”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ヨット編(21)

2006年06月14日 23時47分16秒 | 趣味

6月14日(水)晴のち曇
だいぶ暑くなってきました。明日からは雨が続くようで、いよいよ梅雨本番と言う所でしょうか?あさって休みをとってゴルフに行く予定ですが、雨だろうし骨折あけなのでかなり心配ですが動かさなければリハビリにならないので恥を承知でチャレンジします。

さて今日のヨットの話は仲間たちのことを書いてみます。まずは学生時代いっしょに合宿し、練習した仲間ですが今ではみんな全国にちらばってそれぞれ家庭を持ちやっています。不思議なものであれ以来35年近く経つのに、毎年年賀状だけはやりとりしているし、3年前にみんな僕のヨットに集まって30年ぶりの旧交をあたためました。南は宮崎で歯科医をしているH氏、彼とは2年間下宿も同じで、ヨットに山にいっしょに行ったものでした。それから大阪のK氏、彼とは三重に勤務していた頃志摩に別荘を作ったので、いっしょに船に乗ったり、別荘でBBQしたりでした。今の船にも何回か来ていたのですが、最近若狭湾でカヌーに夢中とのこと。もう一人大阪のY氏、3年前には仕事の都合で急遽来れなくなったけど、今では親のあとをついだりっぱな経営者。それから奈良のN氏、息子のサッカーの試合にいつも行っていてヨットはずっと離れているようだけど、学生時代はOBになってもヨットを続けている最有力候補だったのにね。僕とまったく逆になっています。福井のT氏、僕が新入社員で福井勤務になった時土日はいつもごちそうになりに行ってました。彼のお母さんのお供で”さつき”の展示会に行き、購入した”さつき”を運ぶのが僕の仕事で彼はその間家でゴロゴロしてたのですが今では県の農業試験場の偉い方になっているようです。滋賀出身のT氏、船が好きで造船会社に入社し、今は外国で船の検査をしています。造船不況後はほとんど外国が舞台の唯一の国際人。愛知・名古屋には僕を含めて3人、いつも僕の相棒をしてくれるY氏、唯一同じ学科で学生時代から食べ物がなくなると食べさせてもらってました。僕がヨットをできるのも彼がいるからこそです。そしてもう一人は骨折の主治医でもある整形外科医のO氏。彼にはもう2回も骨折の度に世話になっています。車が趣味ですごい外車2台持って、僕らの船にも時々クルージングを楽しんでます。神奈川には自称画家のO氏彼の結婚式の司会を僕にさせてくれました。当時人前でしゃべるのがあまり得意でない僕に自分の結婚式を練習台にしろと言ってくれた心やさしいロマンチストです。千葉にはE氏、子供にヨットに関係する”航”とか”帆”とかつけてたり、学生時代には船大工修行をしたり当時ヨット好きの彼も今では穀物関係のエリートビジネスマン。一人も欠けることなくみんな頑張っています。僕の学生時代の友達はヨット部以外にもいっぱいいたけど、この年になって残っている友人は同じ釜のめしを食べ枕を並べて寝ていた彼らだけになってしまいました。
みんなヨットに集まってきたのはひょっとすると”忘れかけていた青春”を取り戻したかったのかな。年はとっても心はみんな青春のままだと思います。ただ大人になると心を見せないようにやっているだけかもしれません。これがストレスや疲れを生み出すもとになるのかも。
それではまた。