世界が一気に明るくなった。緑ってこんなに鮮やかだったんだ。これが白内障の手術をまず左目から行い、眼帯を外した瞬間の印象。まさに感動した。2週間後に右目も行ったが、最初ほどの感動はなかったものの、多焦点眼内レンズを入れたためその後の日常生活で眼鏡は不要になり、新聞広告などで見かけるように「人生が変わった」ような気がする。ただ、いいことばかりでないのも事実。手術から2カ月がたった今、少し振り返って見たい。
数年前から左目が白くかすみはじめていた。最初は眼鏡が汚れているのかと思っていたが、そうではなかった。天気が良い日は特に見づらかったのだが、曇りの日や室内では普通に見えていたので大丈夫かなと思い、放置していた。ところが、昨年の夏の健康診断の眼底検査で「白内障の疑いあり」とされ、車の運転をしていても日差しがある時は左目が見えづらく、危険を感じるようになった。そこでようやく重い腰を上げ、昨年の夏ごろに眼科へ。下された診断は「両目とも白内障」というものだった。昨年に還暦を迎えた。仕方ないか。
それでも手術決行までは半年以上を要した。白内障は放置すると進行するだけ。治すには手術しかない。しかし、手術は目に麻酔をかけるが、その他には麻酔はかけない。つまり、目にメスを入れるのが分かるわけで、寝ている間に手術して起きたら終わってるよというものではないのだ。それじゃまるで拷問じゃないか。冗談じゃない。日帰りとはいえそんな恐ろしい手術に耐えられるわけがない。
ただ、「手術すると眼鏡がいらなくなるかもしれませんよ」という医師の言葉も魅力的。手術も調べてみるとほとんど痛みがないことが分かり始め、時間も10分程度と短い。ここは耐えるしかないかと決断した。
手術は術後の通院を考え、近所のクリニックモール内にある眼科で行った。特に誰かの紹介でもなく、先進医療をやっている眼科を普通にネットで調べ、自分で決めた。18年12月に手術前の検査を行い、その場であっさりと手術日程が決定。19年2月下旬に左目、3月中旬に右目となった。手術当日は風呂に入れず、その後3〜4日間も首から下のシャワーはいいが洗顔、洗髪はNGなので季節的には良かった。
手術1週間前から左目への点眼が始まる。意識はしていないが、心臓の動悸を感じるようになった。手術を目前に控え、早くも体が緊張してきたようだ。目薬はたぶん消毒などのためだろう。そして手術3時間前からは瞳孔を開く目薬を30分ごとに差す。付き添ってくれる娘が「お父さん、すごい目が広がってる」というので気がついた。鏡で見るとたしかに黒目が目いっぱい広がっている。同時に真ん中に白い点も見えた。なるほど。これが白内障か。肉眼でもはっきり見えるほど悪化していたようだ。
さていよいよ手術。上半身を手術着に着替え、目薬を点眼して手術室へ。眼鏡を外しているので何も見えない。ここでも目薬を点眼された後、左目だけが出る布をかぶせられ、まばたきができないように固定される(たぶん)。光が3つほどぼんやりと見えるだけで、ほかは目薬の影響なのか何も見えない。そして「麻酔しますよ」と言われ身構える。チクリ。あ、目に針が刺された(のかな)。少し痛い。その後は目が押されるような感じが何回か。痛くはないが、いい感じではない。「早く終わってくれ」と祈り、耐える時間が続く。意識があるだけにつらい。やがて「終わりました」という声。一気に安堵感が広がる。ふ〜〜〜〜、やれやれ。
左目に眼帯と、その上に目を守るためのアルミのようなカップ形状のものをつけられる。ものもらいではなく、白内障の手術後と、知っている人はひと目で分かるだろう。この状態では眼鏡もかけられず、何も見えない。これで明日の午前中まで過ごさなくてはならない。
長く感じた手術時間は、娘によると「あっという間」だったようだ。メールをした後、文庫本を開いたらすぐに出てきたという。時計を見ると、確かに15分ぐらいしか経っていなかった。この病院では20〜30分間隔で次々と手術が行われているようで、眼鏡をかけて手術室へ入っていった人が、眼帯をつけて出てくるシーンが一定間隔で見られた。
食事は手術後2時間後からなら何を食べてもいいが、アルコールは控えめにと言われた。ただ手術後とあってそれほど飲む気にはならず、軽く缶ビールを飲んで眠りについた。
翌日、左目には光を感じているので手術の失敗とかはなさそうだと思いつつ、娘の運転で病院へ向かう。待合室の長椅子に座っていたら、突然、看護師がきて「眼帯を外しますね」と言う。え、医師が外すんじゃないの。心の準備もないまま眼帯が外され…驚いた。世界が明るい。そして綺麗。近いところの文字もくっりき見える。しばらく周辺を見ながら感激に浸った。診察では手術が無事成功したことを確認。ひと安心だ。その後にあった孫娘の顔も、肌の細かいところまで綺麗に見えて嬉しくなった。
翌日出勤してパソコンを起ち上げてディスプレイを見ると、背景の白が鮮やか。小さい文字も見やすい。何だか薄暗いなと思っていた社内も「こんなに明るかったんだ」とびっくり。ただ、目に光りが入りすぎるのか、蛍光灯の光がすこしまぶしい感じがした。また、右目が見えない「がちゃ目」なので見づらいといえば見づらいので、仕事はちょっとつらい。この状態が右目を手術する2週間後まで続くことになる。
3日後の診察で洗髪、洗顔がOKとなったが、激しい運動は2週間はできない。右目も考えると4週間、つまり1カ月以上ロードバイクに乗れないことになる。めったにない機会なのでロードバイクはオーバーホールに出すことにした。ついでにパーツの入れ替えもすることにしたのだが、これについては改めてブログでアップ予定。
2週間後の右目手術の時は、左目が見えるため、手術室や手術前の様子がはっきりと分かった。左目の時は何も見えなかったので気にもしなかったが、見えてしまうと何だか緊張の度合いが増してくる。顔に布をかぶせれられるまでドキドキが続いた。それに今回は手術中に「じー」という目にメスを入れているような音も聞こえてくる。「あっ!」とか言ったらだめだよ、先生。「頼むよ、失敗しないで」と祈りながら、耐える。今回の方が長く感じたが、やはり15分程度で終わったようだった。
翌日、眼帯を外した時は最初ほどの感動がなかった。左目だけだと遠くの文字がぼけており、両眼だと見えるようになるかなと期待していたのだが、あまり変わらなかったからだ。それに手術の際に白目の血管が破れ結膜下出血となっていたので、少し痛みがあり、見え方にも何となく違和感があった。この結膜下出血は10日後ぐらいに治った。
左目を手術して1カ月後ぐらいに視力が安定してきた。右目が1・0で左目が0・7。裸眼で車も運転できるし、新聞も楽に読め、電車内の路線図も見える。料理の時にスマホのレシピを拡大しないでもいい。日常生活はほぼ問題なく、眼鏡は不要になった。この意味では「人生が変わった」といえるだろう。高校時代から眼鏡のお世話になり、大学時代から30代まではコンタクトだったが、40代からは眼鏡に戻っていた。眼鏡のない生活はやはり楽だ。お風呂で湯船につかっている時に、上を見たら換気扇の汚れが目に飛び込んできたのにはまいったが…。
ただこの視力では少し遠いところの文字が読めない。10メートル先の人の顔もぼけている。テレビでサッカーを見ても背番号が判別できない。日産スタジアムでのサッカー観戦も厳しそうだ【注】。あ、バッティングセンターのボールもよく見えないかな? ということで、サッカー観戦など少し遠方を見るための眼鏡を作ることにした。遠視だけだと手元が見えないので遠近両用。視力は矯正して1・2となった。もうひとつ。30センチ以内の至近距離はぼけてしまうので、ハズキルーペも購入。細かい文字の取り扱い説明書を読む時や、自転車のメンテナンスなどの細かい作業の時に必要だ。
1カ月経過した時点では左は近くがよく見え、右は遠くがよく見えるようになった。利き目とかの関係でこうなるのだろうか。原因は医師もよく分からないらしい。
さて、いいところだらけのように見える多焦点眼内レンズだが、欠点がある。薄暗い所や暗いところで、グレア、ハローといい光がぎらついたり光輪が出たりして見えることがあるのだ。街灯や地下鉄の駅などの蛍光灯の光がぼあっとふくれあがったようになり、車のヘッドライトや尾灯の光が同心円状の輪になって見える。夜の車の運転はかなりつらそうだ。ということは自転車でも同じ。ブルベのナイトランが少し心配になってきた。2〜3カ月で軽減すると言われているが、果たしてどうなるのか。現状ではまあまあ気になる感じだが、眼鏡不要の生活になったことの方が大きいので我慢の範囲内。時が解決してくれるのを祈ろう。
眼鏡不要になったことで購入したものがもうふたつある。車を運転する時のサングラスと、自転車用のアイウエアだ(^o^)
【注】13日に日産スタジアムで横浜-名古屋戦を観戦。アウェー側の1階席からだったが、やはりぼけていて背番号が「6」が「66」に見えるなどよく分からなかった。マリノスは背格好でだいたい分かるが、グランパスはジョー、アーリア以外誰が誰だか分からず。眼鏡を作ったが16日にできるので間に合わなかった。
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