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新緑の候



 昨日は爽やかな一日だった。風は冷たかったが、よく晴れて清々しい心持ちになれた。バスを運転して山間を走っていたら、新緑が目に痛いほどで、葉の隙間から差し込む陽光がまぶしかった。一年にこんなに気持ちのいい日は何日もない。嬉しくなって車を止めて携帯で写真を撮ったが、思いの外うまく撮れなかったのは残念だ・・。


 若葉を眺めていたら、「地球を支えているのは葉っぱだ」と突然思い至った。当たり前だと言ってしまえばそれまでだが、葉の働きが地球上の生物を生かしている。私たち人間を含めてありとあらゆる生物は空気なしには生きていけない。その空気の成分割合(窒素:酸素=4:1)を維持しているのが葉の光合成であるのは小学校で習う。
「葉の葉緑体に日光が当たると、二酸化炭素と水を原料にしてでんぷんと酸素を作り出す作用を光合成と呼ぶ」
と簡単にまとめることができるが、これを以下のように図で表してみるとさらによく分かる。



 二酸化炭素は葉の裏側に多い気孔から、水は根から取り入れられる。できた酸素は気孔から外に出されて、それを吸って私たちは生きている。またでんぷんは水に溶ける糖に変えられ、葉脈から師管を通って植物の体全体に運ばれる。こうした働きを光合成と呼ぶのだが、葉には他にも2つ大切な働きがある。1つは呼吸。植物も生き物である以上酸素を吸収して、二酸化炭素を排出する。ただ、植物が呼吸で吸収する酸素よりも、光合成で作りだす酸素の方が多いので、私たちがいくら呼吸しても酸素がなくなる心配はない。もう1つは蒸散。これは根から吸い上げた水のうち、不要になった分を気孔から出すことであり、人間の発汗作用のようなものである。
 「きれいだな」と、眺めている間にも葉はこれだけの仕事を常に行っているわけで、たまには葉の果たしている大切な役割に思いを馳せてもいいだろう。
 自然の営みには無駄がない。必要最小限で最大限の効果が上げられるようになっている。私が初めて光合成の仕組みを知った時には感動した。普段平気でちぎっていた葉に、かくも玄妙な働きが与えれていて、毎日何の不平も言わずにただひたすら酸素を作り続けているとは・・、まさに目から鱗が落ちたような感動を味わった。しかし、高校の頃の私は「生物」がすべての科目で一番嫌いだった。なんだか面白くない。確かに生き物の仕組み、生命の不思議を科学的に解き明かそうとするのは大切な学問であり、生物としての人間の未来を切り開くためにもなくてはならない科学分野であろう。しかし、私には面白くなかった。
 今思うにそれは、「生物」があまりに科学的に生き物を解明しようとし過ぎている、という反発もあったようだ。生き物の神秘に触れ、それを解明したくなるのは好奇心あふれた人間ならば誰しも思うことであろうが、私には中学生レベルの科学で十分なように思えた。光合成なら上に掲げた解説程度の知識で留めおけばよく、高校の分厚い教科書に載っているような専門的な知識は不要だとしか思えなかったのだ。生命の神秘は神秘のままにしておいて、何もかも人間の手で解明しようなどいうのは、人間の傲慢ではないのか、そんな気持ちでいたら、いつの間にか本格的に生物が嫌いになっていた・・。
 その思いは今でも変わっていない。科学者は科学理論ですべてを解き明かせるつもりでいるかもしれないが、それは分を弁えない愚か者の発想であり、人間は自然の前でもっと謙虚であるべきだと思っている。己の力を過信しすぎると、イカロスの羽のように燃え尽きてしまうのではないだろうか・・。

 
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