ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

朝焼けに輝くマルセイユ

2006-04-19 22:42:45 | フランス物語
レストランからホテルに戻る。
明日でマルセイユ三日目、やはり1日会場で軟禁状態予定。
更に、片付けなどで、晩遅くなるとの事だった。
せっかくマルセイユまで来て、本場のブイヤベースをいただいただけとは残念だ。もう二度と来れないのかもしれないのに。
ここは元気を出して、朝早く起きて、街中をうろついてみる事に決めた。
大阪弁の響く頭の中を沈めながら、眠りにつく。

翌日、幸い早く起きる事が出来た。やはりこれも、昨日の大阪弁パワーを溜め込んだおかげだろうか。
それとも、薬味のガーリックがよく効いてくれたのだろうか。
ホテルの朝食もまだ始まっていない時間、外に出る。
とりあえず旧港をめざす。
路地の向こうに、朝日を反射する教会が見える。そちらへの通りを抜け、旧港に到着する。
港周りの建物も、斜光を受けて、橙色に輝いていた。
港のさざ波を見つめてから、左手を見上げる。
小山の上に、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院があった。
搭の部分、工事中なのが残念だが、それでも自分を招いてくる何かが、そこにはあった。
ガイドブックには標高154メートル、坂道20分くらいと書いてある。
どうしようかと思ったが、やはり行ってみたい。
大阪弁+ガーリックパワーを頼りに、標高0メートルから、狭い路地を抜けて、坂を登っていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルセイユ沖まで響く関西弁

2006-04-18 23:16:15 | フランス物語
翌日、朝から地下鉄で会場に行き、そこで1日、外に出ず、半軟禁状態である。
昼食も、会場内で売っていた、冷たいサンドイッチだけだった。
そんな中で過ごす内、こちらに晩のお誘いが来た。
またブイヤベースだが、この日は少し高級なものらしい。
もともとブイヤベースというのは、単なる魚のごった煮で、庶民的な食べ物らしいが、食べ物も進化するものらしい。
自分のグループでは、結構疲れていた人が多く、断る人も多かった。自分も少し疲れていたが、折角の機会と思い、お誘いに乗ることにした。
夜、タクシーでレストランに向かう。途中ライトアップされた要塞のそばを通る。
海に面したレストランに到着する。
ここでのブイヤべースは、ちゃんと丁寧に魚の切り身を取り分けたりしてくれる。上品で、あまり食い散らかす事もなかった。これならきれいな女性と食してもサマになる。
しかし、ここで驚いたのは料理ではなかった。
メンバーの一人に、いわゆる「大阪のおばちゃん」がおられたのだ。
がんがんローカルな話を、マシンガンのように繰り出してくる。
自分も「吉本興業電波文化圏」内の住人だったので、免疫があるものの、いざ実物に面すると、その偉大さに圧倒される。
マシンガントークに対し、ささやかながらことばを返したところ、「○○さん、いい味出してる~」とおほめの言葉をいただいたりした。
「ふるさとの訛り懐かし」ではないが、関西弁のシャワーを浴び、パワーをいただいたような気がした。
しかしながら、帰りのタクシーで同乗した、東北出身のお方は、ぼそっと「あんなに一方的に喋らなくてもいいのに・・・」と愚痴っておられた。
確かに免疫のない方には少し辛かったかもしれない・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブイヤベースの思い出(マルセイユ旧港)

2006-04-17 22:10:20 | フランス物語
停電中の暗闇の中、我々よそ者は、黙々とオリーブをつまみながら、南仏マルセイユ滞在のための通過儀礼を行う。
我々の真摯なイニシエーションが功を奏したのだろう、幸いそんなに時間もかからず、停電は直り、無事チェックインすることが出来た。
ただ、上の階に行く時のエレベータに乗るのが少し不安になった。
閉じ込められる事もなく、無事に部屋に行けてほっとする。

部屋で一服した後、夕食を食べに行く。
マルセイユならやはりブイヤベースでしょうということになった。
幸い、この日はまだ我々の先発隊も疲れておらず、みんなでホテルを出て、旧港に向かう。
この周りの、庶民的なブイヤベースの店に入った。

ブイヤベースといえば、自分には忘れられない思い出がある。
初めてパリに行った時、初めてのちゃんとした食事がブイヤベースだったのだ。
その時に、自分の応対をして、そこに連れて行ってくれた人は、きれいな女性だった。
こちらは、パリにも全然慣れておらず、なおかつブイヤベースなどは全く見たこともない食べ物だった。
でもせっかくの機会なので、いろいろ喋らなければ・・・と頑張りつつ、食べていく。
とはいえブイヤベースだと、どうしても食べ跡が汚くなってしまう。それをカバーするのがたいへんだった・・・。
などと回想に浸りながら、本場のブイヤベースをかぶりつつ、ふけゆくマルセイユ旧港の夜だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗闇のオリーブ(マルセイユへ)

2006-04-16 22:52:31 | フランス物語
所要でマルセイユに行く事になった。
パリ・リヨン駅を午後2時ごろ発ち、TGVはひたすら南をめざす。
途中、アヴィニョンの駅に着く。といっても、以前訪れた時のアヴィニョンの駅ではない。
街のそばではなく、かなり街から外れたところだった。駅以外ほとんど何もない。
ここはアヴィニョンTGV駅といい、ちょうどこの当時に新設されたばかりだったらしい。
車窓からは、彼方にアヴィニョンの法王宮殿が見えたような気がするが、今は多少建物なども建てられていると思うので、見えるかどうかわからない。

エクス・アン・プロヴァンスに近づく。
ここで同行の方が、あっと声をあげる。フランスで有名な俳優がいたらしい。
自分も振り向くが、残念ながらよくわからなかった。
フランス暮らしの長い同行者にはおなじみの顔らしい。
その俳優はとっととエクスで降りていった。

午後5時半頃マルセイユ駅に着く。
駅から、地下鉄に乗り、ホテルに行く。ほんの一駅で、あとは少し歩く。
ホテルに入ると暗い。チェックインしようとフロントに行くが、手続きできないとのこと。
停電しているようだ。安い木賃宿ならともかく、ちゃんとパソコンが入っている普通のチェーンホテルでは手続きは無理なようだ。
しかたなくドリンクを飲みながら待つ。おつまみにオリーブが出てきた。
暗い中、オリーブでセコく南仏へのイニシエーションを済ますのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

工事中の預言者たち(ディジョン・モーゼの井戸)

2006-04-15 02:58:09 | フランス物語
昼食を終え、少し街をさまよった後、モーゼ(モーセ)の井戸まで行こうか迷う。
雨はすっかり止んでいた。
ただ、街中からは少し遠い。またガイドブックには工事中とあったため、そこまで行っても実際見学できるかわからなかった。
結局、またディジョンの来るチャンスは、多分ないだろうと思い、無理を承知で行く事に決めた。外国だと、そのような気持ちが強くなり、どうしてもしぶとく、がめつくなってしまう。

駅裏から、鉄道に沿った幹線道路沿いにてくてく歩いていく。
左側には庭園があった。
ずーとまっすぐ歩く。どこにあるかよくわからない。ここかな、と思ったが違っている所もあった。
しかし、ようやくそれらしい敷地が左に見えてくる。道を左に折れ曲がる。
この井戸があるところは、もともと修道院だったらしいが、現在は精神病院になっている。
特に受付などなく、敷地内に入る。建物はそんなに多くなく、広い公園といった感じだった。幸い、井戸への順路はちゃんと標示してくれていた。
くねくね曲がり、たどりつく。
確かに工事ということで、まわりに機材などもほったらかしになっていたが、ガラス張りの建物の中にある彫刻はなんとか見ることが出来た。
小さな建物の周りを何回もまわり、じっくり鑑賞する。
この作品を彫った彫刻家はスリューテルという。ブルゴーニュ公国時代の1395年から1405年に作成した。
前回のブログでも触れたが、これも当時ブルゴーニュ領だったフランドルにゆかりがある。というのも、スリューテルは、もともとブリュッセルで彫刻の修行をした後、1385年にディジョンに来て名を上げ、この作品に取り掛かることが出来たからだ。
この彫刻、預言者たちが、知的でたくましい表情をしていたのが印象に残る。
ちなみに画家のマティスは、印象派の画家のカミーユ・ピサロをこの預言者になぞらえていた。確かに彼を思い出させる風情だ。

再び街に戻り、出発までの時間、のんびりと路地を散策する。
ディジョン・ヴィル駅を発つ。TGVは冬の大地を、パリ・リヨン駅まで駆け抜けていった。

(参考図書 フランス ゴシックを仰ぐ旅 都築響一・木俣元一著 新潮社)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする