(前編から続く)
「一生懸命に登った碓氷峠を下って帰ってみたい〜そんな想いに駆られたことはありませんか?」。こんな誘いに乗って4月21日に開催されたランドヌ東京主催の「2018 BRM421東京400 いってこい信濃追分」に参加。上り基調の往路はいくつかの誤算もあったが、なんとか碓氷峠までやってきた。あとは下って駒沢公園まで帰るだけ。ブルベは終わったも同然と思ったのだが、甘かった。ここからが本当のブルベだったのだ。
追分にあるシャーロック・ホームズ像
178キロ地点となる碓氷峠には午後3時半に到着。ここからは軽井沢を抜け、追分宿の先の浅間サンライン入口を右折して、202・5キロ地点のローソン小諸インター店まで行って折り返す。「サンライン」って何だろう? コースプロフィルをみると何となく下っているけど、ま、たいしたことないだろうとたかをくくり、調べもしなかった。ところが、ここに地獄のアップダウンが待っていたのだ。ブリーフィングで「こっちの方がきつい」みたいなことを言ったようだが、聞いちゃいなかった。
そんなこととはつゆ知らず、軽井沢の町を疾走。標高1000メートル近いが気温は24度。ウインドブレーカーをはおることもなく、中軽井沢までの平たんを、一度水分補給でストップしたが快調に走っていく。
中山道(左)と北国街道の分岐点の「分去れ」
中軽井沢から追分宿付近までは上り。中山道と北国街道が分岐する「分去れ(わかされ)」は、追分宿交差点の先にある。追分宿は国道の北側にあるので帰りに寄ることにして、分去れのすぐ先にある浅間サンライン入口交差点を右折した。
途端にありえない急坂が待っていた。これがしばらく続く。そして道は下り基調のアップダウンとなり、終盤は豪快な直線の下りが続く。下った勢いで次の上りがペダルを回さないでも上れてしまう。このまま通り過ぎてしまうなら最高の道だが、これを上り返さなければならない。途中から「下りたくないよー」と絶叫しながら下っていった。
折り返しの「小諸インター北」交差点
202・5キロ地点の折り返しとなるPC3ローソン小諸インター店には午後4時39分に到着。貯金は3時間7分で、200キロブルベなら10時間39分で完走となるが、今回は400キロブルベ。まだ半分だ。
相変わらず吐き気がするので、補給はチーズバーガー1個。暑かったのでクーリッシュで体を冷やし、上り返しをスタートした。
こう配は8%
折り返してからこう配表示が何度か現れたが、すべて8%だった。きついはずだ。
急坂をよろよろ上っていたら、ブルベライダーにあっさりとかわされ、あっという間に後ろ姿も見えなくなった。たしかPCで「あの下りを上り返すと思うと嫌ですね」と嘆いていた人だと思うのだが、そんなに元気よく上れるなら嘆く必要もないだろうに。こっちは足がつりそうなのに。と思っていたら、ついに左足がつった。ゆっくり回してけいれんが治まるのを待とうとしたが、ダメ。転倒しそうになったので自転車を降りてしばらく痛みに耐えた。この区間がこんなにきついなんて…。第4の誤算だ。
けいれんは完全には消えなかったが、ペダルが回せそうだったのでリスタート。その後はトルクをかけないように、だましだまし回した。PCから浅間サンライン入口交差点までは13・5キロで、標高差は215メートル。下り基調の行きは43分、上り基調の帰りは倍の1時間20分かかった。恐るべし浅間サンライン。
地獄のアップダウンだった浅間サンライン
再び分去れまで戻ってきた。ここで撮影タイム。
右が北国街道、左が中山道だ。
中山道(左)と北国街道の分岐の「分去れ」
「分去れの碑」の横には
【右、従是北国街道 左、従是】
中山道と北国街道分岐点に位置する「分去れ」は、今も賑わったありし日の面影をとどめている。
右は北国街道姥捨山の「田毎の月」で知られる更科へ。左は中山道で京都へ、そこから桜の名所奈良吉野山へ向かうという意味である。
と記してある。
その昔、長旅の途中で親しくなった旅人同士が、別れを惜しみ、ともに袂を分けて旅を続けたといわれるのがその名の由来だという。
今までのブルベではすべてこの手前の追分宿を左折しており、車でも来たことはなかったので分去れは初の訪問。自転車なのでゆっくり雰囲気を楽しめた。このブルベはここへ来ることが最大の目的なのだが、もうひとつ楽しみがあった。追分宿の散策ガイドを眺めていたらシャーロック・ホームズの像があるらしいことが分かった。ホームズファンとしてはぜひ見てみたい。地図で見ても位置がよく分からなかったのだが、分去れ近くに標識があり、それに従って行ってみると北国街道沿いの林の中に発見した。
林の中にあったシャーロック・ホームズ像
しかし、なんでこんなところにホームズ像が? と疑問に思ったが、「翻訳家の延原謙が追分でシャーロック・ホームズの物語を全訳したのにちなんでこの地を選び、ホームズ登場100周年を記念して有志一同が建てた」と銅像脇に刻まれており、なるほどと納得。
さらにコースを少し外れ、追分宿交差点から旧中山道へ入ってみた。
趣のある道で、しばしブルベを忘れた。
左へ行くと追分宿。右が国道18号
中山道の追分宿
桜が咲いていた
追分宿郷土館
さて、国道18号(日本ロマンチック街道)に戻り、ブルベ再開(^_^; 信濃追分付近がこのブルベの最高標高となる1003メートルだった。
日が落ちる前に碓氷峠のダウンヒルができるのか。まだ明るいが、時刻はそろそろ6時。この日の日没は午後6時27分。碓氷峠までは約10キロ。ぎりぎりだ。だが、途中で気温表示を見ると18度。ダウンヒルが寒いかもしれないので、峠直前でストップし、アームウオーマー、レッグウオーマー、モンベルの超軽量ウインドブレーカーを身につけた。レッグウオーマーをつけるときに日焼けの跡が痛かった。風呂でしみるだろうなぁ(T_T)
午後6時27分、碓氷峠に帰ってきた
碓氷峠に戻ってきたのは午後6時27分。日没時間だが、明るさは残っている。間に合った。
傾斜も緩く、舗装は綺麗。車もほとんど通らないので気持ちのいいダウンヒルを楽しんだ。
午後6時45分、めがね橋
めがね橋付近から徐々に暗くなり、カーブ1のあたりでは真っ暗に。最後の直線の下りはあまりスピードが出なかったので、本当に緩いんだなと実感した。
ダウンヒルは終わったが、寒さを感じたのでおぎのや手前でストップ。長袖インナー、ウインドブレーカーを着込み、グローブも指付きに替えた。これで持ってきたウエアは全て。これ以上寒くなっても耐えるしかない。
行きもストップした、国道18号離脱前のPCではないセブンイレブンで再びストップして休憩。残りは160キロのナイトランだ。ここで第5の誤算。というか準備不足。ヘルメットにつけているヘッドライトを点灯してもキューシートがまったく見えないのだ。光量不足なのだろうか? そういえば前もそうだった気がする。まあ、街灯のあるところでストップして確認すればいいや、来た道を帰るだけだしと楽観的に構えたが、これが自分の首を絞める結果となったのはいうまでもない。道志みちや国道1号などの1本道を帰るわけではないのだ。
帰宅後、電池を交換するとちゃんと見えた。面倒がらず替えれば良かった。
さてキューシートによると、この先の歩道橋を渡れとある。確かに行きに出てきた道は、こちらからは進入禁止。しかし「歩道橋を渡る」なんてキューシートは初めて見た。これまでのブルベは手前の五科を曲がっていたので、そっちでもいい気がするのだが、どうしても同じ道を行かせたいらしい。
言われるまま、歩道橋を出たところを不安を感じながら国道とは反対の右へ行き、突き当たりを左へ。キューシートには「新堀一里塚跡方向へ」とあるが、真っ暗でそんな標識は見えない。下っていくと、大きな道に出た。もしかして国道に戻った? そう思いキューシートとは逆の左へいってみると歩道橋とさっき休んだセブンイレブンが見えた。なんだ、正解だったか。Uターンしてしばらくすると、ブルベライダーに抜かれたので意を強くして走り続ける。というか、はぐれないように後を追う(^_^;
交差点ごとにキューシート確認で明るいところでストップするので遅れ気味になるのだが、国道254号に出るところの信号で追いつきしばらくは後ろを走る。やがて先行するライダーがコンビニに吸収されたので途中からはひとり旅となったが、上大塚西を曲がるまでは18・3キロの1本道なので安心して走り続ける。
285・0地点のPC4セブンイレブン神川八日市店には午後9時28分に到着。貯金は3時間32分と、下り基調にもかかわらずPC3からは25分しか増えていない。夜でスピードもそれほど上がらず、キューシート確認でストップしまくっているせいだろう。
吐き気は相変わらず続いているので、固形物はやめゼリー状の朝バナナを流し込んだ。
この頃から眠気が襲ってきたが、次のPCまでは行けるだろうと眠気覚ましのメガシャキを噛みながらスタート。このあたりは何度か走った道なので夜でも安心。軽く歌を歌いながら走り続けたが、335キロの高麗神社付近でさすがに眠気には勝てなくなり、高麗本郷を過ぎたあたりにちょうどいいベンチがあったので少し横になった。
眠れはしなかったが、多少のリフレッシュはできた。あと70キロだ。
岩井堂から青梅坂下の7・2キロは長かったが、迷うことなく352・0キロの最終PC「セブンイレブン青梅畑中3丁目店」に吸い込まれた。キューシートによると突き当たりを右なのだが、真っ直ぐ走っていたら自然とセブンイレブンが見えてきた。
時刻は午前1時39分。貯金は3時間49分とPC4からは17分しか増えていないが、ようやくゴールが見えてきた。
さすがに腹が減ったのでおにぎりを補給し、暗闇の中へリスタート。しばらく走ったが、首筋が寒くて耐えられなくなったのでセブンイレブンでネックウオーマー替わりにタオルを購入し、首に巻いた。
予想では軽井沢より夜中の方が寒いと踏んでいたのだが、その通りとなった。PCではあいこちから「寒い」という声が聞こえてきた。準備の際、最後にネックウオーマー、冬用手袋をやめ、ウインドブレーカーも厚手から薄手のものに替えたのだが、これを後悔しながら寒さに耐えていた。タオル1枚だが生き返った心地がした。
国道411号を鯉川橋で左折してからがキューシートとの戦いだった。朝と夜で風景が違うこともあり、362キロ地点で右折するのを直進してミスコースしてからは不安だらけ。これはすぐに気がついて引き返したが、その後は半信半疑。明るいところで何度もストップしてキューシートを確認。最後はルートラボでも確認し、ルート上にいることを知って安心。また、朝見た屋台のやきとり屋も発見し「よっしゃ!(^o^)」。
このあたりから「多摩ポタ」ジャージの方と一緒になった。というか、序盤からほぼ同じペースでほとんどのPCで出会い、道中も何度か前後して走っていたのだが、ここからも相前後しながらお互いにコースに悩みながらゴールを目指すことになった。
悩んだのが秋川を渡った先。往路は運動場の間を走ったのだが、復路は直進とコースが変わる。そして激坂が待っていた。ここで再び足がつった。ストップしてけいれんが治まるのを待つ。
左折する「左入町東第二」交差点はここかなと眼を凝らしていたら、「多摩ポタ」ジャージさんが戻ってきた。どうやらミスコースのもよう。でも暗いし、交差点名も消えそうなので信号が青なら直進してしまっても無理はなく、罠としか思えない。この先でようやく往路と同じ道に復帰。あとはだいたい分かるのでひと安心。
浅川を渡った先で、またしても迷っている様子の「多摩ポタ」ジャージさん発見。ここからは2人でトレインを組んで走り、連光寺のきついのぼりでも遅い自分につき合ってくれたのだが、矢野口手前で眠気に勝てず離脱。コンビニ前でしばらく休憩した。このころからようやく明るくなり始めていた。
残り15キロは迷うことなく、ゴールの駒沢公園まで単独走。硬式野球場・北側広場に滑り込むと「多摩ポタ」ジャージさんの姿も見えた。時刻は午前5時21分で、タイムは23時間21分。貯金は3時間39分と最終PCからは10分減っていた。
午前5時21分、駒沢公園にゴール
上り基調の往路は10時間39分。下り基調の復路は12時間42分。今回のナイトランの厳しさを現す数字となった。というか、体力の無さかねぇ。誤算もいくつかあったし、復路は巡航速度もかなり落ちていた。でも、終わってみれば楽しいブルベ。駒沢から自宅への国道246号の自走25キロは暑さもあって辛く、2時間近くかかったが、帰宅後にシャワーを浴びてすっきり。朝からうまいビールが飲めた(^o^)
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