”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2012年01月22日 22時18分55秒 | Weblog

1月22日(日)曇時々晴

今日は「足利の名門吉良氏の興亡と家康の第一歩」を訪ねるウォーキングに出かけました。先月は4人の旅でしたが、今回は2名増えて6人の旅になりました。名鉄名古屋駅から急行吉良吉田行きに乗り、上横須賀駅で下車、午前10時、忠臣蔵で有名な吉良氏発祥の地、東条城跡に向かいます。吉良氏は室町幕府の時代、足利義氏の子供たちが地頭としてこの地を治めたのが始まりです。兄が西尾の西条城、弟が東条城を築き、豊かな実りに恵まれ名字の足利改め吉良と名乗り、武士の名門として君臨しましたが、西条吉良氏と東条吉良氏の仲たがいから衰退し、戦国時代になると、家康の西三河の前に敗れてしまいます。その後家康が天下を統一すると、東条吉良氏はお家復興を許され徳川幕府の儀式・典礼を司る家柄として、この地を治めるようになりました。それが吉良上野介の曽祖父です。この地では上野介は赤馬に乗り領内をまわり、善政に勤め人望もあり人気の殿さまだったようです。

さて今回は、まず家康との戦いの古戦場跡を歩き、東条城跡に行きました。小高い丘の上に築かれた城跡は現在城門と物見櫓が再現されただけの静かな野原になっています。写真は物見櫓の下のベンチで早速おやつを食べ始めたT西氏、K山女史とミポロさんです。


次に向かったのは吉良家の菩提寺、華蔵寺でした。寺の前には赤馬に乗った上野介像があり、山門を抜け、急な石段を登ると本堂、墓地になっています。写真は山門から急な石段を写したものです。M島氏とM崎女史は南極観測の白瀬隊長の墓に行き、なかなか戻って来ず、ここで待ちながらおやつをほとんど食べてしまいました。


このあとはただひたすら西尾を目指して歩きました。2時間近くあるいたので足が痛くなってしまい、昼も過ぎてしまったので昼食予定の創業150年の味噌・醤油の醸造元「はとや」の自然食ビュッフェをあきらめ、西尾では評判の「きく寿司」でランチを摂りました。寿司と天ぷらのランチはボリュームたっぷりで、特にすずきの天ぷらは最高においしかったです。他にもうなぎの蒸し寿司やあなご寿司も別注文しましたが、中々でした。
おいしい食事で元気をつけて、西尾城跡(西条城跡)に向かいました。西尾城跡もお城はありませんが櫓だけがあるようです。写真は櫓の前からの撮影です。


こちらは東条城跡とは異なり大木がまわりをとり囲むように立ち並び、城跡にはいくつかの社があり、城跡の石碑が寂しく建っていました。全員で石碑を囲んで記念撮影しました。


西尾城の後は安祥城跡に行く予定でしたが、時間的に無理のため、昼食予定だった味噌・醤油の醸造元「はとや」に行き、売店に寄り、近くの「竹庵」と言う喫茶店で抹茶をごちそうになり、西尾駅から名古屋に帰って来ました。西尾は抹茶の生産で有名な所なので抹茶ははずせませんでした。

第二回セブンティーン企画ウォーキングも中途半端に終わってしまいましたが、ランチに関しては何軒かの腹案を持っているため、参加していただいたみなさんにはご満足いただけたのではないかと自負しています。ただダイエットのためのウォーキングになっていないとの忠告も受けているため、今後はウォーキングにも熟慮したいと思います。
最後に今回参加してくれたみなさん、お疲れ様でした。また2月にも参加よろしくお願いします。それではまた。

コメント
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