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「ダンシング・ヴァニティ」

 筒井康隆著「ダンシング・ヴァニティ」(新潮社)を読んだ。読み始めたのはかなり前のことだったが、読み終わるのにものすごく時間がかかった。それはこの小説が、言葉と表現を少しずつ変えながら、ある場面を何度も繰り返し描写するので、途中で読むのが面倒くさくなってしまっためだ。どうしてこんなにくどくどと同じような描写が繰り返されるのか、初めはまったく理解できなかった。ある場面の繰り返しが終わって、やっと話が少し先に進むとまたすぐに繰り返しが始まって、なかなか物語が進展しない。これにはかなり辟易してしまい、しばらく読まずに居間の片隅に放っておいたら、いつの間にかトイレに置いてあった。妻が、「トイレで少しずつ読もうかな」と思って持ち込んだらいしいが、なるほどトイレで座っている短時間ずつで区切って読んでいけば、案外リズムができてくるかもしれないな、と私も1ページ2ページ、トイレに入るたびに読み進めることにした。すると結構スムーズに読むことができ、思わず4、5ページ連続で読んだりすることもあって、ゆっくりとではあるが確実にページは進んでいった。(話はなかなか進まないけど・・)まさか筒井自身は自作がトイレで読まれるなどと想定してはいなかっただろうが、この小説に関してはそれがちょうどいい読み方のように思えた。
 ブログに記事を書いていると、何かの拍子で記事が消えてしまうことが時々ある。書き終えて投稿ボタンを押すと、ログインのページに変わることがこの goo のブログには度々ある。慌てて編集画面に戻すと書き終えたはずの記事がきれいに消えてしまっている・・。何度苦汁を飲まされたことか。思わず呆然としてしまうが、いつまでも真っ白になった画面を見ていても仕方がないので、「くそっ!」と舌打ちしながらもう一度書き直すことになる。(最近はその危険を防ぐために、書き終わった記事をコピペしてから投稿ボタンを押すことにしている)
 そんな時に書き直してみると、消えてしまった文章と少しずつ違う文章になる。テーマは同じことなのに、言葉や表現方法が少しずつ変わると文章全体の印象も違ったものになる。どちらの文章がいいのかは、前の文章が消えてしまっているから比べようもないが、こうした体験を何度もしている私には、この筒井の小説は同じような体験をもとにしているのではないかと思ってしまう。そこで、私もこの小説に倣って、ちょっとした文章を何パターンか書いてみようと思う。
 
 『私は日曜日ごとに定期購読しているディアゴスティーニのDVD「刑事コロンボ」を1話ずつ見ることにしている。最初の2・3話はすぐに見たものの、その後はずっと見ないでいたため、20巻以上も溜まってしまった。これでは勿体ないと、日曜の夜、「篤姫」を見終わってから見るようになった。毎回見応えのある推理ドラマばかりだが、殺人を犯す犯人がすべて各界の有名人であるのに気づいた。一般庶民ではインパクトに欠けるのか、傍目から見れば何不自由ない暮らしをしている者たちが、計画的にあるいは突発的に殺人を犯してしまう、そうした意外性が見る者を引き付けるのかもしれないが、毎回同じではちょっとどうかと思わなくもない。
 ここ2ヶ月ほど毎週日曜の夜、「篤姫」を見終わるとディアゴスティーニから隔週で発売されている「刑事コロンボ」のDVDを1枚ずつ見ている。発売当初は何枚か見たものの、その後怠けていたから20話以上溜まっていたのを、このままでは勿体ないと思って見始めた。毎回凝ったストーリーでドラマの中に引き込まれるが、それにしても殺人犯たちが皆各分野の著名人ばかりであるのはどうしてなのだろう。一見何ら不満のない暮らしをしている者たちでも、一皮めくればドロドロしたものが心の中に流れている、と訴えたいのだろうか。それにしても毎回同じパターンでは、どうかな?と思わないでもない。
 毎週日曜日の夜に、ディアゴスティーニから出ている「刑事コロンボ」のDVDを見るようになってしばらくが経った。発売したての2、3話を見ただけで、その後は溜まる一方だったDVDの山を見て、これでは勿体ないと「篤姫」の後に見ることにした。毎回意表をついた展開でコロンボの術中にはまってしまう私だが、一つだけ気になることがある。それは人殺しをする者たちが、みな色んな世界で名を成した人たちばかりだということだ。一見人生を謳歌している者たちでも、心には深い闇を抱えているんだな、と見るたびに思うが、毎回設定が同じように見えてしまうのは、あまり面白くない』

 私の拙い文才ではこんな駄文にしかならないが、筒井センセイの文章は、ぐるぐる回りながらも確実に下降していく螺旋階段のような構造になっているから、さすがだ、感心する。しかし、そうした趣向を「「だるい」と言ってしまえば言えるだけに、この小説の評価は人によってかなり違うのではないだろうか。
 私はこの小説独特のリズムにさえ馴染めれば、最後まで読み通すことはできると思っているが、「なら、おもしろいの?」と問われれば、きっと「?」と答えるだろう・・。

 
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