ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

セーヌに漂うエコールドパリ④

2007-08-10 22:37:05 | 小説
まず窓の上部に、センサー付スピーカーを備え付ける。そばを通ると、アラブの音楽が出てくるのだ。
そして窓には、同じくアラブの紋様を描いたセロハンを張り付ける。外が見えるように上部は空けておく。そして向こう側にも同じように貼って置く。
そんなに時間はかからなかった。早速テストしてみる。
下を通ると、のんびりとした抑揚のアラブ音楽が流れてきた。

三日後、無事ぼくらの展覧会「21世紀のエコールドパリ」が幕を開いた。
入り口には、参加者みんなが礼服できめた、セピア色の写真を飾っておいた。ヨウコは慣れないドレスを着て、はじけんばかりの笑顔で映っている。ぼくはといえば、友達から借りたタキシードを着てすましている。
午前中、簡単なセレモニーの後、お客さんがボツボツ入ってきた。みんなヨウコの作品ではにこにこ笑っている。
ぼくの作品といえば、何回かそばを通ってくれて、やっと音と装飾の関係に気がついてくれているようだ。
でもそれだけでない、夕暮れでないとぼくの作品はわからない。
一旦会場を離れる。
夕暮れ時に再びヨウコと一緒に会場に入る。初日ということもあり、客はほとんどおらず、中はがらんとしていた。
そんな中、若い東洋人の男がぼくらの作品のある部屋に入ってきた。
中国人か、ヴェトナム人かと思っていると、ヨウコの作品のそばに立って、散らかった部屋、体操のビデオ、そして作者のネームプレートを見てにやりとする。
「どうもあの人、日本人のようね」とヨウコがつぶやく。
続いてぼくの作品のそばにやってきた。午前の客と同じように、何度かそばを通り過ぎ、やっと気づいてくれた。
窓をじいっと見つめている。そしてその上を見る。
外は薄暮に染まったパリの空。
そしてライトきらめくエッフェル塔。
それを見上げる男。
ふと振り向きぼくらの方を見つめる。ぼくの風貌で、作者と気づいたのだろうか。顔には「うまくやりやがったな」と書いてあった。なんだか恥ずかしくなって慌てて目をそむける。
その男は満足げに会場を後にしていった。
彼の後姿を見つめながら、ぼくは「ありがとう」とつぶやく。
音色と装飾と、
ネオンきらめくエッフェル塔。
建てられた時には色々文句をいわれた。でも今となってはパリの象徴。
どんなものでも、最後には優しく抱きしめてくれる、「パリ」という街の限りない包容力。
これがぼくの作品。自分の「原風景」と「想い」を表した作品、てことを。(完)
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セーヌに漂うエコールドパリ③

2007-08-10 22:36:40 | 小説
セーヌ河沿いにだらだら、休みながら歩いていたので、パリ市立近代美術館に着いたのは夕方になってしまった。
中に入り、ぼくらの展覧会を行う場所にたどりつく。
2階の広い、U字型のフロアが、みんなのスペースになる。
ここをみんなの作品で埋める、といえば聞こえはいいが、所詮は場所の奪い合いになってしまう。
噂では結構でかいオブジェを作ろうとしている学生もいるらしい。
下手をすれば予備審査で落とされてしまう。
ぼくのそんな心配をよそに、ヨウコは「私の作品はこの辺ね」と勝手に決めてしまっている。
入り口から少し入った、部屋のど真ん中の特等席だ。
可愛くないなあ。

ぼくは重い気持ちで、部屋の中をうろつく。
壁際沿いにとぼとぼ歩く。
ふとそばを見ると、ぼくの背丈より少し高い窓があった。
ちょうど向こうに、もう一つ同じ大きさの窓が見える。
このフロアでは、その二つの窓しかない。
そして、ふと外を見上げる。
「これだ」と思わず叫んでしまった。
ヨウコはぼくの突然の喜びように驚いて、「どうしたの」と尋ねる。
ぼくはニコニコしながら、「なんでもないよ。でも、この窓はぼくのものだからね」と応える。

ヨウコが自分の原風景を追い求めているように、ぼくも自分の原風景を描き出してみよう。
早速下宿に帰り、予備審査用の報告用紙に、自分の作品を描いていく。
テーマははっきりした。すっすと筆がすすむ。

提出して2、3日、すぐに結果は出た。
出展OKとの知らせだった。無事決まってほっとする。
ヨウコは「当たり前でしょ」てな感じで悠然としていた。場所も予想していたところだったので満足そうだった。
早速準備に取り掛かる。
まず電気店に行って、センサーで音の出る装置を買ってくる。
更になじみの画材店に行き、ガラスに貼り付けられる黒いセロハンを買う。
音色を吹き込み、セロハンをいろいろ切ってみる。大まかには決まっていたものの、細かいところが気になり、何度も切っては捨て、切っては捨てを繰り返す。

いよいよ設営の日がやってきた。
みんな自慢の作品を持ってきている。
ヨウコは透明なテントを天井から吊るした。その中に女の子用の机や引き出しを置く。机の上は小物で散乱させ、引き出しから衣類を飛び出させている。大体のことは決めていたが、実際現場になると、「こうじゃなくって」などぶつぶついいながら細かく動かす。
そして机の上には自分の体操している姿のビデオが映る。体操し、そしてだめだめだめとやめる彼女の姿が何度も繰り返される。
その他、北京の古い家並を再現しようとしている生徒や、ガラクタの電気製品を集めてなにやら組み立てている奴など、いろいろ訳のわからないオブジェが揃っていった。
ぼくも窓際に陣取り制作に取りかかる。
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セーヌに漂うエコールドパリ②

2007-08-10 22:36:03 | 小説
翌日、午後3時、ヨウコに誘われて学校を出る。
彼女と一緒に、カルチェ・ラタンのサン・ミッシェル通りの緩やかな坂道を下り、セーヌ方面に向かう。
シテ島の手前で、左に折れ曲がる。どうも警視庁のそばには近寄る気がしない。
ブキニストのそばを通りながら、一番古いくせに、名前だけはポン・ヌフ(新しい橋)という橋にたどりつく。
国語の授業で習った、昔のパリ市民が残したフレーズを思い出す。
「パリのどこどこの場所は別のどこどこの場所から遠いのかと聞く農民たちに、パパは答える『ふん、川を渡るだけだよ』」
ぼくらも川を渡り、シテ島の端っこを抜ける。バトー乗り場の近くではパントマイムをしている奴がいた。
結局地下街というには中途半端な場所、フォーロム・デ・アールにたどりつく。そこのスポーツショップが彼女の目当てだったようだ。
そこで彼女は陸上競技用のブルマと、真っ白なトレーニング用Tシャツを買った。

下宿に戻り、彼女はそれらを身に着ける。
ブルマには、なぜかモコモコと余計な布を入れる
そして頭を細長い布でしばる。
そんな彼女の姿を見て「それって何?」思わず聞いてしまう。
「日本の学校の原風景なの」と真剣な表情でヨウコは答える。
訳がわからない。

そんなふざけた格好にもかかわらず、真面目な顔でぼくを見て、
「そこのビデオで私を撮って」と真剣に言われる。
しかたなく、カメラを構え、彼女に向ける。
スイッチを入れると、彼女は一生懸命、デンマーク体操(のようなもの)をしはじめた。
延々と、手を振ったり、腰をひねったり、足踏みをしたりしている。
さんざん動いたあと、だめだめだめと手を振りながら、カメラの枠から外れていく。
さすがに疲れたらしい。

ビデオを再生しながら、彼女に尋ねる。
「これって何」
「日本では、毎朝こんな体操をやっているの。私も小さい頃は、夏休みでもちゃんと早起きをして、参加してたの」
今の寝ぼすけな彼女からは想像もつかない。
また、いくら現代芸術といっても、なぜこんな体操なのかわからない。
「これこそ日本の原風景、朝の公園の一場面なの」と彼女
ふーん、またゲンフーケーかよ。

ヨウコが着々と準備を進めている一方、自分は何も思い浮かばない。
このままではさすがにまずい。予備審査にも間に合わなくなってしまう。せっかくのチャンスが台無しだ。
何かデッカイものを表現したいな、と思うが、いいアイディアが出てこない。
考えていても仕方がない。パリ市立近代美術館に下見に行ってみよう。
ヨウコと学食で昼食をとった後、二人でセーヌ沿いにひたすら下っていく。結構距離はあるが、何かヒントを見つけないといけない。歩いていく。
といっても、途中川に浮かぶ船のカフェで休みながらだけど。
ポンデザールそばの船上カフェでだべっていると、ちょうど橋の上でモデルが撮影されているのが見える。
歩行専用の橋で、背景がルーブルや学士院だったりして、撮影にはちょうどいい場所だ。
反射板がピカピカ光って眩しい。そこでポーズを決めるモデルたち。
ふん、と眺めるヨウコ。現代芸術家の目は厳しい。私の体操のほうが芸術的でしょ、といわんばかりだ。
何も言えない。
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セーヌに漂うエコールドパリ

2007-08-10 22:35:13 | 小説
ぼくはサイード
パリ生れのパリ育ち
といっても、「花の都」なんていうイメージとは全然違う、北の方の、地区。
ぼくのようなアラブ系や、アフリカ系が多く住む地域。
ぼくのおじいちゃんは、北アフリカからフランスに来て、ごみ掃除など白人がやりたがらない仕事でこつこつ金を貯めた。
そしてぼくの親父は、その金を資金にして小さな食料品店を立ち上げ、家族を養ってくれた。
移民の暮らしは相変らずよくない。
就職なんかでも、アラブ系の名前というだけで差別される。
ぼくの周りには、サルコジの野郎が言うところの「ごろつき」がいっぱいいる。
親の汚れ仕事を引き継ぐより、ぶらぶらしていたり、もっとひどい奴だと、麻薬の密売人になってるような奴もいる。
ぼくも一歩間違えればそうなっていたかもしれない。
でも、それを救ったのは芸術的な才能。
親父によると、ひいおじいちゃんは有名な工芸職人だったらしい。
隔世遺伝で、その才能がぼくの所に来たようだ。
学校でも、他の教科は全然だめだったけど、美術の時間だけは、先生はいつもぼくの作品をうっとりと見つめてくれた。
おかげで奨学金をたくさんもらい、上級の美術学校へ行く道を開いてくれた。
今ではそこでわけのわからないオブジェの制作に没頭する日々。
さすが文化の国フランス。こんなことが十分できるようなシステムを作ってくれている。
まあ、カエサルの時代から、戦争に負け続けたフランスのことだから、文化を伸ばすしかしょうがなかったらしい。
それはそれで結構な事。
おかげでぼくなんかものうのう生きていける。
たとえナポレオンがたまたま勝っても、後に残るは死体のみ。

今は家を出て、日本からの留学生、ヨウコと一緒に暮らしている。
といっても、彼女のアパルトマンに居候しているような感じ。のら犬と変わらない。
彼女、かわいいけど気は強い。
もともと、日本女性って、「おしとやか」というイメージがあったんだけど、ヨウコを見る限り、そんなことば、どこかに消え去ってしまう。
ヨウコは自分の出身地を「コメディの街」といっていた。
うるさくなければ生きていけないらしい。

そんなある日、ぼくたちの学校に、素晴らしいニュースが飛び込んできた。
パリ市立近代美術館で、みんなの作品を出展できるかもしれない、というのだ。
もちろんパリ市のお墨付きである。
こんなチャンスめったにない。
さすがぼくらの講師はすごい。ゲイで見かけはなよなよしているが、さすが芸術界では顔が利く。
クレイジーでいつもべたべたまとわりついてくるけど、ぼくらに道を開いてくれた。
さすがパリ、市長もゲイの街は違う。

まわりのみんなは準備を始めたが、ぼくは何もいいアイディアが思い浮かばない。
一方ヨウコは着々と準備を進めている。
透明なテントを買ってきて、天井から吊るす。
その中に丸いテーブルを置き、小物を散乱させる。
そして白いタンスを置く。半開きの中からは女の子の下着が半分取び出ている。
それでもまだ物足りないらしい。
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