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藤を見ながら・・

 今年も藤が咲く頃になった。ここ2年ずっと塾から見える藤の花を記事にしているが、今年は例年と比べて一段と華やかな気がする。

 

 誰も何も世話しないでも、こうやって花を咲かせるのだから大したものだ。しかし、寄生している藤があまりに栄えてしまっては本体の木が枯れてしまう。ほどほどにしておかないと共倒れに終わってしまう。そのあたりのバランスを藤が心得ているからこそ、毎年こうやって見事な花房を私たちに見せることができるのだろう。自然の摂理とは人知をはるかに超えた奥深いものである。
 そんなことを思いながら藤を眺めていたら、現今の民主党政権もこの藤のようなものではないだろうか、と妙なことを思った。マニフェストに掲げた政策が、謂わば藤の花である。「高速道路の無料化」「子供手当て」「沖縄普天間基地の県外移設」「無駄なダム建設の中止」などなど、きらびやかな文言で有権者の耳目を集めたのは、今まさに房となって垂れさがっている藤の花のように、見る者を魅惑するだけの力があった。その美しさに酔いしれた人々が多かったからこそ、圧倒的な勝利とともに政権交代が実現したのであろう。しかし、藤の花のごとく、マニフェストが寄生していたのはわが日本国であり、寄生するものが強くなればなるほど、宿主たるものの勢いは弱まっていく。すなわち、様々な問題を内包しながらも、マニフェストで公約したものだからと金科玉条のごとく、硬直した姿勢でその実現を焦れば焦るほど、本体の国は弱体化していく・・。そんな国の現状を藤が象徴しているようで、しばらく見ているうちにげんなりしてしまい、言葉なくその場を離れた・・。

 昨年の総選挙のとき、私は政権交代を望んだ。それは民主党に期待したわけではなく、様々な分野で疲弊しきった自民党政権に辟易していたからである。民主党など決してあてにはならないが、座して死を待つよりはダメもとで新しい息吹に期待してみようか、というほどの気持ちであった。故に政権交代後、遅々として改革が進まないどころか、自民党政権時代よりも悪くなった点がいくつか見え始めても、「どうせこんなものだろう」と、大して落胆もしていなかった。(メッキがはがれるのが早すぎた気はするが・・)。それよりも今私が悲噴慷慨しているのは民主党の対抗勢力たる自民党の内部分裂である。まさに溺れる船から逃げ出す動物たちのように、有象無象の国会議員たちが自民党を離れて新党結成を果たした。その時の様子をTVで垣間見て驚いたのは、誰もが嬉しそうな顔をしていたことだ。日本の現在の難局を乗り切るためには国を挙げての政策が求められているのに、皆でてんでバラバラなことを言いながら、ちっぽけな政争を繰り返しているだけなのに、憂国の士を気取った彼らは至って呑気に嬉々としてはしゃいでいるのだから呆れてしまった。その現状認識の甘さにむかっ腹が立ってきて、
 「どうしてそんなにアホなんだ!」
と思わず叫んでしまった。これでは彼らにもまるで期待できない。これからの日本をどうするのか、明確なビジョンを何も示さないのだから、いったい何のために自民党を飛び出したのだろう・・、謎だ。

 いつも思うことだが、いったい今の政治家たちは何を目標としているのだろう。高邁な理想など持ち合わせていないのかもしれないが、せめて持っているような素振りだけはしてもらいたい。今の政治家たちの発言を聞いていると、あまりに器が小さすぎる。このブログのサイドバーに貼ってある、坂本龍馬の金言を少しは勉強した方がいいだろう。
 例えば、これなんてどうだろう。

何の志ざしもなき所にぐずぐずして日を送るのは、実に大馬鹿ものなり


 
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