航海の世界史
ヘルマン・シュライバー 著
杉浦建之 訳
白水社 発行
1977年1月25日 発行
副題は「五千年にわたる船と冒険の歴史」となっています。
1 小さな舟と大きな海
2 地中海という名の転車台
クレタ島は紀元前五十世紀に入植され、それゆえに六千年以上前にすでに舟が存在していて、かなりの数の人びとがその舟で公海を征服した。
エジプト人を助けたもの、というよりはおそらく航海をははじめて可能にしたものは、南北に流れる好都合な海流で、これに乗っていけば、原始的な舟でもナイルの河口からすべりだしてレバノンの港ビュブロスにたどり着くことができた。
もちろん帰路は、めったにない北風の日をいつまでも待たなければならなかった。
いったん船に乗れば何事も神様まかせというオデュッセウスの轍を踏まぬように、フェニキア人はとりわけて二つの補助手段を持っていた。
ひとつは北極星と小熊の星座であり
もう一つは地中海が提供するいくつかの拠点であった。
フェニキア人の航海で最大の、信じられないような、それでいて再三証明されている業績は、ファラオ・ネコの命を受けたアフリカ周航(紀元前613-611)である。
その日数は三年を要したが、マルコ・ポーロにしても海路中国から帰国するのに三年もかかった。
フランス大西洋岸のボルドーから古代の最も大胆な冒険航海の一つが試みられた。
マッシリアのギリシャ人ピュテアスの試み(紀元前330年頃)がそれである。
イングランドを回航してベルゲンの北の西ノルウェーにたどり着き、北海航路の特殊条件、とりわけ潮汐、霧、白夜についてはじめて報告した。
同時代や後代の人々が彼の報告を信用せず、とりわけストラポンが躍起になって彼を嘘つき呼ばわりしただけに、ピュテアスはそれに屈した形になったのである。
(ここではアイスランドに行ったとは書いてありませんでした)
あらゆる燈台の中で一番風変りなものといえば、カリグラ皇帝が、ドーヴァー海峡にはまだろくな航行もなかったのに、わざわざフランス大西洋探検のために、西暦40年今日のブーローニュの近くに建てさせた燈台である。
ちなみに、この建物は船乗りの怪訝な目をよそに17世紀に至るまで建っていた。
3 竜頭船と三日月船
ヨーロッパ大陸の地図を一目見たらわかることだが、陸路を横断するよりも船で一回りする方がたやすい。
ピレネー山脈ががっちり閂(かんぬき)を、アルプス山脈はさらにがっちりとした閂をかけている。そして東にはさらにカルパート山脈に接している。
ピュテアスは北イングランドにやってきたとき、港でノルウェーから着いた船を何隻か見せられ、かの国へ立ち寄るよう申し出を受けた。
ピュテアスは船乗りが中継ぎ用の港をよく知り、外国人の扱い方を心得ていること、そして自らのノルウェー訪問後ふたたび楽々と船便を得てイングランドに戻れることを確かめたのだった。
ヴァイキングは漁師兼航海者から商業国民になり、アラビア人は商業国民からやむを得ず航海者になった。
4 すべての海に帆を上げて
もしルネサンス時代の天才が蒸気船を発明したとすれば、そして蒸気船が十五、十六世紀を支配したとすれば、南北アメリカの発見はたぶん十八世紀まで、いやもしかすると十九世紀まで延び延びになっていただろう。
今日でさえ、現代外洋船の燃料補給はその行動半径にとって決定的だからである。
帆船は外洋越えの長距離航海を一手に引き受けることが出来てきた。
帆船の船室は、貯蔵品と乗組員を納めるためにそっくり使うことができる。それにこの貯蔵品は一般に人が住むところならどこでも補充できる。というより、飲水さえあれば無人島だってかまわない。
特に壊血病予防のたまねぎと、古い貯え水の混和剤としての酢は航海の経験に基づくものだった。
事実、大陸ヨーロッパの人間は、香辛料を利かせて料理し、たまねぎ、オリーブ、サラダなどをとる習慣のおかげで、たとえばブリテン人よりもはるかにうまく海の危険を切り抜けた。
プトレマイオスは地球の大きさを、誤って七分の二ほど小さく計算したのである。
このことがあらゆる西方航海をことさらに前途有望と思わせたのである。
なんといっても、東に横たわる陸地の広がりを過大に見積もりすぎていた。というのも、シナとインドの旅行記は、果てしない隊商路だの、シナ帝国の途方もない広さだの、そのもっとも東に位置するジパングという名の極めて大きな島だのについて語っているからである。
5 人間、船そして大いなる孤独
6 ドレークと仲間たち
7 ロイテルからネルソンまで
8 航海地獄
9 全速前進
タイタニックの悲劇は航海の安全規定に革命をもたらし、とりわけ外洋船での無線電信採用を早めるものであった。
こうしたいっさいのことがまだ現代人にどれほど身近であるかは、タイタニックのSOS信号を最初に聞いたアマチュア無線家で、アメリカに住むオーストラリア人が1973年に亡くなったという事実からして明らかである。
10 世界の海と世界大戦
11 昔はあれほど太平だった洋(うみ)が
12 水の上の未来と水の下の未来
コンテナは航海の貨物の面から見た革命
何万人というドック人足がコンテナに反対
コンテナは船の運航計画に基づいて船会社のコンピューターが立てている
また荷役装置が手を伸ばしてつかみやすいようにつくられている。特定のクレーン装置だけで積み下ろしの全部をやってのける。