3月11日午後3時前。東京・築地の会社にいた。
トイレから席へ戻ろうとしている時に揺れ始めた。また揺れてる? すぐ収まるだろうと思ったが、揺れは激しさを増しているようで収まる様子はない。
ええぇ…? まさか…。
何人かが机の下にもぐり込んでいるのが見えた。立ったままいると下半身ががくがくと震え始めた。長い。あまりに長い。こりゃ、やばいぞ。慌てて自分も机の下にもぐり込む。こんな経験は初めてだ。
周囲には倒れてくるようなものはなかったが、生きた心地がしない時間が過ぎていく。このまま「ドカン」ときて、終わりになってしまうのか。
ようやく揺れは収まった。恐る恐る机の下を出て、自分の席へ戻る。
「いやぁ、すごかったですねぇ」と、ちょっとほっとしながら周囲の人と話していると、また揺れが襲ってきた。
恐怖を感じた。地震に対して、これほどの怖さを感じたのは初めてだった。
震源は宮城沖。震度は7。6メートルの津波がくる。確か、テレビがそんな地震速報を流していた。そして画面を見ると、お台場が燃えている。大変なことになった。
ここで周囲にうながされ、会社の外へ出た。すでに周辺の会社からも多くの人が、会社の目の前にある公園に避難していた。
揺れは収まらない。立っていてもぐらぐら揺れているのを感じ、まるで船酔いのような状態。気持ちが悪くなってきた。一体、いつまで続くんだろう。
中央区から震度6弱とアナウンスがあり、しばらくしてそれは震度6強と訂正された。
ワンセグの画面では、信じられないような津波の様子が映し出されていた。
家族には最初の地震発生後にメールで安否を聞いていた。しかし、返事はなく、その後ドコモの携帯もiPhoneも自分の方からは通話もメールもできない状態が続いた。
だが、ツイッターは生きており、すでに「地震だ」「東横線が止まったよ」などと書き込みがあった。
余震が何度かあったが、小一時間ほどたつと落ち着いたような感じとなってきた。
そうだ。帰らなくちゃ。明日は久々のブルベなんだよ。でも、電車は動いていないらしい。じゃ、歩くか。ここにいても時間がもったいない。不安だったが、荷物を取りに会社へ戻り、42キロ先の自宅へ向けて歩き出すことにした。時間は午後4時ごろ。時速5キロとして午前0時には着くだろう。まさか、本当にこんな日がくるとは思ってもみなかった。
明日がブルベなので、この日は自転車通勤をしていなかった。痛恨だったが、仕方ない。途中で自転車を買うという手もあったが、銀座のドンキには手頃なものがなかった。
築地の会社を出て、新橋方面へ向かう。すでに歩道は人があふれていた。
首都高の銀座入口はすでに閉鎖されており、バスが入口に立ち往生していた。
新橋駅の地下鉄入口には「東京メトロ全線運転見合わせ」の張り紙。JRの駅では「JR全線は運転を見合わせており、復旧の見込みはありません」とアナウンスしていた。
バスに乗ることも考えた。まだそれほど混んではいなかったので目黒あたりまでは行けそうだったが、これから始まる大渋滞を考えると、歩いた方が自由がきくのでやめにした。
西新橋あたりで雨が降り出した。最悪の事態になるかと思われたが、しばらくしてやんでくれた。
愛宕東急インでトイレを借りたとき、下の娘からのメールに気がついた。「お母さんと私は家にいて無事」。良かった。だが、こちらからの電話は通じない。メールもダメ。
赤羽橋の交差点を渡っている時に、上の娘からの電話に気がついた。何度も何度も電話して、ようやく繋がったようだ。無事で、町田にいるという。これで家族全員の無事が確認された。ひと安心。
実はここまでのルートはいつもの自転車通勤のものとは全く違う。なるべく人の少ない方を選んで、曲がっていたらこうなってしまった。ともかく銀座から新橋周辺の歩道はすごい人の波だった。
三田国際ビルで信号待ちしていると「あれ? 東京タワーの先、曲がってね?」「あ、ほんとだ」という会話が聞こえてきた。見ると、右か左か忘れたが、確かに少し曲がっていた。
慶大付近からいつもの自転車通勤ルートを歩いた。歩道は相変わらず多くの人が歩いていたが、桜田通りを離れ、白金から恵比寿へ向かう道へ入るとぐっと少なくなってきた。
このあたりでツイッターを始めた。午後5時26分。「なんで自転車通勤しなかったのか。ただいま白金台。あと30キロ…」と書き込んだ。メールも電話もできないが、ツイッターはあっさりできた。上の娘は、私がツイッターをやっているのを知っているので、気がついてくれればといった気持ちだった。
恵比寿駅に到着。「JR全線は運転を見合わせており、復旧の見込みはありません」とアナウンスはあるが、私鉄がどうなっているのかは教えてくれない。ただ、自分としては事態をまだ甘くみており、二子玉川あたりに着けば電車は動き出しているのではという見込みを持っていた。
駅を出て駒沢通りに出ると、歩道はすごい人。みんな自宅を目指して歩いている。なぜか下り車線沿いの歩道の方が人が多いので、帰宅方向へ向かって右の歩道を歩く。
コピーした地図やコンビニで買ったと思われる地図を見ながら歩いている人もいる。歩いて帰る気になったんだから、ここにいる人たちの自宅までの距離は10キロ前後なんだろうなぁ。おれんちは多摩川超えて、東名横浜インターの先なんだよ。遠いなぁ。でも、自転車通勤してルートが分かっているし、ブルベも走って長時間の有酸素運動には慣れているから歩く気になったんだよなぁ。
このあたりではまだ元気だった。遅い人を抜きながらスイスイ歩いていた。
柿の木坂あたりのコンビニに入ってトイレ。食料も調達しようとしたが、パンもおにぎりもない。まるでブルベライダー100人が通り過ぎた後のような感じ。レストランに入ると時間がかかりそうだし、このまま歩くか。あ~ぁ、恵比寿で富士そばに入れば良かった。
午後6時36分。歩き始めて2度目のツイート。「もうすぐ駒沢公園」。歩いた距離は15キロ前後。環七を越え、駒沢公園近くになると、歩いている人の姿がまばらになってきた。
深沢不動交差点のセブンで肉まんとジャンボフランクを補給。ここもパン、おにぎり、弁当の棚には何もなかった。
何だか、ブルベみたいな様相を呈してきた。
「渋谷から歩いてるんだけど…」。電話している声が聞こえてきた。迎えを求める電話だろうか? オレは築地から歩いてるよ。自慢するわけじゃないけど…。で、カミさんはペーパードライバーなので迎えは期待できない。歩くしかないんだよなぁ…。
携帯電話は相変わらず繋がらない。iPhoneも。ドコモもソフトバンクもどうした? 実家のおやじから電話が入っているのは確認できるのだが、こちらからは電話できない。公衆電話も並んでいて(こんな光景は久しぶりに見た)ダメだ。頼れるのはツイッターとフェイスブックしかないようだ。
二子玉川到着。長い間工事していた道路拡張が完成したようで、二車線道路となっていた。自転車通勤しながら、早く二車線にならないかと思っていたのだが、まさか二車線になったことを歩きで確認しようとは夢にも思わなかった。
バス乗り場は渋谷など首都圏の駅ほどではないが、長蛇の列。やっぱり電車は動いてないんだ。ここで自宅までの歩きを覚悟する。あと22キロ。まだ半分も歩いていないのか。ふぅ…。
午後7時54分。多摩川を越える。
二子橋は国道246号を歩いてきた人で埋め尽くされていた。下流側しか歩道がないからねぇ。車道にはみ出して歩いている人も多数。そして逆走してくる自転車も多数。車が渋滞して動かないからいいようなものの、危ないなぁ。
二子橋から大山街道へ人の波が動いているので、右斜めへ入り、R246方面へ。
溝の口の先だったか。小さな会社が「WCあります」という手書きの看板を置き、トイレを開放していた。自宅までの道中で、ここだけだった。会社名は忘れたが、非常時にこういう対応ができる会社はすごい。社名を覚えられなくて申し訳ない。
梶が谷から馬絹への下り坂。歩道はR246を外れ側道となるが、真っ暗だった。都会にも街灯もなく、こんな所があるんだと思いながら下っていったが、信号までが消えていた。停電だった。だが、特に警官がいるわけでもない。大量の歩行者に圧倒され、車はゆっくり走っていた。
このあたりのアップダウンで足腰に痛みが出てきた。歩くのがつらい。特に下りは。歩くペースはダウンし、女性も含め、速い人に抜かれるようになってきた。
いつもはガラガラの宮崎小学校入口交差点先のそば屋は満員。新石川の中華屋も大盛況。歩き疲れた人たちが、空腹を満たし休憩していた。
だが、有馬の24時間マックは営業していなかった。新石川の先のマンションの窓は真っ暗。ローソンも営業していない。このあたりも停電していたようだった。
明かりが復活していた江田駅前通過が午後9時52分。足は限界。もう歩きたくなかったが、歩くしかない。あと10キロ。自転車だと、帰った感があるこの場所もこの日は先が見えない場所でしかなかった。
R246は下りより、上りが渋滞していた。お迎えだろうね。
だんだんとまばらになってきた歩いている人。電車と同じで、青葉台を過ぎるとまた減ってきた。
歩道脇で座って足をもんだりして、休んでいる人が目に付くようになったのもこのあたりだった。みんな長距離を歩いてきている。つらそうだった。
休憩が増えてきた。だが、座り込んで休んだ後、立ち上がるのがつらい。休憩しないで歩き続ける方がいいのだが、赤信号だと思わず座り込んでしまう。ここまでダメージがあるとは…。フルマラソンを走る人は偉大だ。歩くだけだってつらいのに…。
長津田の坂を上りきって、つくし野アスレチックに出たのが午後11時44分。もう数人しか、周囲に歩いている人はいない。ここから自転車だと十数分しかかからない。だが、実際に自宅にたどりついたのは午前1時。歩きだと1時間以上かかった。
9時間かけて、築地の会社から42キロ先の自宅に帰ってきた。明日、いや今日のブルベは当然ながら中止。たとえ開催されていても、走れる状態ではなかったけどね。
帰宅後、初めて映像で津波の恐ろしさを知った。こうして生きていることに感謝するしかない。
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