お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
?



ブログを長い間、放置してしまいました。
申し訳ありません。

実は、妻が2012年5月8日に天国へと旅立ちました。
47歳。肺がんでした。

…あれから4ヶ月以上が経ち、ようやく気持ちが落ち着いてきました。

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 2010年4月、妻と僕はツール・ド・草津に参加しました。妻は初めてのヒルクライムレースでした。妻は途中で足を着くことなく一生懸命走りました。


ツール・ド・草津のレース前。湯畑にて



ツール・ド・草津を走る妻


 このレースの後に受けた検査で肺がんが発見されました。不幸なことに進んだ状態で、手術はできず、放射線治療もできず、頼りは抗がん剤治療だけでした。何もしなければ「余命は半年」と言われました。

 妻は気丈に現実を受け入れ、ちょうどサッカーの南アフリカW杯が始まる時期に闘病生活に入りました。

 僕のブログの更新がストップし、ブルべやレースに参加できなくなった時期でもあります。タバコもこの時にやめました。

 妻は月1回のペースで神奈川県立がんセンターに入院するようになりました。

 妻は、入院用の荷物を詰め込んだバッグをママチャリの荷台にくくりつけ、自宅から瀬谷、三ツ境、希望が丘のアップダウンを越えてがんセンターへ入院に行くという武勇伝を作り、病室では鉄アレイで鍛えるなど元気ながん患者でした。

 1年半ぐらいは、がんは大きくならないが小さくもならないという状態でした。僕は休日の自転車をやめ、妻の体力維持のためもあって、東京の下町や、テレビ朝日「ちい散歩」で紹介された場所の散歩を二人で始めました。今思えば、貴重な二人の、そして充実した時間でした。ちいさんが妻の後を追うように亡くなられたことは不思議な縁を感じます。

 しかし、抗がん剤の副作用で妻の体力は徐々に落ちていきました。歩くスピードも落ち、休む回数も増えてきました。

 念願だった北海道旅行は昨年の6月に行きました。釧路から入り、知床から網走を回るコースでした。知床五湖をガイドツアーで歩いたのですが、妻は歩みは遅いですが、最後までしっかり歩けました。


北海道旅行の知床五湖にて


 このままがんと付き合いながら少しでも長く生きていけたらいい。そう思っていたのですが、今年に入って肺に水がたまるようになり、状態は悪化。5月8日に帰らぬ人となりました。6月に予定し、楽しみにしていた2度目の北海道旅行には行けませんでした。

 亡くなる前日、僕は病院へ行き、妻と医師と話し合いを持ち、今後は自宅療養とすることを決めました。試す抗がん剤はまだありましたが、妻が少し休憩したいと申し出たからです。妻の体力は落ち、歩くのはまさに亀の歩みで、酸素も必要としていました。でもまだ元気でした。その日のお昼は僕が二俣川で買ってきたおこわ弁当をペロリと平らげてました。

 僕はその日のうちに市役所へ行って介護保険の申請をし、自宅介護のサービスをしてくれる医院と連絡、そして保険会社にリビングニーズの申請の連絡をしました。

 手続きが終わったことをメールすると「これからが勝負だね」と返信がきました。どこまでも前向きな妻でした。僕の誇りです。

 その夜、実家の岡山で一人暮らしの83歳の父が倒れたと連絡がありました。隣に住んでいる幼なじみから「様子がおかしい」と連絡が入り、一カ所だけ鍵のかかっていなかった窓から入ってみると、台所で父が倒れていたそうです。くも膜下出血でした。

 僕に兄弟はいません。母は10年前に亡くなっています。翌朝、始発の新幹線で岡山へ帰り、集中治療室にいる父の様子を見て、いったん実家へ戻り片付けをした後、医師と話をするため病院へ向かおうとしていた、その時でした。

 妻の見舞いに行っていた長女が、大泣きしながら電話してきました。
「お母さんが死んじゃったよーーー」。

 父のことは親戚に任せ、横浜へとんぼ返りしました。

 僕が妻と対面できたのは、それから4時間以上経ってからでした。

 娘が行った時は普通で「お昼は何を食べようか」と言っていたそうです。急変でした。

 大好きな娘に看取られて妻は旅立ちました。でも、僕が看取れなかったのは無念でなりません。父の事がなくても、その日は仕事だったので同じ結果でした。でも、悔しい。

 妻は葬儀は無宗教、お骨は散骨するか桜葬、樹木葬がいいと言っていました。こういう話し合いができるのも、がんだからでしょう。湘南の海に散骨しようと当初は思っていましたが、桜葬墓地に空きがあったのでそこにしました。鶴川街道のピークにある公園墓地です。テレビで紹介されたこともあるようですね。2段埋葬ができるようなので、僕の分も含めて買いました。

 父は2度の手術を行い、今は倉敷のリハビリ病院で回復に務めています。3~4週に一度の割合で岡山へ帰る生活が当分続きそうです。

 自転車は2ヶ月間乗る気になりませんでしたが、7月あたりから徐々に乗れるようになってきました。ただ、体重は増え体力はガタ落ちしているので、ブルべ復帰は来年になるでしょう。この前、ヤビツにいったら蓑毛までしか上れませんでした。

 また一からですが、ボチボチと走り出していきたいと思ってます。また、よろしくお願いします。

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