10月4日(金)晴
明日から静岡の田舎に行き、日曜は甲府、月曜は小諸、上田経由で長野に行ってきます。日本百名城を巡る旅です。城巡りをするためには事前にその歴史を調べてから出かける訳ですが、今回のように一度にたくさんの城を巡る時は大変です。なんとかメモは作りましたが、A4用紙に清書するほど時間がありません。こちらはまた帰ってからまとめなくてはならなくなりそうです。
そんな調べ物をしていると、気になって気になって、しかたなく更に詳しく調べたりすることが多いため、単に城の概説を読むだけではすみません。今回も小諸の城下を築いた仙石秀久と言う人物に興味を持ちずいぶん時間を費やしました。何が気になったかと言うと小諸五万石の大名に返り咲いたと言う解説文でした。彼は信長に認められ、秀吉の最古参の部下となり、数々の戦功をあげ、讃岐高松十万石の大名にまで出世するのですが、秀吉の命により、島津との戦いで待機命令を聞かずに攻め入り大敗を喫します。しかも仲間の武将はほとんど討ち死にするなか、さっさと高松に逃げ帰り秀吉の怒りを買うことになる訳です。その間の事情はまぁいろいろあるのですが、とにかく秀吉の怒りから高松城を没収、吉野に追放されます。ところが秀吉の小田原攻めの時、家康の軍勢に加えてもらい、出身の美濃の強者数人を引き連れて、無印の旗印で先陣をきって山中城陥落に貢献します。山中城は北条氏の西への守りを固める堅固な城でしたが、豊臣・徳川軍7万に攻められ一晩で陥落した悲劇の城です。それはともかく仙石秀久は家康のとりなしで秀吉に目通りを許され、小諸5万石に返り咲くことになる訳です。
その後仙石家は真田氏が松代転封に伴い上田城主となります。戦国武将の中には意地や義理を重んじたために滅んでしまった者と信長、秀吉、家康に認められ江戸時代まで家督を繋いだ者と両極端が存在する訳です。前者には浅井長政などが典型的ですが後者には意外とたくさんの武将がおります。加賀の前田利家、伊賀の藤堂高虎、小諸の仙石秀久、上田の真田信之、等々。
という訳で今日は城を調べて行くと歴史の繋がりがよくわかると言う話でした。また長くなってしまいました。あしからず。
ではしばらくお休みします。スマホで時間があれば挑戦してみますが・・・。