フランス革命を旅したイギリス人
リグビー博士の書簡より
Lettres du DOCTEUR RIGBY
Voyage d'un Anglais en France en 1789
エドワード・リグビー 著
川分圭子 訳
2009年2月17日 初版発行
春風社 発行
原著はイギリス人医師エドワード・リグビーが1789年夏にフランス、北イタリア、スイス、ドイツ、オランダを周遊した折に家族あてに書いた旅の書簡の集成です。
1880年英語で出版され、1910年にフランス語訳が出されました。
18世紀後半はイギリス人のヨーロッパ旅行が盛んだった時代です。
リグビーは宗教的には新教非国教徒
宗教改革以来イングランドはアングリカニズム(英国国教)を国教としてきたが、これはカトリックを非国教とするだけでなく、プロテスタントとしては国教より純粋な長老派や洗礼派、会衆派などの諸派を非国教として排除するものだった。
本書の特色は、なんといってもリグビーが1789年7月14日のバスティーユ襲撃時にパリにいて鮮やかな記述を残している点。
それ以外でもリグビーはローヌ川下りをしながらフランスを縦断し、プロヴァンス沿岸を陸路東に向かって、テンデ峠から北イタリアに入り、モン・スニ峠を越えてジュネーヴに入り、ライン川地方を北上してオランダに達する。
7月14日についてのリグビーの記述は、当時の目撃者の一人だったレチフ・ド・ラ・ブルトンヌの記述とほぼ重なっている。『パリの夜』岩波文庫
ド・マリクール男爵の序文(抜粋)
この著作は二つの部分に区分するのが適切である。
・農業家がフランスの田舎について描いている部分
・政治好きが、最初の革命の噴火のような動乱について書いている部分
第1章 ドーヴァーの印象
シャンティイの城あるいは宮殿は石材で造った広大な建物であり、まさしく水の中に建っていた。
パリのパレ・ロワイヤルを散歩。そこはオルレアン公が最近建てた広大な宮殿で、たくさんの店がある。
第2章:マリー・アントワネット
日曜の午後はヴェルサイユ宮殿に付属した公園や庭園、森を散歩した。美しい庭園だが庭の設計は悪い。
(いつも通りのイギリス人のフランス庭園に対する偏見である)
第3章:バスティーユ襲撃
第4章:死体置き場
第5章:パリ脱出
第6章:リヨンに到着
オーセールのヨンヌ川は大きくいくつかの砂州で区切られており、ある箇所では天然の堰止め湖や滝が出来ており、石の上に落ちながら轟いている。
18世紀ブルゴーニュの田園生活と農民の風俗についての研究の参考にするのに優れた史料はレチフ・ド・ラ・ブルトンヌの『私の父の生活』『ニコラおじさん』である。
第7章:プロヴァンス地方
ヴィエンヌのアウグストゥスとリヴィウス帝に捧げられた古代寺院は、次々とキリスト教会、革命派集会施設、商事裁判所、博物館になった。
ヴィエンヌの町から少し離れたところでセヴェレス帝の栄誉のために建造されたピラミッドも見た。このピラミッドは不格好なもので、明らかに建築の趣味に頽廃が始まった時代に建造されたものだ。
アヴィニヨンは古い町で何世紀も前には教皇の在所であった。この町はまだ教皇に属しており、ローマ教皇特使が統治している。このために、私たちはここを出発するときパスポートを取得しなければならなかった。
ニームには保存状態のよい円形競技場がある。しかし今では、この広大な囲いの中は、たくさんの家や底を横切る道路でいっぱいだ。
マルセイユの町に隣接した古い城が建っている高台に連れて行ってくれた。ここは一部は要塞として、一部は聖母に捧げられた礼拝所として使用されている。聖母は船乗りたちに大変崇敬されている。(守護聖母教会)
第8章:「フランスを離れるのは残念だ」
第9章:ジュネーヴ
第10章:アルプスの日の出
第11章:イギリス帰国
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