続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

7年後の振り返り・続きと終わり

2024-05-15 20:34:57 | D&D4版 キャンペーン回想

D&Dは筋は通っているが、血が通ってないゲームシステムなんで、業務的に戦闘して、時間あたりの平均ダメージ量や命中精度から、何時間後に戦闘終了するか概算すれば良いんじゃねとは常に思う。
所詮、手動ウィザードリィだし、シナリオにもサプライズ無く先の展開が決まってるし。勝利か敗北だけ。


D&Dでも物語性を出せるとは思うが、他にもっと容易に演出できるシステムがあるのでは?と常に疑問がある。
少なくとも、D&Dで映画「ゾンビ」「ジョーズ」「トレマーズ」「ドラキュラ」は再現できなかった。
おそらく「指輪物語」「ドラゴンスレイヤー」しか再現できない。
そういやD&Dルールだと「ベルセルク」も再現が出来ないんだよな。狭義の「剣と魔法のファンタジー」に特化し過ぎて汎用性がまるで無い。

D&D4thについては、誰が何を言おうと私自身がロールプレイ皆無、能力値判定だけで8年間のキャンペーンシナリオを乗り切った実績があるので、あのシステムにキャラ設定は不要だよ、能力値と装備のダイスと修正値を正確に書いたパワーカードだけ用意しとけ、としか。あとはNPCを全員倒すだけだ。

 

自分にとってD&D4thへの悪感情は、怨念みたいなもので、キャンペーン中ずっと小さな抑圧と無関心と屈辱が8年続いて、内面に鬱屈が蓄積していった結果なので、思い返して原因をほどかないと精神を蝕む毒が消えない。
当時は自覚できなかった、というよりメンタル不調から感情に自信がなかった。

自分のメンタルは弱っている、だから自分の判断は信用できない、そうして常に自分を疑っていた。そこに付け込まれ屈辱的な扱いを受けても、自分がおかしい、相手が正しい、と認知が歪んだまま耐えてしまった。苦しいや嫌だと意思表示する自信が持てなかった。
周囲に見える表情を真似て合わせた。

今はわかるんだよ。D&D4thキャンペーンでは、私の地位は最底辺で、卓に参加させてもらっている身分だから、楽しくなくても黙って耐えて、嫌な場面でも笑って迎合した。それで、こいつは文句言わない地蔵だから、意思を汲み取る必要が無い、と判断された。ようは侮られ舐められていた。

最終的に自キャラを殺しながら参加したのは意地だったのだろう。あの世界を壊してやりたかった。だから最後は巨大ロボになった。これまで何も主張せず最後に出番をもらえたのはお情けだろうが、その1回でファンタジー世界を壊すのには十分だった。あれは私の爪痕だ。

今ははっきり理解できる。私はD&D4thが大嫌いで、キャンペーン終了翌日にルールブックを全て売り払った。こんなゲームの本など1日も長く自室に置くのはまっぴら御免だった。D&D4thなど嫌な記憶の象徴でしかない。

あまりに反社会性の強い言動ロールプレイに、おフザケ混じりにやんわり指摘したらブチ切れられた思い出。あれはつまり、私相手ならブチ切れても大丈夫な相手と侮られていたわけだ。
GMは「卓で一人だけ盛り上がっている状態はまずい」と言う。だが私だけ地蔵状態が8年続くのはOKなのだ。

度が過ぎたひきこもりだった自分にも大きな責任がある。何年も被差別感の毒を消化出来ずに引きずるくらいなら、場所に固執せずD&D4th以外の現代モノを楽しめる環境へ移るべきだった。どれほど精神的に弱り活力がなくても、自分の呼吸する場所は自分で探さないといけなかった。反省と後悔ばかりだ。

つまり、何が言いたいかといえば、TRPGで相性の悪い卓に参加し続けると心身を病む、てこと。
楽しいセッションは心身をリフレッシュ効果があると思うけど、逆もまた然りなのだ。
世間で評判だから、皆が褒めているから、と迂闊に参加したTRPGで後遺症が残るくらい嫌な思い出作りもあり得る。

冷静になって思い返すと自分の参加してるゲームサークルはなかなかに排他的でメンバーの入れ替わりが極端に少ない。皆が馴染みで気安い反面、いちいち注意を向けないので、1人がダウンしてても気づかないズボラさがある。

私にとってD&D4thキャンペーンシナリオが苦悩の記憶なのは事実だが、一方で「異物」の在り方を掘り下げる稀有な機会だったとも思える。
凡人が強迫観念に駆られ、おぞましい異形へ変貌していく物語の中の人として参加した。自分を疑い、自分を削ぎ、自分を捻り続けた8年間は無駄ではない。

D&D4th のデザイナーから「クラス:レンジャー」は疎まれていたんだろうな。
大ダメージで戦闘が早く終わると、魔術師同士の戦場操作に魔法の応酬を繰り広げる、MTG的戦闘の見せ場が消えちゃうもんな。
1回の戦闘が長引くように、HPの高い「ソロ敵」ルールまで設計されてるし。
邪魔して悪かったよ。


ウチの卓GMはティアマトのフィギュア持ってるから、ちょくちょくキャンペーンのラスボスにティアマトが来るらしいのだが、私はティアマトと戦ったことないし、他所だと頻繁にティアマトさんを倒したり組んだりとお世話になるので、できれば敵対したくないティアマトさんと地上戦艦ティアマット。

 


D&D3.5版から4thへ移った時、卓メンバーごとに見える世界がまったく違っていたと判明。
前衛職PL:攻撃役と防御役に分割されて能力半減
魔術師PL:儀式魔法が簡単になり自由度拡大
クレリックPL:リソース管理するのは今までと同じ
そりゃ見解も感想も一致するわけがない。


D&Dはボス敵を倒せばOKなので、地下に突っ込み大型モンスターを倒す繰り返しで作戦は不要派だったが「赤い手」シナリオは作戦が超重要で、その後の「恐怖の墓所」はやはり作戦不要だったので、振れ幅が極端なんだよ。頭使って肩透かし、無策突撃で大怪我、とタイミングが悪い。

D&Dでこれまで遊んだシナリオを振り返ると、低レベル向け公式シナリオは自分に地雷らしい。誰が遊んでもダイス目意外は同じ展開になる単純戦闘なので、誰か私の代わりに遊んどいて。そしてレベル上がったキャラをコピーさせてと思っちゃうんだな。レベル上げ作業大嫌い人間なので。

私は調査・謎解き・戦闘準備大好き人種なので、解くべき謎も由来も因縁も無く、偵察も索敵もなく、対応策を取る時間も予算も資材も得られず、頭空っぽにして相手かまわず無差別に突撃を繰り返すの、退屈で飽きるんだ。それPLが手動でやらなくてもよくね?

つまり、D&Dの公式低レベル向けシナリオは50年間まるで進歩が無く、ファミコン前の感覚のまま現代でも時代錯誤シナリオを作ってる。
ダンジョン探険!
モンスター出現!
・コマンド
  戦う
  逃げる
勝利!宝箱発見!20GP手に入れた!
これを手動でやってる。
最近はポリコレを取り入れたらしい。

おそらく自分はTRPGが好きだけど、手作業ファンタジーのルールでは意思決定が結果に反映しないので、進行を他人任せにして思考放棄する習慣が出来てる。勝手に進めといて、出番来たら呼んで。って態度。
逆に現代モノだと周囲に驚かれるもん。普段の鈍重ぶりが嘘のようにアクティブだから。

自分がD&Dを苦手と公言して憚らないのは、単純にゲームシステムが重くて処理が面倒だから。そして面倒な割に効果が薄い。覚える努力に対して実入りが少ないし、ルールが複雑で難しい。魔法の種類が多すぎて覚えきれないし、使う場面を予想して準備するのも理不尽難易度。

昔に追加ルールの「武勇の書」を購入したが、参照したのはハードカバー本内の1ページだけだった。買って損した。値段分の価値は無かった。その金を別の趣味に当てたほうが有意義だった。売却時にそこそこの値が付いたのが救い。
頭の悪い私ではD&Dルールを理解出来ず、持て余します。

Q:ダンジョンズ&ドラゴンズに物語を求めるのは間違っているだろうか。
A:間違っています。素直にCoCでも遊びましょう。

Q:ダンジョンズ&ドラゴンズにロールプレイを求めるのは間違っているだろうか。 
A:間違っています。素直にCoCでも遊びましょう。
ロールプレイは時間ロスになり、時間内にゲームが終わらない弊害があります。戦闘処理が重く時間がかかるため、無駄な雑談はお勧めできません。

以上は悪意を込めた冗談だが半分は真実で、判定能力値さえあれば、ロールプレイだのキャラ描写だの一切せずにクリアできるからな。要は敵を倒せる能力数値さえあれば、ダイス判定を続けるだけで、どんなシナリオでも勝利クリアできる。私はやり遂げた。能力値が本体、ロールプレイはノイズ。


TRPGプレイ配信動画で、地蔵PLだけでクリアするキャンペーンシナリオ動画が成立するなら興味が湧く。私は出来るほうに賭ける。毎回ダンジョンに潜りモンスター退治を20レベル分続ける。私は30レベル分やった実績がある。
大抵のTRPG配信なんてクソ寒い内輪ノリで、即ブラウザバックすんだけど。

以前にTRPGを広めるようないっぱしの格言持ちみたいなアカウントが、TLで講釈たれてたんだけど、その人のプレイ動画を見に行ったら、内輪ノリのグダグダで全然話が進まない未完動画で呆れた覚えがある。
私のような地蔵PLから見ても冗長で退屈なプレイ動画だった。なにあれ?何のアピール?

 


自分がD&D4thへ持つ偏見の一つは3.5版との比較のせいだが、それは単純にクラス役割の視点違いなので当然と納得した。もう一つは「自由度」の低さだ。しかし自分から見て恐ろしく自由度のない窮屈システムが、一方では何でも出来る万能感すらあったとの意見を聞いた。

自分がD&D4thへ真に絶望したのは「恐怖の墓所」だが、あれは敵がアンデッドと判明しているのに、一切のアンデッド対策がルール的に禁止されており、いつも通りに突撃しかできない点が不満だった。レベルに応じて入手可能アイテム制限があるから、無為無策突撃以外の行動が取れない。

実はD&D4thをアイテムで攻略するのは下策で、もっと手っ取り早く解決する手段があった。あのゲームでは魔法が最も低レベルから使える特別な技術であり、困難な場面を魔法で解決するように設計されている。つまりマジックユーザー以外の方法で攻略は実現不可能。魔法以外の実用性を潰してある。

消去法で魔法を使わざるを得ない程に、ルールにあるアイテムは使えない。欲しい時には入手出来ず、入手できた時には弱くて役に立たないからだ。だからD&D4thは魔術師あがりのゲームデザイナーが魔術師キャラに向けて設計したシステムなのだろう。そこで脳筋前衛クラスの不平不満など考慮にない。

当時は対戦カードゲーム隆盛の勢いが凄まじく、D&D4thのシステムは影響されたのかTCG寄りの作りに感じた。特にリソース管理作業。そいで安直に術師と前衛を同じリソース管理へぶっ込んだ。
術師は要所で大技・小技のタイミングを探せばいいが、前衛はそうはいかない。常時、安定した戦力維持が要る。

つまり、D&D4thで魔法レス前衛クラスは実践場面を想定されていない。攻撃なら魔法絡めて斬るヘクスブレード、防御なら魔法絡めて守るソードメイジが強い。魔法に背を向けた時点でD&D4thPCに人権はない。ドワーフだったんだけど。
これに気付かず8年無為に過ごした自分は愚かでした。

以前の自分はD&D4thを「指輪物語」しか再現できないと揶揄した。違うのだ。魔術師キャラなら魔法を使って「ゾンビ」「ジョーズ」「地獄の黙示録」などあらゆるスタイルでシナリオを遊べたのだ。魔法で。
いや、地獄の黙示録に魔法はねえわ。台無しだわ。

D&D4thは魔術師キャラが活躍できるよう、戦場がめまぐるしく変化するタクティカル戦闘ルールが優秀らしい。らしい、と実感が伴わないのは4thの戦闘が非常に「遅い」からだ。処理が重く遅々として進まず、敵が頑丈で倒れず、何時間経っても終わらない。1回の戦闘で空振り・不発からの停滞時間も長い。

ここまでD&D4thで魔法が偏重されてると書いてきたが、真に肩入れされているのは、実は魔術師ではなく僧侶だと考える。後になるほど戦闘難易度が上がり、こちらの攻撃は当たらず敵の攻撃が全弾命中なんて事態が頻発する。ならば勝負を決める要因は、攻撃力でも防御力でもなく回復リソースだ。

プレイヤー本体の耐久力と集中力をジリジリ削るような長時間戦闘を制するのはクレリックの回復力次第。これが高いと、強い敵でも時間をかけた持久戦に持ち込み勝てる。勝てるが、その作業感の連続にプレイヤーが耐えられなかった。私はもう動けません、この戦闘はいつ終わるの?効率化できない?

あとは、たまーにPVPしたくなる場面があったけど、長期キャンペーンに良い影響ないので抑えたことがある。大人なので納得しなくても黙る場面くらいある。
ちなみにD&D4thにこれだけ文句言いながら、キャンペーン終盤では一番シナリオを楽しんだPLの自覚もある。

自分はD&D公式シナリオを全然信用して無くて、整合性ない敵とマップデータの寄せ集め、ダイスを振って減らす数値の羅列だけだと思ってます。いまだ脳内が西部開拓時代で止まってる米国人が、安易に考えた虐殺と略奪しか娯楽のない世界のシナリオです。
ただし「赤い手は滅びのしるし」を除きます。

 


長年のTRPGゲーマーだけど、自分の主食は「現代舞台:謎解き推理系ホラーシナリオ」なので、ハイ・ファンタジーしか摂取できない環境が長いと定期的に吐き戻しが出る。消化できないから許容量超えると拒絶反応が出る。
最近少しアクティブになったから、CoCが遊べる環境を探そうと思う。


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