★ マニュフェストやアカウンタビリティなど横文字の言葉が踊る中、学校経営にも企業なみの数値管理が求められるようになってきた。学校選択の自由化などで公立学校に市場原理が導入され、一方私立学校は少子化の波を受け、生き残りをかけ「企業」努力を進めている。「教育」がサービス産業化する中、数値目標を掲げそれを武器に競合校との差別化を図ると言う意図はわかる。
★ 全国レベルの学力テストが実施されるという。かつては文部省対日教組の戦いの争点となった「学テ」も子どもたちの学力低下が叫ばれる中、今回はあっさり実施されそうである。調査結果は学力格差の実態など重要な基礎データとなるであろう。しかし、数値と言うものは一人歩きを始めるのも常のことであろ。先の「学テ」では都道府県対抗戦の様相を呈し、全国1位をとるために、あるいは近隣県には負けないために成績の悪そうな子を試験当日に欠席させるなど異常な加熱ぶりがあったと伝えられている。学校間の数値となるとよりシビアなものになるであろう。学校選択が自由化の傾向にある今日、消費者(教育を受ける側)の立場から言えば、学校に関する情報は公開されて当然であろう。そして成績の良い学校は進んで公開をするであろう。
★ しかし統計と言うものは成績の良い学校があれば悪い学校があって当然である。なぜ成績が悪いのか、テスト自体が適性であるという前提に立つならば、その成績の悪さを追究する、また成績の良い学校と比較研究し、より良い学校・教育を求めて改善をしていくというのが、調査結果利用の本来の意味であろうが、実際は数値だけが一人歩きをしてしまうのが目に見えている。
★ もう一つの落とし穴は、数値化できないものの軽視である。フィギィアスケートの採点を見るとわかりやすい。フィギィアスケートはかつての主観的な採点から客観的な数値化へと大きく変えられた。不透明な採点を排除しようと言うもので、真に「公平」な審判が難しい現状の中ではやむをえない措置なのかも知れない。その中で採点にはプラスにならない「イナバウアー」を披露し金メダルを獲得した荒川さんのこだわりが素晴らしいと思う。
★ 教育という作業においてはその大部分が数値化できないものである。確かに「読み、書き、算」といった基礎学力の到達度は統計的に表すことはできるかもしれないが、そうした基礎学力であっても1人ひとりの満足度や習得への過程など数値化が難しい要素を多く含んでいる。ましてや道徳性や人間性の分野では数値化は不可能であろう。そして学校教育とはこの領域こそをもっとも得意としなければならないのではないだろうか。
★ インプットとアウトプットの問題もある。もし学校(あるいは教師)の教育力を問うならば、教育の前後で生徒がどのように変容したのかを見極める必要がある。例えば学力についていうなら、大手進学塾のように勉強に適性のある子を集められるかどかが、結局成果を決定してしまうことになりかねない。最近思うのは、名門大学への合格者を多く輩出する高校もよいけれど、いわゆる底辺校で生徒と格闘しながら教育を行っている教師たちの教育力は素晴らしいと思う。教育の成果あるいは実態を数値化するも良いだろうが、数値化できないものの重要性を見逃してはいけない。教育力とは難しいものである。
★ 全国レベルの学力テストが実施されるという。かつては文部省対日教組の戦いの争点となった「学テ」も子どもたちの学力低下が叫ばれる中、今回はあっさり実施されそうである。調査結果は学力格差の実態など重要な基礎データとなるであろう。しかし、数値と言うものは一人歩きを始めるのも常のことであろ。先の「学テ」では都道府県対抗戦の様相を呈し、全国1位をとるために、あるいは近隣県には負けないために成績の悪そうな子を試験当日に欠席させるなど異常な加熱ぶりがあったと伝えられている。学校間の数値となるとよりシビアなものになるであろう。学校選択が自由化の傾向にある今日、消費者(教育を受ける側)の立場から言えば、学校に関する情報は公開されて当然であろう。そして成績の良い学校は進んで公開をするであろう。
★ しかし統計と言うものは成績の良い学校があれば悪い学校があって当然である。なぜ成績が悪いのか、テスト自体が適性であるという前提に立つならば、その成績の悪さを追究する、また成績の良い学校と比較研究し、より良い学校・教育を求めて改善をしていくというのが、調査結果利用の本来の意味であろうが、実際は数値だけが一人歩きをしてしまうのが目に見えている。
★ もう一つの落とし穴は、数値化できないものの軽視である。フィギィアスケートの採点を見るとわかりやすい。フィギィアスケートはかつての主観的な採点から客観的な数値化へと大きく変えられた。不透明な採点を排除しようと言うもので、真に「公平」な審判が難しい現状の中ではやむをえない措置なのかも知れない。その中で採点にはプラスにならない「イナバウアー」を披露し金メダルを獲得した荒川さんのこだわりが素晴らしいと思う。
★ 教育という作業においてはその大部分が数値化できないものである。確かに「読み、書き、算」といった基礎学力の到達度は統計的に表すことはできるかもしれないが、そうした基礎学力であっても1人ひとりの満足度や習得への過程など数値化が難しい要素を多く含んでいる。ましてや道徳性や人間性の分野では数値化は不可能であろう。そして学校教育とはこの領域こそをもっとも得意としなければならないのではないだろうか。
★ インプットとアウトプットの問題もある。もし学校(あるいは教師)の教育力を問うならば、教育の前後で生徒がどのように変容したのかを見極める必要がある。例えば学力についていうなら、大手進学塾のように勉強に適性のある子を集められるかどかが、結局成果を決定してしまうことになりかねない。最近思うのは、名門大学への合格者を多く輩出する高校もよいけれど、いわゆる底辺校で生徒と格闘しながら教育を行っている教師たちの教育力は素晴らしいと思う。教育の成果あるいは実態を数値化するも良いだろうが、数値化できないものの重要性を見逃してはいけない。教育力とは難しいものである。