じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

京都府公立高校(山城通学圏)の志願状況

2008-02-29 03:43:05 | Weblog
★ 京都府公立高校の志願状況が出た。山城通学圏は第一志望校は次のような結果だった。選抜方式は少々複雑。定員の10%は特色選抜ですでに決定。残る席を争うこととなる。ただ残席の内、85%が第一希望者の中から合格者が決まり、残る15%は第一希望者と第二希望者を合わせた人々の中から決まる。「空席があればどこでもよい」とする第三志望まで選ぶことができる。
山城圏学校別志願者数2008
定員 内定 残席 志願者 倍率
東宇治 240 24 216 221 1.02
莵道 320 32 288 305 1.06
城陽 320 42 278 326 1.17
西城陽 280 28 252 277 1.10
久御山 240 24 216 262 1.21
田辺 160 16 144 159 1.10
木津 240 24 216 253 1.17
南陽 320 32 288 331 1.15
西宇治 160 95 65 84 1.29
城南(文) 40 20 20 14 0.70
城南(自) 40 20 20 16 0.80
京都八幡 240 185 55 78 1.42

★ 今年は順当な数字が出ている。1番手校の南陽高校だが競争率は例年通りあまり高くない。昨年は第一志望者で定員割れをして、「どこでもよい」とする生徒がかなり南陽に流れた。さぞかし生徒たちも高校側も大変だっただろう。成績の底辺層が進学校へ行くのだから。制度上の矛盾だと思った。今年はそういうことはなさそうだ。

★ 南陽に続く、菟道、西城陽。菟道も昨年は第一志望で定員割れをしていた。最近の生徒は「勉強」を嫌う傾向にある。「高校は楽しむために行く」と割り切っている生徒が多い。難関校で切磋琢磨するよりも、ランクを落として楽に過ごしたいといった風潮がある。結果的にその方が調査書の点数が上がり、大学進学ではその方が有利だったりする。理想よりも実利を求める傾向にある。

★ 西城陽は昨年志願者が多かったから、隔年傾向だろうね。

★ 上位3校に続く、東宇治、久御山は人気がある。成績的にはオール3より少し上レベルだから受験者層も多いところだ。東宇治は定員が増えたから倍率は下がった。久御山は生徒たちの「安全志向」で人気が高まった。第二志望で久御山を選んでいる生徒も多そうだ。

★ 城陽、田辺、木津は実際「受け皿校」だが、田辺は昨年志願者が多かったから、今年は敬遠気味。その分、木津が増えている。城陽は「学校が荒れている」とのもっぱらの評判だが、志願者数に大きな影響はなかったようだ。落ち着いて学習できる環境を取り戻して欲しいものだ。

★ 推薦入試では2倍以上の人気を集める西宇治だが、一般入試では落ち着いた傾向だ。来年度西宇治と統合する城南は今年も定員割れだ。残席分がもったいないね。京都八幡は堅実なところだろう。

★ 今年は第一志望あるいは第二志望でとめ、それがダメなら私立へ行くという生徒も多い。経済的に許されるならそれも1つの選択肢だろう。

★ さて受験まであと5日。生徒たちには最後の追い込みに頑張ってほしい。
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ロシアの復活

2008-02-28 23:02:48 | Weblog
★ 報道ステーションでロシアの次期大統領をめぐる特集をしていた。ロシアでは帝国主義が急速に復活しているようだ。資源を背景とした富国強兵政策。プーチン大統領の人気は絶大なようだ。プーチン親衛隊に至っては、かつてのドイツや文革時の中国を見るようだ。

★ 歴史は繰り返すというが、背筋が寒くなる想いだ。

★ 中国やインドそしてロシアと大国が勢力を拡大しつつある。新たな帝国主義が台頭しつつある。

★ 農水省は小麦の価格改定に伴い、業界に値上げを示唆する要請を出したというが、これからの地球は資源や食糧そして水を争い、再び覇権を争う時代に突入しそうだ。背後には当然軍事力が見え隠れする。(それにしても、日本の農業政策はひどい。せめて国民が安心して食っていける国づくりをしてほしいものだ)

★ 姑息な口裏合わせ(?)をしている自衛隊に、日本人の生命、財産を守ることができるのだろうか。官僚は自己保身に奔走し、国は滅亡するか。

★ 冬柴国土交通大臣の限界も見えてきた。費用効率1.2に満たない工事は着工しないと確かに聞いたけれどなぁ。それが数日で1.0にすりかわるのだから、開いた口が塞がらない。公明党も大きなお荷物を背負ったのではないか。

★ 21世紀は日本にとって先行きが暗い。世界の歴史は国々の栄枯盛衰の歴史とも言えるが、憲法前文で述べているような崇高な理想と現実は大きく乖離しつつあるようだ。
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終末期医療

2008-02-27 05:44:09 | Weblog
★ NHKスペシャルの再放送を見た。自宅で最期の時を迎える末期がん患者を「看取る」医師の姿を特集していた。

★ 人はいつか必ず死の時を迎える。産科医、小児科医の不足が言われるが、誕生と同様、死をめぐる医療は果たして十分だといえるだろうか。

★ 医療費が抑制される中、末期がんの患者が「ベッド難民」として不安と苦痛のうちに死を迎えるようになってきたとも聞く。国も病院も算術ばかりが先走り、何かが置き去りにされてきているようだ。

★ この番組は一人の医師の実践を通して、この現状を視聴者に問いかけているように思えた。

★ 治る見込みのない患者。本人はもちろんのこと、患者を取り巻く家族の不安、葛藤も測り知れない。ガンの告知と同時に、素人が突然、医療に直面する。回復できるガンならまだ頑張れる。しかし、もはや根治できないとわかったとき、その絶望とどう向き合うかは想像を絶するものだ。

★ 私も母をすい臓がんで亡くし、この一連の経験をした。

★ 医療技術は日進月歩だが、医療をめぐる社会システムは急速に劣化しているように思える。お金の余裕がなくなってみんな自己防衛に必死だ。人のことなど言ってはいられないと、人間の本性がむきだしになってきている。

★ 人間が尊厳を持って最後の時を迎えられ、この世に生を得たことを喜んで死んでいける社会であってほしいものだ。

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「危険回避」より「責任回避」

2008-02-27 05:07:17 | Weblog
★ 新聞の紙面広告を見ていたら、ある週刊誌が「危険回避」より「責任回避」という見出しを掲げていた。「うまいなぁ」と思った。

★ イージス艦衝突事故。防衛相は否定するが、防衛省に隠ぺい工作があったのではないかという疑惑がつきまとう。

★ 役人、役所の度重なる隠蔽事件。それを見てきているから、真相はともかくも、担当大臣が何と言おうがもはや一概には信じられない。「お上」はウソを言うものだという考えが頭にこびりついている。

★ 真相解明よりも責任回避に奔走する人々。制服組も背広組もその点では共通か。

★ 有事の際にも同じことが繰り返されるのか。何百億円、何千億円もする兵器もそれを動かすシステムが不十分ならただの鉄くず同然だ。それならハリボテで十分だ。

★ 日本のお粗末なありさまをどこかでほくそ笑む人々がいるんだろうなぁ。トカゲのシッポ切りで終わる問題ではない。

★ ところでこの事故のせいで、米兵の婦女暴行事件は影が薄くなったなぁ。
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「悲劇のロシア」

2008-02-23 10:47:26 | 
★ NHKの「知るを楽しむ」シリーズは実に楽しい。曜日ごとにテーマを変え、本物志向の番組を提供している。啓蒙的な番組だ。

★ 先日は亀山郁夫氏による「悲劇のロシア」を見た。たまたま見た回はドストエフスキーの「悪霊」を取り上げての解説だったが、これが途方もなく面白かった。

★ 亀山氏の深い造詣、深い読みにはしびれた。あまりの大作でひもを解くのが億劫になっているドストエフスキーへの扉を優しく開いてくれた。

★ 一見、革命批判とも読み取れる「悪霊」を「神のまなざし」と読み解く洞察には感服した。ドストエフスキーが時代を越え読み続けられなければならない根拠はここにあったのだと思った。

★ スタヴローギンの「告白」の解説には背筋が寒くなる思いがした。「無関心」という冷酷さ。それは人間のもっている最大の冷酷さだろう。神が人間を試すのではなく、人間が神を試すといった傲慢さ。

★ 遠藤周作の「沈黙」では、最後に神が神父に語りかけた。そして神父は踏み絵を踏んで転向した。「沈黙」の神は無関心ではなかった。

★ 高橋和巳の「憂鬱なる党派」はどうだったか。ドストエフスキーの話を聞いて読み返したくなった。

★ このように「悲劇のロシア」は知的好奇心を圧倒的な力で刺激した。すばらしい番組だった。
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対教師暴力

2008-02-22 02:54:53 | 教育
★ 近隣の中学校が荒れ始めている。窓ガラスなど学校の器物が破壊される事件が頻発し、昨秋には教師に対する暴力で中3生が逮捕された。

★ 昨日は中2の男子が女性教師に暴力を振るって問題になっていた。対教師暴力がエスカレートする傾向にある。

★ 対教師暴力は「学校」という場面で起こることを特徴としている。問題を起こす生徒は決して学校外で通り魔的に暴行を行っているわけではない。彼らは自暴自棄にキレているようで、その行動には実は緻密な計算があるようにも思える。

★ 先の逮捕された中3生の場合は、彼の友人に注意をした教師への暴行であった。それも同じ場所に居合わせてのものではなく、しばらく時間がたってからの犯行であるという。彼の行動の背景には「友情」などというものではなく、何となくのモヤモヤ感、ムカツク気分や「スクールカースト」と呼ばれる社会現象があるようだ。

★ 「スクールカースト」はいじめ問題で使われる言葉だが、生徒が学級、学年、学校の中でどのポジションを占めるかということを表している。教師に暴力を振るうことによって、スクールカーストの中での位置づけを上げようとしているのか。

★ 一方、中2生の犯行は幼児のダダに似ている。家庭内暴力の延長ということか。ターゲットの教師も中年の女性教師という風に厳選されている。小学生時代からよくキレていたというから、精神的な疾患も疑われる。

★ 対教師暴力は「学校」という仮想社会への挑戦だ。「学校」とは大人たちが「教師」を演じ、子どもたちが「生徒」を演じている舞台とも言える。そこにはいくつかの「お決まり」があり、生徒が教師に暴力を振るうなどはあってはならない筋書きだった。

★ 最初のちょっとした生徒の暴力に対して教師が断固とした対応をとらなければ、「教師」の権威は一気に失墜する。子どもたちを「かわいい」と少しでもスキを見せようものなら、無邪気な悪魔達はそのスキを見逃さない。

★ 尾崎豊の「十五の夜」や「卒業」で歌われているような、社会的権威に反抗することによって自らを確立しようともがいている姿とも違う。

★ 金八先生の「腐ったミカン」の時代のツッパリとも何か違う。ツッパリにもツッパリの理屈があった。

★ 教師や社会は昔のような「管理」や高圧的な権力で彼らを押さえつけようとしているのではなく、むしろ生徒たちに近づこうと努力している。1クラスの人数が減り、考えられないほど手厚いサポートをしている。公教育は「権利」や「義務」から「サービス」に変質し、生徒や保護者は「お客様」になってきた。

★ こうした変化が、「教師」と「生徒」の役回りを変えているのだろうか。

★ 対教師暴力は生徒同士の「いじめ」にも通じるものがある。生徒たちにとってもはや教師さえも同列の存在ということか。教師を巻き込んだスクールカーストが生まれているということか。

★ 私たちは教育病理現象という言葉をよく使うが、目に見えないウィルスが「学校」という社会集団を蝕んでいるのかもしれない。そう考えるならば、ウィルスを発生し蔓延させる学校(学校における人間関係や学校を取り囲む人的・物的環境など)の特徴をよく分析することが必要だ。そのメカニズムが解明できれば治療法を見つけることができるかも知れない。ワクチンを開発することができるかも知れない。

★ 教育病理学の一層の発展が必要だ。

 
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専門職の給料

2008-02-21 13:58:59 | 教育
★ 専門職の給料が話題になっている。

★ 公立病院で麻酔医に3500万円の報酬を出すという話。臨時の麻酔医の報酬が1日12万円というのにも驚いた。別の公立病院では支度金500万円を用意するとか。

★ 医師の仕事は人命を預かる仕事で、また激務であることは理解できる。医師になるまでにかかった自己投資額も恐ろしい金額だ。そうしたことを勘案しての金額だろうが、金額だけを見ればうらやましい限りだ。

★ 弁護士の所得も記事になっていた。弁護士の数が増えて報酬が減ったとか。弁護士もいろいろで、所得格差の大きさは庶民の比ではない。タレントでもある弁護士の年収が3億円と聞いて驚いた。テレビの出演料もすごいようだ。

★ 専門職がそれに見合った報酬を得るのは結構なことだ。特殊法人などを渡り歩いて、荒稼ぎをしている「お役人」に比べれば、立派なものだ。

★ 学生時代、「教員は専門職か否か」という授業があった。教員の専門性や専門職とは何かを学んだように記憶している。「べき論」も多く飛び交った。実際は、というと教員は専門職とは程遠いのが現実だ。確かにある意味専門家だが、これも最近は危うくなってきた。

★ 教員の本業を「授業」とするなら、塾や予備校の講師の方が優れている場合があるからだ。では「生徒理解」といった点はどうか。子どもたちの話を聞くとどうやらそれも不十分なようだ。

★ そして教員の給料は私立学校で若干高額な場合はあるが、公立の場合、公務員なのでほぼ平均的。能力があろうが、よく働こうが、またその逆でも大差はない。メリットペイについては話題にはなるが、かつての予備校の人気講師のように驚くような報酬をもらっている教員などお目にはかかれない。

★ 石川達三著「人間の壁」(新潮文庫)を読んだとき、教員という職業は貧しいなぁと思った。それから歳月が流れ、社会の豊かさと平行して教員の待遇は改善されたが、医師や人気のある弁護士とは程遠いものである。

★ 給料、報酬も需給関係で決まるのであろうが、地位と報酬を守る努力の結果が医師不足というのはなんとも身勝手なありさまだ。東北のある県では教員として博士号取得者を募ったところ想像以上の応募があったという。高学歴の就職難を物語るものとして伝えられていた。

★ 専門職の給料についてとりとめもなく考えた。
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学習指導要領改訂2

2008-02-16 11:38:26 | 教育
★ 今朝の新聞に新しい学習指導要領案の概要がやや詳しく掲載されていた。

★ とりたてて目新しいものはなく、基本的に10年前に回帰するということだろう。教科書も10年前の内容でほぼカバーできそうだ。

★ 学習内容の系統性から見ればこの方が合理的だと思う。例えば、イオンを教えることなく電気分解を教える困難さはなくなる。不等式を導入することによって関数の変域の説明がしやすくなる。

★ 何より「ゆとり」のしわ寄せがいっている高校の学習にゆとりが生まれる。

★ 私は教科書は太くなって大いに結構だと思っている。知識の量は多いほうがよい。問題はそれをどう活用するかである。高校受験や大学受験がどう変わるかである。

★ 今回の改訂で心配される点もいくつかある。理念的に考えれば「改革」に終止符が打たれ過去への回帰に終わったことだ。「ゆとり教育」「新しい学力観」は正体は不明瞭だが、明治以来の旧来の教育に代わる教育のあり方、更に大きく言えばこれからの日本という国家のあり方を標榜するものであった。

★ それが過去への回帰で終わってしまうのなら、当面の安心感は得られても近い将来に行き詰まる可能性がある。

★ 学力格差の問題は更に深刻になるだろう。知識の量が増えれば、その習得量の正規分布の裾野も広がるだろう。格差を是としないならば、対策が必要だ。(格差の是非はまたミニマムエッセンシャルの問題になるなぁ)

★ 教員養成や条件整備で最も遅れているのが外国語教育だ。新しい指導要領案では小学5,6年生からの外国語教育(実際は英語教育)を導入するというが、小学校教員にどれほどの外国語運用能力があるのだろうか。AETを活用するにしてもそのシステムは今のままで良いのか。

★ 小、中、高を通じて外国語はよりオーラルなものが求められているが、大学入試が変わらなければ抜本的な変化は難しい。例えば、従来の入試の「外国語」の代わりにTOEICやTOEFLのスコアを活用するぐらいの改革が求められる。当然、学校の教員にも外国語運用能力が求められ、1つの尺度としてTOEICやTOEFLのスコアが活用されればよい。英検もより実用的になるなら使えるが、英検自体の根本的な改革が必要だろう。

★ 日本の教育をより充実させるためには長期的には学制改革が必要だと思う。就学年齢を下げ、幼稚園の2年間を義務化し、6・4・4・4制が望ましいのではないかと私は考えている。中期的には小中一貫教育の推進であり、現行の小学校、中学校を小中一貫校に改組することが必要であると思う。そのためには1つの中学校と複数の小学校の連携を強めブロック制を導入することから始めてはどうか。

★ 学力格差の問題解決のためには、まずは習熟度別クラス、少人数クラス(学習単位の弾力的運用)を活用することだろう。教員の中には多人数の指導には課題があっても、少人数での指導に向いている人もいると思う。適材適所で運用すれば効果が得られると思う。

★ 学校施設や公民館などの公共施設を利用した地域主体による土曜補習講座も有効だろう。自学自習を主とし、ボランティアを中心に運営されるのが理想だ。報酬の是非、受講料については地域の判断に委ねるべきだろうが、誰でも参加できるというのが大前提であるべきだ。複数のこうした学習会があり生徒や父母が選択できるようにすれば、よりよい内容となるだろう。

★ 教師の多忙については言われて久しい。学校は教育機関にとどまらず福祉機関、苦情相談所の様相ですらある。学校や教員を支援するシステムが必要だ。例えば、スクールカウンセラー、ケースワーカー、医師、児童相談所や警察との連携強化が必要だ。教員が「教育」に専念できる環境づくりが求められる。さしあたりは事務処理の軽減か。

★ 教員の中には「授業」に優れた人、「生徒理解」に優れた人、「マネジメント」に優れた人などがいる。全人的な力量形成は理想だが、それぞれの教員がその得意とする力量をさらに卓越させる研修のありかたも求められる。

★ 諸外国からは日本の「改革」の遅れが懸念されていると聞く。教育における回帰現象は「改革」への逆行を示唆するかもしれない。単なる回帰でないことをいかに示すことができるのか、それが今回の学習指導要領案改訂の明暗を分けるであろう
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学習指導要領改訂

2008-02-15 19:19:53 | 教育
★ 新しい指導要領案がプレス解禁となったようだ。まだ詳しい内容は入手していないので細かいところはわからないが、前回の改訂で縮減されたところが基本的に復活するようだ。

★ 「ゆとり」という名の実験的な10年だったなぁ。「ゆとり教育」は単に時間を削減するだけではなく、「新しい学力観」といった基本理念をもっていたから、あと数十年これに徹して改良を行えば、新しい「何か」が生まれたかもしれない。しかし、世の中はそこまで悠長に待てなかった。

★ ところで指導要領が改訂になると塾業界としてもおおわらわだ。まず教科書が変わるから、教材を一新しなくてはいけない。これには結構費用がかかる。

★ 改訂で現場は大混乱。私がちょうど中学1年生の時に改訂と重なったが、数学では経過措置として「集合」「記数法」が出てきてとまどったものだ。どちらも今では高校1,2年生の内容。それを中学1年生でやるのだから、今から思えば冒険だった。

★ 今回はそれほど大きな変化はなさそうだが、どうだろう。もう数学の解の公式は現場では復活しているし、理科のイオンも教えているクラスがあるようだ。

★ 社会の地理は以前のように地誌を充実して欲しい。観光ガイドのようだと批判されるかもしれないが、日本の地方や世界の国について基本的な知識を持つことは教養として必要だと思う。特定の都道府県や国を例にあげ研究するという方向性は間違っていないと思うが、全体的な知識があってこそのケーススタディであろう。

★ 指導要領案がどのように教科書に反映されるのか、これからも注目していきたい。
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アダルトチルドレン

2008-02-15 11:43:46 | Weblog
★ 報道ステーションで古舘キャスターが「アダルトチルドレン」という言葉の誤用を謝罪した。古館氏は「大人になりきれていない人」「未熟な成人」としてこの言葉を使ったようだが、確かに「アダルト」と「チルドレン」を合体させたこの言葉は紛らわしい。

★ 私も古舘氏と同じような認識でこの言葉を使っていたなぁ。「機能不全家族に育った人が心的外傷を・・・」という意味は、改めて調べてみてわかった。私達が日々使っている言葉の中にはこのような思い込みによる誤用が案外多いかもしれない。

★ 「ピーターパンシンドローム」や「シンデレレラコンプレックス」「女王蜂症候群」。古くは「エディプスコンプレックス」や「ピグマリオン効果」。心理学や精神分析の世界は多くの言葉を生み出してくれる。それが巷に出ると学問的な厳密性が薄れ、世俗化され、時には誤用されるようだ。

★ ニュースキャスターのように言葉を使って不特定多数に多大な影響を与える人が、一般人よりより厳しい言葉の運用を求められるのは致し方のないこととも思える。しかし、間違いは訂正すればよいことで、最近の「言葉狩り」的な傾向には危惧を覚える。

★ 報道に携わる人々は言葉に細心の注意を払ってほしいが、同時に、萎縮はしないで欲しいものだ。今回の件とは少々話はズレるが、言論の自由なくして民主主義はありえない。「自主規制」という名の「検閲」は許してはならない。
 
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