無敵

　いまどきは、お祭りやら縁日やらで「ひよこ」を売っている、なんてことはなくなってしまったのだろうか。私がまだ子供の頃は、あちこちで「ひよこ」を売っていた。もう４０年ほど前の話しではあるが。

　ある年、私の一家は平塚の七夕に遊びに行き、そこで私はなぜか「ひよこ」を買って欲しいと両親にねだった。今思えば不思議な光景だが、金魚すくいのゲージの中に色とりどりに塗られたひよこたちがぴぃぴぃぴぃぴぃ楽しげにひしめいていた。人でひしめく七夕の街を小さくしたように見えていたかもしれない。
　かわいい声は帰りのバスの中でも乗客の耳を惹きつけ、あちこちで自分のひよこのことが話題になっているのを自慢したい気持ちだった。

　ぴぃちゃん、とひよこのことを母はそう呼んだ。改めて命名するまでもなく、ひよこは「ぴぃちゃん」になった。あっちに走り、こっちに走り、小さいのによく走った。そして、どこでもかまわず糞をした。
　近所の猫に食べられてしまうかもしれない、と心配してダンボールでぴぃちゃん用の家を作った。窓を開けている時は、外に飛び出していかないよう、ぴぃちゃんはダンボールに閉じ込められた。
　しかし、そんな心配はほんの少しの間だけだった。ぴぃちゃんはみるみる大きくなり、気味の悪いほど真っ赤なとさかが頭の上でピンとなる頃には、近所の猫のほうを心配しなければならないほどマッチョなニワトリに育った。

　わが家の周囲およそ１００ｍ四方に住む住人は、毎朝ぴぃちゃんの野太い時の声で目を覚ますはめになったいたのではなかったろうか。ただし、当時のわが家は、畑の中にあり、１００ｍ圏内に３軒しか家は無かったのだが。その頃にはもう、周囲の畑全域がぴぃちゃんの縄張りと化していた。身長も６０ｃｍ以上あったのではなかろうか。子供だった私の目には、筋骨隆々としたぴぃちゃんはニワトリなのにスーパーマンであるかのように見えた。

　ある日、首につけた鎖を引きずったかなり大型の犬が、どこかの家から脱走してぴぃちゃんの縄張りに侵入した。近くの用水でマツモムシをつついて遊んでいた私は、パトロール中だったぴぃちゃんがいち早く侵入者を発見し、新幹線のようなスピードで走って来る姿を友達と一緒に見ることができた。あまりの速さに、くちばしを使ったのか、足を使ったのか、ぴぃちゃんの太刀筋はまったくわからなかったが、ぴいちゃんが飛びかかると犬は「ぎゃん」とひと声鳴いて、一目散に畑から退散して行った。ぴいちゃんはそのうしろ姿を見て、朝と同じように胸をそらして野太く鳴いた。

　無敵、という言葉を聞くと思い出すのが、このひよこのぴいちゃんだ。


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