10月19日(月)晴
毎年10月は頭を悩ます日々が仕事では続きます。今日はやっと一区切り着いたので明日は休ませてもらいゴルフに行ってきます。最近プライベートのゴルフは平日が中心です。その方が混んでいないし、料金も安いので自分にとっては一番都合が良いのです。このところ土休日が続いていたので久しぶりの平日ゴルフです。頭の痛い話は忘れて楽しみたいと思います。
週末には高校時代のクラス会が浜松であります。これもまた楽しみです。今月はまだこれからまた悩まされる仕事もあるので休日はすべて忘れて楽しみたいものです。自分にとっていっしょに仕事をする仲間達は誰も一生懸命やってくれるし、それぞれ持ち味は違うけど、それなりに成果もあげてくれているのですがこの時期は評価や査定もしなくてはなりません。全体の比率が決まっているのでしかたのないことですがほんとうに悩みます。まぁそんなことは誰も知らなくていいことですが、それによって喜ばれたりうらまれたりするのかもしれませんが、それぞれの将来のために最善を尽くしているつもりだけど、短期レンジで見たらほんとにつらいケースもあります。
ただ長い目で見てもらえば必ずわかってもらえるとも思っています。
しめっぽい話になってしまったのでちょっと方向転換します。いままで時々日本人のルーツを調べている話をしたことがあると思いますが、現在伊勢神宮と出雲大社のルーツに関する文献をいろいろ読んでいますが、文字が伝わったのが仏教伝来の頃ですから、仏教文化に対抗して日本古来の神々が創造されたように思われてなりません。確かにそれに近い崇拝の対象があったことは事実でしょうが、日本書紀に書かれた神話は推古天皇の時代以降の話のようです。伊勢神宮にしても天武天皇や持統天皇の時代(600年~700年)頃つくられたものです。出雲大社もその頃前後して造られたようです。ただし僕の個人的見解ですが出雲大社は元々杵築大社と呼ばれ龍蛇を祀っていたことや対馬海流に乗って南西諸島や朝鮮半島から簡単に流れ着くことができたことを考えると大陸や南西諸島の帰化人が祀っていた神様だったかもしれません。
出雲の青銅器の遺跡も帰化人と関係あるのではないかと勝手に思っています。大和朝廷は彼らの力を借りて日本国を造っていったと思うのですが詳しいことはまったくわかりません。現代から古代を知る手がかりは遺跡と古文書でしょうが日本には文字がなかったのですから文字の出来る前のことは何一つ確かなものがないと言うことです。ひょっとすると文字を持った帰化人達が先住民を駆逐してしまったかもしれません。そう言う事を考えていると明確な歴史の無い古墳時代以前と言うのはおもしろいと思います。遺伝子工学で日本人のSRY遺伝子の出所が解明されるなどしたら日本の歴史もさらに興味深い仮説が展開されるような気がします。ただ知らぬが仏と言うことわざもあることから無理に解明する必要もないことではあります。それで何かが変わるわけでもありませんから。
ところで今日の写真は昨日行った三河御津マリーナのヨットの係留状況です。ゆったりして快適そうなマリーナです。でも係留料が高そうです。
今日はこれまでです。
毎年10月は頭を悩ます日々が仕事では続きます。今日はやっと一区切り着いたので明日は休ませてもらいゴルフに行ってきます。最近プライベートのゴルフは平日が中心です。その方が混んでいないし、料金も安いので自分にとっては一番都合が良いのです。このところ土休日が続いていたので久しぶりの平日ゴルフです。頭の痛い話は忘れて楽しみたいと思います。
週末には高校時代のクラス会が浜松であります。これもまた楽しみです。今月はまだこれからまた悩まされる仕事もあるので休日はすべて忘れて楽しみたいものです。自分にとっていっしょに仕事をする仲間達は誰も一生懸命やってくれるし、それぞれ持ち味は違うけど、それなりに成果もあげてくれているのですがこの時期は評価や査定もしなくてはなりません。全体の比率が決まっているのでしかたのないことですがほんとうに悩みます。まぁそんなことは誰も知らなくていいことですが、それによって喜ばれたりうらまれたりするのかもしれませんが、それぞれの将来のために最善を尽くしているつもりだけど、短期レンジで見たらほんとにつらいケースもあります。
ただ長い目で見てもらえば必ずわかってもらえるとも思っています。
しめっぽい話になってしまったのでちょっと方向転換します。いままで時々日本人のルーツを調べている話をしたことがあると思いますが、現在伊勢神宮と出雲大社のルーツに関する文献をいろいろ読んでいますが、文字が伝わったのが仏教伝来の頃ですから、仏教文化に対抗して日本古来の神々が創造されたように思われてなりません。確かにそれに近い崇拝の対象があったことは事実でしょうが、日本書紀に書かれた神話は推古天皇の時代以降の話のようです。伊勢神宮にしても天武天皇や持統天皇の時代(600年~700年)頃つくられたものです。出雲大社もその頃前後して造られたようです。ただし僕の個人的見解ですが出雲大社は元々杵築大社と呼ばれ龍蛇を祀っていたことや対馬海流に乗って南西諸島や朝鮮半島から簡単に流れ着くことができたことを考えると大陸や南西諸島の帰化人が祀っていた神様だったかもしれません。
出雲の青銅器の遺跡も帰化人と関係あるのではないかと勝手に思っています。大和朝廷は彼らの力を借りて日本国を造っていったと思うのですが詳しいことはまったくわかりません。現代から古代を知る手がかりは遺跡と古文書でしょうが日本には文字がなかったのですから文字の出来る前のことは何一つ確かなものがないと言うことです。ひょっとすると文字を持った帰化人達が先住民を駆逐してしまったかもしれません。そう言う事を考えていると明確な歴史の無い古墳時代以前と言うのはおもしろいと思います。遺伝子工学で日本人のSRY遺伝子の出所が解明されるなどしたら日本の歴史もさらに興味深い仮説が展開されるような気がします。ただ知らぬが仏と言うことわざもあることから無理に解明する必要もないことではあります。それで何かが変わるわけでもありませんから。
ところで今日の写真は昨日行った三河御津マリーナのヨットの係留状況です。ゆったりして快適そうなマリーナです。でも係留料が高そうです。
今日はこれまでです。