じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

心神喪失なら人を殺しても許されるのか。

2007-02-28 23:01:58 | Weblog
★ 心神喪失なら人を殺しても無罪になる。今まで何度も問いかけられてきたこのテーマだが、こうした判決が下されるたびに、納得できないモノが残る。

★ 殺された人は犬死か。犯罪者の「人権」が尊ばれるが、被害者の人権はどうなるのか。不運としてあきらめろと言うことか。そんなことであきらめられるはずがなかろう。

★ 「悪魔の声が聞こえたから」といって殺人を繰り返されてはたまったもんじゃない。心身喪失であろうとどうであろうと人の命を奪ったものは極刑やむなしで臨むべきだ。

★ そのことを声を大にして叫びたい。
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教育目標の英訳

2007-02-19 14:00:59 | 教育
★ 生徒から学校の教育目標の英訳を頼まれた。何に使うのかはわからないけれど。

★ それにしてもこの紋切り型の文章はひどいねぇ。法令を書き写しただけって感じだね。

★ 「円満な人格を目指し、知・徳・体の調和を図るとともに、国家及び社会に貢献し得る有為な国民を育成すること」

★ 主語もないし、文のつながりも曖昧だ。

★ 円満な人格を目指すのは誰なのか? 知・徳・体の調和を図るのは誰なのか?

★ 生徒なのか、校長なのか、学校のスタッフなのか、教育委員会なのか、地域住民なのか、それとも曖昧に「みんな」なのか?

★ 戦前の学校経営の実践記録を読んでいると、ほとんどの学校で「日本精神」というタテマエが記されていたが、戦後60年が経過し戦後体制の終焉が叫ばれつつも、内容こそ違え形式は大差ないなぁと改めて感じた。
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NOVAに暗雲

2007-02-16 13:25:55 | Weblog
★ 企業は順調に拡大している時は問題が露呈しないが、いったん先行きが怪しくなるといろいろとほころびが見えてくる。売り上げ(あるいは利益)が落ちてくると、姑息な方法を取りがちだ。それがまた問題を生み出す。

★ 英会話業界の最大手NOVAが経産省や東京都の立ち入り検査を受けていると言う。解約手続きをめぐる消費者からの苦情が相次いでいるそうだ。

★ 解約をめぐるトラブルは今に始まったことではない。かつては他の英会話学校でも見られた。今問題になっているのは昨今のNOVAの経営の伸び悩みと関係があるのだろうか。

★ 英会話業界もめまぐるしく勢力図が変わってきた。ずっと昔はYMCAが地道な活動をしており、その後、TVCMでタレントを起用したECCが急成長。その後アンビックやバイリンガル、アトニー、UCLA(後にトーザに改称)などが追随。NOVAもそのころ心斎橋の小さな教室でスタートしたと記憶している。

★ アンビックがジオスとイーオンに分裂し、バイリンガルやアトニーやトーザは倒産などで市場から去った。その中で、NOVAは「駅前留学」をキャッチフレーズに、教授システムも外国人によるフリータイム制(チケット制、予約制)を採用し、急成長を遂げた。

★ ECCは多角化をめざし、法人に実績のあるベルリッツはベネッセの傘下に入った。

★ 昔の英会話の授業と言えばYMCAやECCのように日本人講師によるクラスレッスン中心のものだったが、NOVAはその仕組みを大きく変えた。社会のニーズとうまくマッチしたのだろう。伝統のあるECCの授業も社会状況に合わせて今では大きく変わっている。

★ チケット制でよく言われるのは、チケットを大量に販売し、その未消化分であったり、ダブルブッキングをうまくやりくりする中で(このやりくりが学校責任者の力量だったりする)利益が生まれてくるということだ。低料金システムのからくりはこのようなところにあるようだ。まともに解約に応じていたら経営が苦しいということか。

★ 今回の件をめぐってはNOVAにはNOVAなりの言い分はあるのだろうが、今は消費者優先の時代だ。お客様のヒンシュクをかっては経営は成り立たない。

★ 経営が苦しくなると誰しもケチれるところはケチりたいものだが、ケチってはいけないところは歯を食いしばっても守り抜きたいものだ。
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「無抵抗だから」いじめる卑劣さ

2007-02-16 12:06:36 | 教育
★ 警察庁の調べで、いじめ事件の理由の多くが被害者の「無抵抗」にあるということがわかった。

★ 「無抵抗だから」という理由でいじめるなどは、人間として最も卑劣なものだ。人間を人間としてみていない。自分は被害を受けることがないから安心していじめられるってところか。全くひどいものだ。彼ら・彼女らは自分の卑劣さに気づいているのだろうか。憤りを感じるなぁ。気が弱かったり、人が良かったりする子どもがいじめられ、その「やさしさ」ゆえに自分だけで思い悩んでしまう様子がよくわかる。

★ 「もっと強くなれ」「抵抗しろ」という意見もあるだろうが、まずは加害者に自らの行動を認識させなければならない。もちろん最近は被害者と加害者が入れ替わったり、加害者も家庭問題でストレスを感じたりしているから、ある意味被害者であったりする。複雑な問題が絡んでいるが、まずは自らの行動を見つめ直してもらうよりほかないだろう。

★ また少子化の中で、異年齢集団が不足しているのも問題だ。うちの塾生をみていても一人っ子は概して扱いにくい。特に低学年の子では常に自分がかまってもらわないと気が済まないことがある。成長してからも、妙に自己顕示欲があったり逆に自己卑下したり、それはどちらもナルチシズムの裏返しのようにも思えるのだが、指導の難しさを感じることがある。

★ 親も変わってきている(自分勝手な親も結構多い)から、子どものせいだけにできないのも難しいところだ。
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黒船来航

2007-02-16 10:59:36 | Weblog
★ サッポロビールをめぐり市場が熱い。外資が買収に乗り出したほか、アサヒビールも統合を提案していると言う。

★ ニッポン放送のときもそうだが外資系投資ファンドが、日本の企業に食いついてきている。「気をつけないと外資にやられちゃいますよ」とはかつての時の人の発言だが、実際、外資はジョーズのように日本の企業を狙っている。

★ 会社は誰のものかという議論があるが、アメリカの論理、資本の論理でいけば株主のものか。そしてその株主は株を長期に保有し、その企業の成長を応援するといったものではなく、より利益の大きいものへと日々刻々移ってゆく。宿主を求めてさまようウィルスといったところか。

★ これが資本主義の原理といってしまえばその通りだが、グローバル化の流れの中で、経営者と従業員が一体となって会社を盛り上げてきたかつての日本的経営は危機に瀕している。

★ カネがカネを産むといったマネーゲームが展開され、富める者が益々富を増やし、貧しいものは働けど働けど暮らしが改善されないといった資本主義の原理そのものがより鮮明に出現しているようだ。

★ 「産む機械」発言が問題になったが、資本家達にとってみれば労働者はまさに利潤を産んでくれる機械だ。極端な話、労働者は人間である必要はなく、ロボットで置き換えられるならばそれで十分だろう。いや、その方が好都合だ。

★ ある意味、理想的な経営とは1人もしくは数人の経営者がいてあとは全部ロボットが生産をしてくれるようなものだろう。機械は文句も言わず、メンテナンスをしっかりすれば24時間ムラなく仕事をしてくれる。労務対策も福利厚生もいらない。更に進めば、経営者もロボットでよくなるかもしれない。

★ 現実こういう社会が実現されつつある。

★ こうした社会になると、少数の能力のある人や高い付加価値をもつ専門家は食っていけるが、工業化社会で「金の卵」などともてはやされた単純労働者は不必要になってくる。一部の特権階級は時間をもてあまし古代ギリシャの貴族のようにサロン(浴場?)で哲学をかたり、他の人々は奴隷あるいは浮浪の民となるのだろうか。


★ 今の資本主義の論理でいくなら、格差社会は至極当然な帰結だろう。さて、それでよいものだろうか。
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知価社会

2007-02-15 03:38:03 | Weblog
★ NHKテレビ、「こだわり人物伝」という番組の中で、堺屋太一さんがサントリーの佐治敬三さんのことを紹介されていた。堺屋さんのうまい口調に乗せられてズンズン番組に吸い込まれて行ったのだが、中でも「知価社会」という考え方が非常に参考になった。

★ 知価社会とは経済の成長と企業の発展に「知恵の値打ち」が不可欠な社会ということだが、モノをもつことから満足を感じることに、量から質に消費者の志向が変わってきたということだろうか。他の人々が脱工業化社会とか成熟社会といっているものと同義かな。厳密な吟味はしていないけれど。いずれにせよぼんやりとしたイメージはつかめる。

★ 酒を飲むにしてもただ酔えばよいのではなく、いかに酒を飲み、いかに酔うかということか。誰と飲むか、どんな雰囲気で飲むか。アルコール度数よりもそうしたTPOが問われるということかな。

★ 教育産業ではどのようなことかな。知識を詰め込むだけでは能がないということか。学ぶ内容は当然のこととして、学び方や「学ぶ」行為そのものを掘り下げて考える必要がありそうだ。

★ 音楽もCDというハードではなく純粋なデータが販売される時代だ。映画などの映像データもDVDなどからデータとして販売されるようになるのも時間の問題だろう。新聞や書籍も姿を変えつつある。

★ 「教育」も知識だけならデータとしてダウンロードして終わりとなりそうだ。こうした状況では、大量生産されるものは案外脆弱かもしれない。最後に残るのは塾長、講師の個性なのかも知れないね。塾のアクの強さなのかもしれない。

★ 歴史に「たら」は禁物だが、小渕さんが病に倒れなければ(堺屋さんが政府に対して発言力をもっていれば)、日本は今のような格差社会にはなっていなかったかも知れないね。小渕ー堺屋路線と小泉ー竹中路線では同じ自由主義、資本主義経済とはいえ大きな違いがあるよね。
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殉職

2007-02-12 19:55:01 | Weblog
★ 三浦綾子さんの「石狩峠」を読んで感動した記憶がある。

★ 暴走する列車を止めるために自らの身を犠牲にするといった話だった。とっさの判断だろうが、一番大切な自らの命を投げ出して多くの人々を救うといったことにショックを受けた。

★ ホームから落ちた人とを救うために自ら線路に飛び込み犠牲になられた韓国人留学生の話が映画化された。本人は最初から犠牲になるとは思っていなかったであろうが、リスクは理解できたであろうし、そのリスクを顧みず飛び込まざるをえなかった、心の中の衝動があったのだろう。

★ 自らの命を危険にさらし人を救うなどといったことは、言うが易いができるものではない。私などは臆病なので足がすくんでしまうのは目に見えている。

★ 先日、女性を救うために線路に飛び込んだ警察官が亡くなられた。不祥事が相次ぎ、モラルや仕事に対する使命感が問われる時代の中での美談として語られている。亡くなられたご本人やご家族のことを思えば美談などと言った表現自体が不適切だろうが、ほかに適当な言葉もみあたらない。

★ 殉職はあってはならないことだが、そこから何も感じないのは申し訳ないと思う。亡くなられた警察官の方のご冥福をお祈りするとともに、せめて自分を反省し、今後の戒めとしていきたいものだ。
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補佐官の僭越

2007-02-09 09:21:45 | Weblog
★ 安倍内閣の山谷えり子補佐官が中教審を批判し、その改革を教育再生会議で検討するとしたことが波紋を呼んでいる。

★ 中教審のありかたそもののは大いに検討されてしかるべきだが、山谷発言を即、安倍首相が否定するあたり、官邸の意見が不一致でチーム安倍が迷走していることを物語っている。

★ 補佐官の設置は各役所にしてみれば面白くなかろう。特に文科省では中教審の屋上屋に教育再生会議なるものを設置され、自分達が積み上げてきたものを否定あるいは横取りされる気分だと思う。その上の「中教審改革」発言である。

★ 大臣や与党が勝手な発言を繰り返す中で、安倍内閣が何をしようとしているのかがわからなくなってきている。補佐官と言う制度は悪くはないが、補佐官はあくまで補佐官であり、総理と一体でなければ政治の混乱を招くだけである。

★ 詰まるところ安倍首相のリーダーシップの問題である。アイデアはいくらあってもそれを一時に実行するには無理がある。支持率低下や閣僚の不祥事の中、功を焦っている様子が伺えるが、特に教育など長期の日本のあり方を決める政策を拙速に処理されたのではたまったものではない。

★ 与党の一部では早々に内閣改造との声も聞かれるが、もはや空中分解寸前の内閣に改造する意味があるとは思えない。首相自らが決断する時が早く来そうだ。捲土重来すればよかろう。
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私立高校の志願状況から

2007-02-08 17:17:31 | Weblog
★ 京都府の私立高校の志願状況が発表された。

★ 今年の台風の目と思われていた京都産業大学付属高校は倍率が2倍足らずと想像以上に伸び悩んだ。もちろんこの倍率と言うのは専願と併願が含まれているから、専願率を見てみないと実力の程はわからない。超難関高では最初から倍率は低いものの、専願者が多いため、数字以上に難関だしレベルも高い。

★ 京産大付属の場合はどうか受験者の層を分析してみないとわからない。しかし、今年の合格者が同校の今後を左右することは確かだろう。

★ 女子校は軒並み苦戦。いや苦戦を超えてもはや市場からは見放されているともいえる。京都女子や同志社女子などブランド校は生き残れるであろうが、ノートルダム女学院、平安女学院、聖母学院はひどいねぇ。かつては人気があったのだが。華頂女子、光華女子などかろうじて1倍を超えているが、2校とも公立高校の滑り止めに利用されることが多いから、合格者が定員を満たすかどうかは苦しいところだろう。

★ 共学化、進学校化をめざし、急激に人気を集めている京都橘とは対照的な結果だ。超特進クラスにあたるBⅡの志願者が20.5倍と言うのは見事だ。(京都橘女子は以前は京都の中でも底辺校の1つだった)

★ 滋賀県では女子高がなくなるというが、京都もご時世には勝てないか。

★ 今回の受験期の特徴は受験の低年齢化だ。受験の中心は中学受験、更には小学受験に向かっている。低年齢で子どもたちが選別されていく実態が明らかだ。そしてそれは親の年収など家庭環境によって選別されることを意味している。

★ 格差社会を物語る現象だ。

★ 蛇足ながら、高校経営も塾経営と似てきたようだ。特進クラスなど成績の良い生徒を重点的に指導し実績をかせぐ。それによりブランドを高めようとしている。しかしそうした生徒だけでは経営が成り立たないから、成績が芳しくない生徒もありがたい「お客様」として受け入れる。そんな光景が見える。理想論、建前だけではメシは食えぬということか。

★ 今日、テレビで京都府議会の模様をチラッと見た。教育長の「建前」の答弁が印象に残った。質問者の「高校の序列化が進んでいるがそれに対してどういう措置をとるのか」との質問に、「生徒の多様なニーズに応えた高校改革を行っている。序列化とは考えない」とするものだった。

★ 教育長が何と言おうが序列化は確実に進んでいるし、それを一番知っているのは、あるいはあえて序列化を進めているのが府教委だと思うのだが。序列化の是非はともかくとして、厚顔な建前論が面白かった。
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学年閉鎖で、塾は忙しい。

2007-02-07 16:09:53 | 教育
★ 校区の中学2年生が学年閉鎖なので、連日生徒が朝から夕方まで塾に来ている。

★ インフルエンザと言うことだが、発病していない子にとっては家でじっとなどしていられないらしい。春のような陽気だし、それに共稼ぎの家が多いので家で独りでボーッとしているのも苦痛のようだ。とはいえ、カラオケやUSJに行くような遊びは学校から禁止されている。ということで、気楽にたまれる場所として塾が選ばれているわけだ。

★ 塾としては来ていただいて大いに結構なのだが、学校の無為無策、学年閉鎖という仕組みに疑問も感じる。

★ そもそも学級閉鎖や学年閉鎖は感染症の流行を抑止するためのものだと思うが、2年生が閉鎖されていても他の学年は平常通りだし、家庭に帰れば兄弟姉妹もいるのだから、どれだけの抑止効果があるのかは疑問だ。

★ 発病していない生徒は学校に通わせ自習をさせる方法もあるだろう。学校は怠慢をしているわけではなかろうが、そんなことをふと感じた。
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