシーズンで、残留争いにも巻き込まれ、情けない結果になったことは否定できない。喜田主将の「この1年を無駄にしない。タイトルがとれないことに慣れてはいけない。これを生かさなければただの悔しい経験で終わってしまう」という言葉を信じて来季もスタジアムに通おう。

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 紅葉狩りで大山か震生湖か迷った末、大山はどうせ上まで行けないし、坂もきついし(^_^; ということで震生湖にしたのだが、まさかの工事中で公園内には入れず……(T_T)

 気温が高く青空が目いっぱい広がる好天。道中では冠雪の富士山もあちこちから頭を出してくれた(^o^)


相模川から望む富士山



金目川の吾妻橋から望む富士山



金目川から望む富士山



中井町から望む富士山


 平塚インター近くの吾妻橋から初めて金目川右岸沿いの道を上流へ遡ってみた。一般道は途中で途切れたが、ダートの道が続きなんとか走ることができそう。その途中で左岸の向こうに富士山ば〜ん。え? なんか方向的におかしくない? と思ったが、金目川のこの付近は結構うねっていて、ダートが続く所は南西方向に流れていたようだ。

 震生湖は秦野方面からのアプローチ。渋沢丘陵から眼下に秦野の街、遙かに丹沢の山並みを望む絶景ポイントを過ぎ、震生湖への激坂を下っていく。その名の通り、この湖は関東大震災の際に沢がせき止められて誕生した小さな湖で、春には桜、秋には紅葉が楽しめる。

 ところが! 公園は工事中で立ち入り禁止となっているじゃないか。ほんまかいな! 聞くと来年1月まで続くそう。帰宅後に調べたところ、太鼓橋の架け替え工事を行い散策道の一部は通行止めで広場も利用できないらしい。いやはや、残念無念。公園ではない北側の湖畔は入れたのでちょっと散策したけど撮影スポットとしてはイマイチ。あ〜ぁ、ガックリ。大山にすれば良かったよ(T_T)


震生湖



震生湖



震生湖。逆光や(T_T)


 傷心はランチで癒すとしましょう。激坂を上り返した後は、中井町方面へダウンヒル。ペダルをほぼ回すことなく下って下って山の中にポツンとある、鳥取の大山どりの鶏料理店「よかんべ」を目指す。まるでテレ東で始まったばかりの「下山メシ」みたいなシチュエーションだ(^_^;

 ちなみにこの新番組の第1回は御岳山に登り、下山メシは「はらしま食堂」のアジフライ。場所はブルベのPC(コントロールポイント)でお馴染みの古里(こり)のセブンイレブンの隣。そういえば食堂があったなと一気に番組に親しみを感じた。第3回は大野山に登って(やっぱり麓にあるボクシングジムにはみんな驚くよね)、下山メシは新松田の「喫茶モンタナ」でナポリタン。ここも前を何度か通っているはず。志田未来さんが本当に美味しそうに食べるので寄ってみたいね。かたせ梨乃はいないだろうけど(^_^;

 さて「よかんべ」。「とりかつ」(定食1000円)か「揚げとり」(定食950円)でまず悩み(定食はこの2種類、あとは1500円のチキン南蛮)、次にトッピングを何にするかで悩んだ末、とりかつタルタルソースにする。出てきた料理はボリュームたっぷりで、もちろんサクサク熱々。少食なじーさんの腹にはやや多すぎの感だったけど、最後まで美味しく頂きました(^o^)


とりかつタルタルソース


 それにしてもこのお店のランチタイムは午前11時15分〜午後1時30分と短いので、寄りづらいのが玉にきずだ。

 番組だったらこれで終わりだけど、サイクリングはそうはいかない。自宅まではあと40キロ(^_^; 昔は甲斐・駿河・伊豆・相模・安房・上総・武蔵の七国が一望できたという標高182メートルの七国(ななくに)峠を越えて帰りましょう。


七国峠


 この日の走行距離は85.6キロ、獲得標高は641メートル。11月の月間走行距離は1040.5キロで1年4ヶ月ぶりの1000キロ突破(^o^)

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 フィギュア好きのニッカンがGPファイナルがあったにも関わらず、ファジアーノ岡山昇格が1面(東京本社版)とはびっくり。ほとんどの人が写真を見ても誰が誰だか分からないはずなのにね(右から田上大地、ブローダーセン、柳育崇、竹内涼、本山遥)。



 木村正明さんのメイン原稿は良かったが、略歴つけて欲しかったなぁ。岡山市生まれで付属〜岡山朝日〜東大法学部〜ゴールドマン・サックス。その後、社長となった。いつだったか岡山で観戦した際、スタジアム前で女性ファンから「あ、シャチョー」と声をかけられ気さくに応じる姿を見たことがある。そこまで名前が浸透していることに驚いた。

 そういえば、1週間前の2日付朝日新聞スポーツ面に潮智史さんのJ1クラブの企業価値に注目した記事が掲載され、東大特任教授として木村さんが書いた論文が紹介されていた。Jリーグの専務理事となって岡山から離れた後、今は東大にいるのかとこの記事で知ったが、まさかオーナーとして岡山に戻ってきていたとは知らなかった。J1定着へ、その手腕に期待。

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