ギリシャ人ピュテアスの大航海
史上初めて北極へ旅した男
バリー・カンリフ 著
小林政子 訳
青土社 発行
2023年6月10日 第1刷発行
2300年以上昔、マッサリア(現マルセイユ)のギリシャ人ピュテアスがヨーロッパ大陸を経由して、ブリテン島を通り、極北の地まで行った旅について述べています。
紀元前320年頃彼が書いた「大洋について」が公にされましたが、それは2000年前に失われてしまいました。そのわずかに残る断片を利用し、数々の考古学上の発掘も精査して、彼の足跡を追っています。
なお原題は The extraordinary voyage of Pytheasです。
第一章 マッサリアの人ピュテアス
古代の英雄ピュテアスとエウテュメネスの像が、マルセイユ証券取引所正面の神殿のような壁龕に飾られている。p13
「大洋について」が書かれてから900年間に少なくとも18人の学者に引用された。p14
ストラポンには、ピュテアスはガディル(現在のカディス)からタマイス(黒海の北岸)までヨーロッパ世界を航海したというぼんやりとした記述がある。p38
第二章 われらの海の彼方の世界
マッサリア植民市創設とほぼ同時期にエジプト王ネコ二世(エジプト第二十六王朝の王)はフェニキア人の船をアラビア湾の先端に集めて船団を組み、アフリカを就航させたことをヘロドトスは伝えている。p53-54
第三章 地中海からの脱出
ピュテアスの最大の目的が北ヨーロッパの大西洋沿岸を探検して、錫や琥珀などの資源を発見することだったとすれば、陸路オード川とガロンヌ川を経由してジロンド川の河口まで出、そこから船に乗った可能性がある。
このルートはすでに北方の錫が運ばれる主要交易路だったので、ルートを逆にたどってもおかしくない。p76
ピュテアスは天文学に強い関心を持つ自然科学者として古代社会に知れ渡っていた。
紀元前二世紀後半にロードス島で活躍していた天文学者ヒッパルコスの書を通じてピュテアスの天文学の貢献がわかった。p83
ブルターニュ半島の鉄器時代の住居の特色は地下室だった。宗教的理由から地下に穀物を置いたのか?p87-88
ケルト文化とかラ・テーヌ文化とか呼ばれる時代から、ブールジュはロアール川支流のシェール川の上流と結ぶ陸路上にあり、このルートは効率よくローヌ地方、従って地中海に出られる。p90
ブリテンへ向かうのには、ピュテアスがケルト語の基礎さえ理解していれば、諸方言に通じている地元民が手配してくれたのでは?
船に乗せてもらう礼として金貨や銀貨、上等の衣服、色ガラス、珍しい顔料、香水などの贈り物をしたのでは?p93
第四章 錫の魅惑
ピュテアスがイギリス本土のどこに上陸しても、まずランズ・エンド半島を目指しただろう。
ランズ・エンドが錫の一大産地であり、そのことをアルモリカの住民から聞いていたはずである。p95
ピュテアスの探検記は書かれてから三十年、四十年にティマイオスにより資料として広範に利用され、およそ三百年後にディオドロスやプリニウスによって、時にはクレジットが付され、また時には付されずに引用された。p98
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