毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
メッセージ
「論争 若者論」(文春文庫)を読んだ。このところ、若者をめぐる論考を何冊か読んできたが、毎日子供たちと接している身としては、思わず首肯する指摘があるかと思うと、これはとても受け入れられないなと感じる意見など様々あって、その都度読後感をこのブログに記してきた。感想文の域をでない稚拙なものではあるが、「子供なんて昔とそう変わっていないよ、変わったのは親も含めた子供を取り巻く環境さ」という認識が私の根底にある。もちろん子供一人一人はまったく違う存在であるから、十把一絡げの考えで彼らに接してはならないが、それにばかり拘っていると子供たちが呼吸している時代の空気というものを見落としてしまうように思う。「一人一人の個性を大切に!」などという議論は木を見て森を見ないばかりか、かえってどう子供に向き合ったらいいのか混乱してしまうように思う。ある程度は「子供なんてこんなものだ」と開き直って接するだけの心の余裕を持っていなければ、とても子供たちとまっすぐ向き合うことはできない、私は長く子供と接してきた経験からそう思っている。
とは言え、私が日々接しているのは高校生までの子供たちで、その上の大学生や社会人となっている世代の者たちとはさほどの付き合いはない。高校生、または何人かの大学生たちとは日常的に話をするが、学校を卒業して、昨今の若者を取り巻く厳しい社会情勢の真っ只中にいる者たちと話す機会はなかなかない。そのため、今の若い社会人たちが何を考え、どういう生活を送っているのかよく分からない。それは社会に出て働いてきたことのない私の限界なのかもしれないが、現今の若者たちの厳しい雇用状況も各種報道で知るばかりで、彼らの肉声を聞いたことは余りないので、本書の中に繰り返し取り上げられている派遣社員・契約社員として明日に希望をもてない若者が増大しているというのも、なかなか実感がわいてこない。若者たちの間で「蟹工船」がブームになっていると知って読んでみたが、現代の状況とはかなり違うという思いしか抱けなかった。「ワーキング・プアー」という言葉も、休みなどなく必死で働けば、自ずとお金は入ってくるんじゃないか、と50才になっても9月から3月までは休みなしで働いている私は思ってしまう。「少ない労働時間で大きな収入」なんてことを望んでいたら間違いだぞ、などと疲れてふらふらになっても毎日休まず働かねばならない私はつい言いたくなってしまう・・。
だが、それは今の若者には通じない考えなのかもしれない。労働で「自己実現」をしようなどと思っている者は少ないのかもしれないが、労働なんていい加減にやっていたら何も面白くない。いやだと思ったら、限りなくいやになる。「こんな仕事やってられるか」、と私でも何度も思った。そのたびに「自分にはこれしかできないし、これで生きていくしかないんだから、何とか工夫してやっていこう」と思い直してきた。自分に塾長という仕事があっているかどうかなんてことは考えたことはない。ただ、もうやるしかないから、やるなら徹底してやろう、やっとそう思い切れたのは30才を過ぎてからだ。
「今の若者は辛抱が足りない」とか偉そうなことを言うつもりはない。本書の中にもそうした考えを滔々と述べている論者が何人かいたが、いやなことはいやに決まっているから、自暴自棄になってしまう若者の気持ちも理解できないわけではない。第一、そうやって若者を難じる人々は、この社会で何某かを成し遂げたという自負がある人ばかりであり、そうした者たちが自慢げに話す成功譚を聞くことほどつまらないものはない。また、したり顔した学者が難解な語彙を使って自慢げに自論を展開している論文もあったが、結局何が言いたいのかさっぱり分からぬ空論などもう読みたくもない。そんな中、重松清の「若者よ、殺人犯を英雄にするな」という論考には心が震えた。6月に秋葉原で起こった無差別殺傷事件に関するものであり、できればここに全文を引用して一人でも多くの人に読んでもらいたいと思うが、さすがにそれは無理なので、せめて次の箇所だけでも引用しておきたい。
(秋葉原の献花台を訪れた22歳のユミコさんの「あの男と自分の違いを探し、答えが見つからない。事件を起こすかどうかの一線てどこにあるの」という不安に対して)その不安はよく分かる。(中略)そのうえで、「どこ」なんて問わなくていいんだ、と言わせてもらえないか。<事件を起こすかどうかの一線>はちゃんとユミコさんの中にある。確かにある。だから事件を起こしていない。たとえ「なぜひとを殺してはいけないのか」の明瞭な答えがなくても、あなたは人を殺していない。同じように、どこにあるのかはわからなくても、あなたの中には<事件を起こすかどうかの一線>があり、あなたはその内側に立っている。それを信じてほしい。誇ってほしい。そうすることで、「事件をいままで起こしていない」あなたは、「事件を将来も起こさない」あなたになれるんじゃないか、と理屈にもならない甘ったるさは承知のうえで、僕は思う」(P.189)
「間もなく若者となる子どもを持つ親として、この時代を生きるおとなとして、僕たち(あえて複数で言わせていただく)は、無責任な「夢を持て」「夢はかなう」ではなく、「絶望するな」と言いつづけ、そのためのシステムを整備し、情報を出し、物語を生みつづけるしかないのではないか」(P.200)
「絶望するな」、この言葉をかけるべきなのは若者だけではないだろう・・。
とは言え、私が日々接しているのは高校生までの子供たちで、その上の大学生や社会人となっている世代の者たちとはさほどの付き合いはない。高校生、または何人かの大学生たちとは日常的に話をするが、学校を卒業して、昨今の若者を取り巻く厳しい社会情勢の真っ只中にいる者たちと話す機会はなかなかない。そのため、今の若い社会人たちが何を考え、どういう生活を送っているのかよく分からない。それは社会に出て働いてきたことのない私の限界なのかもしれないが、現今の若者たちの厳しい雇用状況も各種報道で知るばかりで、彼らの肉声を聞いたことは余りないので、本書の中に繰り返し取り上げられている派遣社員・契約社員として明日に希望をもてない若者が増大しているというのも、なかなか実感がわいてこない。若者たちの間で「蟹工船」がブームになっていると知って読んでみたが、現代の状況とはかなり違うという思いしか抱けなかった。「ワーキング・プアー」という言葉も、休みなどなく必死で働けば、自ずとお金は入ってくるんじゃないか、と50才になっても9月から3月までは休みなしで働いている私は思ってしまう。「少ない労働時間で大きな収入」なんてことを望んでいたら間違いだぞ、などと疲れてふらふらになっても毎日休まず働かねばならない私はつい言いたくなってしまう・・。
だが、それは今の若者には通じない考えなのかもしれない。労働で「自己実現」をしようなどと思っている者は少ないのかもしれないが、労働なんていい加減にやっていたら何も面白くない。いやだと思ったら、限りなくいやになる。「こんな仕事やってられるか」、と私でも何度も思った。そのたびに「自分にはこれしかできないし、これで生きていくしかないんだから、何とか工夫してやっていこう」と思い直してきた。自分に塾長という仕事があっているかどうかなんてことは考えたことはない。ただ、もうやるしかないから、やるなら徹底してやろう、やっとそう思い切れたのは30才を過ぎてからだ。
「今の若者は辛抱が足りない」とか偉そうなことを言うつもりはない。本書の中にもそうした考えを滔々と述べている論者が何人かいたが、いやなことはいやに決まっているから、自暴自棄になってしまう若者の気持ちも理解できないわけではない。第一、そうやって若者を難じる人々は、この社会で何某かを成し遂げたという自負がある人ばかりであり、そうした者たちが自慢げに話す成功譚を聞くことほどつまらないものはない。また、したり顔した学者が難解な語彙を使って自慢げに自論を展開している論文もあったが、結局何が言いたいのかさっぱり分からぬ空論などもう読みたくもない。そんな中、重松清の「若者よ、殺人犯を英雄にするな」という論考には心が震えた。6月に秋葉原で起こった無差別殺傷事件に関するものであり、できればここに全文を引用して一人でも多くの人に読んでもらいたいと思うが、さすがにそれは無理なので、せめて次の箇所だけでも引用しておきたい。
(秋葉原の献花台を訪れた22歳のユミコさんの「あの男と自分の違いを探し、答えが見つからない。事件を起こすかどうかの一線てどこにあるの」という不安に対して)その不安はよく分かる。(中略)そのうえで、「どこ」なんて問わなくていいんだ、と言わせてもらえないか。<事件を起こすかどうかの一線>はちゃんとユミコさんの中にある。確かにある。だから事件を起こしていない。たとえ「なぜひとを殺してはいけないのか」の明瞭な答えがなくても、あなたは人を殺していない。同じように、どこにあるのかはわからなくても、あなたの中には<事件を起こすかどうかの一線>があり、あなたはその内側に立っている。それを信じてほしい。誇ってほしい。そうすることで、「事件をいままで起こしていない」あなたは、「事件を将来も起こさない」あなたになれるんじゃないか、と理屈にもならない甘ったるさは承知のうえで、僕は思う」(P.189)
「間もなく若者となる子どもを持つ親として、この時代を生きるおとなとして、僕たち(あえて複数で言わせていただく)は、無責任な「夢を持て」「夢はかなう」ではなく、「絶望するな」と言いつづけ、そのためのシステムを整備し、情報を出し、物語を生みつづけるしかないのではないか」(P.200)
「絶望するな」、この言葉をかけるべきなのは若者だけではないだろう・・。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )