2月4日(月) 晴
俳句が作れる人と作れない人、俳句の分かる人と分からない人
今日は月に1度の俳句の会。昨日から何とかひねり出そうと四苦八苦。いつものことであるがいろいろ考えたり、漢字を再確認するのには貴重な時間。実はパソコンやスマホを使っていると漢字は読めるけどいざ書こうとすると書けない事が多くなっている。まぁそんな意味もあって続けているのだが、どうも自分は俳句の作れない人だと思う。
「物をよく見て、深く感じて、しかるのちに句は作って下さい」と言われるが、どちらかと言うと物をボーと見てあまり感じることも少ない。だから旅行をしたり、非日常的な経験に対しては少し作ることができる。しかし寒い冬や暑い夏はあまり非日常となる行動が少ないので余計に難しい。俳句の作れる人と言うのは日常の行動の中に感性を働かせることができる人なのかもしれない。
ところで俳句がわかると言うことと俳句が作れると言うことは必ずしも一致しない。俳句の本を読んだり、俳句の会でいろいろ指摘されてわかることは多い。つまり俳句に接する機会がそれなりにあれば俳句はわかるのです。自分も何年か俳句に接してきたのである程度はわかる人になっているとは思う。まぁ世の中には作家と呼ばれる人と評論家と呼ばれる人がいるように両者は次元が違うことだと最近思う。それなりに続けていればわかるがどうもそれだけでは作れないようだ。
まぁそれでも一人ではとても続けられないことが月に1度できることはありがたいことだと思う。