ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

オランジュの古代ローマ神殿遺跡

2021-09-11 14:12:17 | フランス物語




オランジュの古代劇場の中に入ります。
まずはすぐ隣にある神殿の遺跡の写真を撮っていました。
装飾された円柱のようなものが目立っています。
オランジュ芸術歴史博物館(Museum of Art and History of Orange)のHPでの仏英語解説によると

《1920年代に行われた発掘調査により、半円形の中心にある大きな石畳の上に建てられた神殿とその祭壇の遺跡が明らかになりました。かつては52本の柱で構成された半円形の柱廊玄関に囲まれていました。一部の考古学者は、これらの遺跡を円形競技場や競技場の遺跡と見なしています。今日では一般に、劇場と半円形の建物は、皇帝アウグストゥスの崇拝に捧げられたと考えられています。
寺院は幅24メートル、長さ35メートルで、基壇(古代神殿などが建つ高い石造りの土台)の上にそびえ立っていました。大きな舗装された通りが神殿と劇場を隔てていました。神殿の北、道路と博物館のある場所に、公共広場が広がっていました。神殿の広場に隣接する壁には、1年の12か月を象徴する12の噴水が飾られていました。》

二枚目の画像は、遺跡の構造と復元図です。
競技場も古代ローマ遺跡ではよく見られるのですが、この場所は今では神殿説の方が有力なのですね。

オランジュのサン・フローラン教会

2021-09-07 21:00:21 | フランス物語


さて、今回から本当にオランジュとなります。
まずは古代ローマ劇場の舞台背後の壁の外側からです。
この壁は赤い砂岩を積み上げて造られ、高さは37mにも及ぶそうです。(週刊世界遺産No.30より)
古代ローマ劇場については後で詳しく取り上げますので、ここでは左下隅にそっと写っている建物を紹介します。
これはサン・フローラン教会の正面です。
この教会について、オランジュ観光案内所(Office de tourisme d'Orange)の仏英語HPによると、

《15世紀には、オランジュには多くの修道会がありました。聖フローランの修道会はフランシスコ会修道者の教会でした
アルルのサントロフィーム教会に由来する折戸の玄関口は、質素なゴシック様式のファサード(15世紀)の一部です。

宗教戦争の間、「プロテスタントは、オランジュ公がいる教会を容赦なく台無しにした」と、目撃者は報告しています。
革命中に国有財産として売却され、干し草置き場、厩舎、刑務所として使用され、1803年に教団に戻されます。40年後、小教区を与えられ、聖フローランに奉献されます》

確かにフランシスコ修道会らしく、質素な正面です。
そしてこの教会もフランスの他の教会と同じように、宗教戦争や大革命による被害をこうむってきたようです。

ニームの垂直式日時計(正午計)

2021-09-05 08:17:30 | フランス物語


前回、ニームの写真は一枚だけと書いていましたが、改めて確認すると、今回の写真も引き続きニームで撮ったもののようです。
いわゆる「日時計」です。市役所周辺で撮ったものだと思われます。
このような壁に取り付けた日時計は「垂直式日時計」と呼ばれます。
更にこの画像のように、数字がⅫだけしかないような日時計は「正午計」と呼ばれます。
このような正午計の用途については、ジャック・アタリ著の「時間の歴史」(蔵持不三也訳, 1986年, 原書房, p.178)に書かれているそうです。
…1750年、カサノヴァは『回想録』にこう記している。≪庭には沢山の人がいたが、彼らは皆じっと空を見上げていた。空に何か素晴らしいものがあるのだろうか。実は(太陽の)南中に注意していたのだ。誰もが手にした時計を正午に合わせようとしていたのである。≫。…
16世紀頃より普及を始めていた懐中時計は、1日に20分余の狂いが生ずるのも珍しくないという有り様で、毎日調整する必要があったそうです。
もちろん現在では、そんな使い方されていないですが、装飾的なものとして残されていたのだと思います。
あと、数字の8を縦長にしたような線は、一年を通した同位置、同時刻の太陽の運動軌跡(アナレンマ)をあらわしていると思われます。
地味ながら、過去の科学技術の名残をさりげなく保存してくれているのは、ありがたいものです。

(「日時計の部屋」のHPおよびwikiを参考にしました)

ニームのノートルダム・エ・サン・カストール大聖堂

2021-09-04 12:48:51 | フランス物語


「古の写真でめぐるフランス」シリーズ、ディジョンは前回の「モーゼの井戸」で終わり、今回からはオランジュを取り上げようと思ったのですが、一枚その直前に行ったニームの画像が残っていましたので取り上げておきます。
この教会はノートルダム・エ・サン・カストール大聖堂です。
堂々とした、ちょっとした要塞のような正面です。
この大聖堂について、Nîmes TourismeのHPより訳し、更に専門用語の説明を付け加えると、

1096年に奉献されたノートルダム・エ・サン・カストール大聖堂は、何世紀にもわたって多くの変化を遂げてきました。上部のフリーズ(壁などの帯状装飾)は、南フランスのロマネスク彫刻の主要な作品と見なされています。
建物正面の破風とコーニス(洋風建物の外壁上端,屋根庇の下,天井と壁の境などに置かれる水平の細長い突出部。軒蛇腹)のモチーフである、アカンサス(葉にとげのある双子葉植物)の葉またはライオンの頭は、メゾンカレに触発されています。

正面の三角形のところに上記のような装飾が施されているようです。更に三角形の底辺の下側には旧約聖書の物語が彫られているそうです。

この大聖堂の名称に入っているサン・カストール(Saint-Castor 350-423)は5世紀初頭のアプトという町の司教でした。
ニームとのつながりは彼の生誕地がニームだったことにあるようです。
あとcastorという単語を仏和辞典で調べてみると、動物のビーバーやビーバーの毛皮を意味しますが、ご本人とは特に関係なさそうです。