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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

叔父

2010-06-16 10:14:39 | 日記
 父のすぐ上の兄、私からすると叔父にあたる夫婦には子供がいなかった。だから、なのかどうか今となってはよくわからないが、彼らの甥と姪である私と妹をとてもかわいがってくれた。高度経済成長の中ではアイデアと度胸があればかなり大きな成功も手に入れることができたが、叔父はその良い例のような人だった。
 叔父はこつこつ努力するのが習い姓のようになった5人兄弟の中で、「努力する」ということがあまり好きなタイプではなかった。自分のアイデアだけで楽して世渡りできるなら、それが一番と考えるような人だった。
 叔父は、南方戦線で戦い、南の島のジャングルの中で不思議な昆虫を目にし、これを日本人に紹介して一儲けしてやろうと考えた。そのアイデアは後に南米アマゾンの昆虫やインカの遺跡出土品紹介にまで広がった。
 当時急激に拡大するデパートの集客イベントとして叔父は日本では見られない不思議な昆虫や動物の展示会を企画し売り込んだ。
 展示会はどれも大盛況で、都心のデパートだけでなく地方のデパートからも引き合いがあり、叔父は相当な活躍だった。40年ほど前の話だ。
 世界中のジャングルを駆け巡って不思議な生き物を仕入れてくる叔父の家に遊びに行くと、若くて美しい叔母と色とりどりの昆虫の標本が迎えてくれたものだ。

 カラーテレビが普及し、地方の動物園でもジャングルの生き物が見られるようになると、叔父の商売は急速にしぼんで行った。たまに当たる企画もあったが、以前のように昆虫や爬虫類だけ展示していれば良かった頃と比べると、搬送費用や展示費用に経費がかさみ、赤字に終わる展示会も出るようになった。叔父は酒を飲むようになり、体を壊した。

 私の叔父に関する最後の記憶は私が高校3年になった頃のことだ。
 深夜電話のベルで目が覚めると、一階の玄関口に置いてあった電話に出た父の声がぼそぼそと聞こえた。私は、二階の自分の部屋で横になっていた。
 父はいきなり大声で二度母を呼んだ。父は母を呼ぶ時、名前で呼ぶ。名前を二度呼んだ後、「兄ちゃんが死んだぁ」と天に向かって叫ぶような声をあげた。
 当時、妹が自分の部屋で寝ていたのかどうか記憶にないが、呼ばれた母も私も妹も受話器を握り締めている父のところへ行くことができなかった。父の叫び声に圧倒されてしまったのだ。静かな夜の中で、一階にいる父の気持ちが一気に私に伝染した。
 耳だけになってしまったような私は、父が静かに受話器を置き、ずっと動かない様子をいつまでも聞いていた。


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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
  製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
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