(舛添 要一:国際政治学者) 2月3日の「女性蔑視」発言の責任をとって、12日、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が辞任した。森氏は、サッカーをはじめスポーツ界で大きな貢献があり、組織委の評議員である川淵三郎氏を後任に推そうとしたが、大きな批判に遭い、これは直ぐに白紙撤回となった。
そこで、組織委は、8人からなる候補者検討委員会を作り、17日、橋本聖子五輪担当相に候補者を一本化した。18日、橋本氏が要請を受諾し、次期会長が決まった。五輪相の後任は、丸川珠代議員に決定した。五輪大臣の経験もある。
この一連の人事の筋書きを書いたのは官邸であろう。小池百合子都知事の不満顔が目に浮かぶが、これで東京五輪は、東京都も国も組織委もトップはすべて女性ということになる。
■ 官邸人事によって森氏の影響力も残存
問題は、内外の反応である。今夏の開催に否定的な国民の気分が一変して、開催ムードが盛り上がるのかどうか。橋本氏については、過去の「セクハラ」疑惑が蒸し返されており、海外でも報道されている。これが世界でマイナスに評価される危険性はある。森発言が五輪の精神に反すると批判されたように、この「セクハラ」の件も同様な批判にさらされることになるからである。
結局は、今回の人事は菅首相の意向が強く影響した「官邸人事」であり、結果的に“森院政”が確立したと言ってもよい。 このような結果になった背景にについて考察してみたい。
■ 現在も反目する森氏と猪瀬氏
大会組織委員会は、森氏を会長として2014年1月24日に発足した。私は、半月後の2月11日に東京都知事に就任した。2016年6月に都知事を辞任するまでの間、私は森会長と二人三脚で東京オリンピック・パラリンピックの準備を進めた。その過程で、世界全体が参加するこの国際的イベントの表と裏、光と影をつぶさに見てきた。綺麗事では済まない世界であり、それは、今回の森辞任騒動でも国民が毎日見せつけられていることである。
五輪は政治とカネに翻弄される。2013年9月7日、ブエノスアイレスで開催されたIOC総会で、東京が2020年の開催地に決まった。五輪には巨額のカネが動き、経済効果も大きいためか、誘致合戦の過程で不祥事も起こっている。たとえば、誘致について発言権のあるIOC委員に賄賂が渡されるといったようなスキャンダルである。舞台裏で何が起こっているかは定かではない。
フランスの検察当局は、竹田恆和JOC会長を贈賄容疑で捜査の対象とした。そのため、竹田氏は2019年6月末の任期満了をもって辞任した。後任には、柔道金メダリストの山下泰裕氏が就任している。
私は、2020年五輪が東京に決まったときには、直前に国会議員を任期満了で辞め、公職には就いていなかった。その後、猪瀬直樹知事が、医療法人徳洲会グループから5000万円の資金提供を受けていた問題で、12月18日に都知事を辞職した。
この辞任劇の背後には、東京五輪・パラリンピック大会組織委の会長ポストを巡る権力闘争があったと言われている。猪瀬知事の意向と、森元総理を担ごうとする人たちとの水面下の争いがあり、前者が後者に刺されたというのである。真偽のほどは定かではないが、そういうことが噂されるということは、五輪が「スポーツの清潔な祭典である」という見方が一面的であることを示している。
そのこともあるのであろう、猪瀬氏は、今回の騒動でも、森会長批判の先頭に立っており、「橋本聖子さんは森喜朗前会長のイエスマンなので、これでは傀儡政権」だと批判している。
■ 競技施設の建設費圧縮に汗を流した森氏
猪瀬辞任後、自民党は浪人中の私を候補者に指名し、私は選挙で当選して、後任の都知事となったのである。それまで、五輪誘致には関わっていなかった私は、都知事に就任して職務内容を精査して、東京五輪開催には余りにも多くの課題が山積しているのに愕然としたものである。
五輪にコストがかかるのは周知の事実である。猪瀬元都知事は、五輪誘致レースのときに、「銀行に現金が山ほどある(cash in the bank)」と豪語し、東京都の財政力をアピールした。また、半径8キロ以内に全ての競技施設を建設し、晴海の選手村から30分以内に到着できると述べ、コンパクトであることをセールスポイントとして強調したのである。
しかし、その結果、施設建設費が数千億円に膨れ上がっていた。相前後して責任者となった森氏と私は、それを見て仰天し、建設費をいかにすれば削減できるかという課題に取り組むことにした。そして、既存施設を活用するなどの方針を固め、バドミントン、バスケットボール、セーリングなどの会場は新設しないことにしたのである。
こうして、近隣の千葉県、埼玉県、神奈川県、静岡県にある既存の施設を使用することにしたのである。そのときに、これらの県の知事に直々にお願いに出向いたのが森氏である。このような森氏の会長としての功績にも言及すべきである。
■ 五輪の裏で絡みある利権、これを捌く組織委トップには強力な調整力が不可欠
このような苦労の結果、4584億円にまで膨れ上がった恒久施設の建設費は2576億円にまで縮減できたのである。つまり、約2000億円の経費を圧縮して、都民の負担を減らしたのであるから、この点では都民は森氏に感謝せねばならないだろう。
このように、都知事としての私の最初の仕事は、猪瀬都政下で膨張した経費を削減することだったのである。
東京五輪の準備にかかる費用は、総額約3兆円に上る。周辺の費用まで計上すると、もっと多くなるかもしれない。しかし、日銀の試算によれば、経済効果が33兆円になるという。つまり、11倍になって戻ってくるのであり、この数字を私も使って、都知事の私は3兆円の支出を擁護した。
これだけの一大イベントになると、多くの利権が絡むのは当然である。利権には、どす黒い権力闘争が伴う。元総理の森氏の調整力が不可欠な場面が出てくるのは当然である。
経済的見返りを前提にして、多くの企業がスポンサーになった。そのスポンサーであるトヨタやJR東日本などが今回、森発言を批判したことも森辞任の引き金になった。とくに、放映権を持つアメリカのテレビ局NBCが公然と森退任を求めたことが決定打だったと言ってもよい。
■ 利権消失を恐れた勢力が知事追い落としに
経費負担については、主催都市である東京都と国との対立が生じるのは当然である。たとえば、新国立競技場建設問題である。国立であるから、国が経費を出すのは当然のはずだが、私が都知事になったときには、建設費1500億円(その後、経費はもっと膨れ上がったが)の3分の1の500億円を東京都が支払うことにされていた。
しかし、それを明記した公式文書も何もない。当時の下村博文文科大臣と交渉したが埒が明かない。そこで、私は新国立競技場建設に伴う数多くの問題点を指摘した。その結果、世論の動向を気にする安倍晋三首相は、2500億円という巨額の経費のかかる当初のザハ・ハディド案を撤回したのである。2015年7月17日のことである。
この建設計画の変更によって利権が損なわれた人たちが私の追い落としを画策するのは当然であり、彼らの意図は1年後に成就する。
一部の報道によれば、東京都が3分の1の建設費を出すことは、猪瀬都知事と下村文科大臣の間の密約だったという。私は、国側と協議をして、最終的に都の負担を4分の1にすることで、この問題を決着させた。
■ 選挙を控え政治の思惑が交錯、五輪開催にどう影響するか
今年は、選挙の年である。7月4日には都議会選挙が行われ、秋までには衆議院の選挙がある。
小池都知事時は、2月17日に予定されていた4者会談(都、国、組織委、IOC)に「出席しない」と早々に表明したが、それは、森失言を利用して、自分に世間の注目を集め、二つの選挙に勝とうと目論んだからだ。
(参考記事)「森失言」に乗じ権力闘争にうつつ抜かす小池都知事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64060
小池都知事のみならず、菅政権を批判する野党勢力も、森発言絡みの不祥事を利用しようとしている。東京五輪中止→菅内閣打倒を狙っているのである。
いかにしてこれらの勢力に対抗するかということが、自民党、そして官邸の最大の眼目であり、森後任もそのような観点から戦略を練ったのである。マスコミは、橋本聖子氏の他に、山下泰裕氏、小谷実可子氏らの多くの名前を候補として挙げたが、菅政権の思惑が全てを決した。
小池都知事にとっては、森元総理と政治的に「父・娘」関係にある“傀儡”の橋本氏は官邸直結であり、何かとやりにくい。たとえば、無観客試合となったときのチケット代の損害、数百億円を誰が負担するかという問題は、国や組織委と交渉せねばならない。小池vs.菅・橋本連合軍となるのは嫌なのである。そこで、小谷氏を推薦したのである。
官邸からすれば、女性有利の風潮の中で、組織委会長が男性になると、女性都知事と対抗しづらい。橋本氏の政治歴は小池知事よりも短いが、それでも国会議員と大臣を経験している以上、何とか対抗できるのである。
森氏の「女性蔑視」発言から始まった騒動は、皮肉なことに「女性でなければ駄目」という逆差別的風潮を生んでしまった。なんとも軽薄な世論であるが、それ以上に選挙を控えての政治的思惑が働いたのである。
その意味で、まさに五輪は政治そのものなのである。橋本新会長の下で、東京五輪が無事開催されるか。3月25日には聖火リレーが始まる。その前に、3月中旬にはIOC総会が開かれる。大きな闇を抱えた東京五輪の行方はまだ不明である。
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