じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

什の掟

2006-10-30 13:40:17 | 教育
★ 藤原正彦さんの「国家の品格」の中で紹介された「什の掟」が話題を集めている。

★ 「ならぬことはならぬものです」で結ばれるこの文章。会津藩の藩校「日新館」に学ぶ武士のヒヨコたちが毎日、社訓のように復唱していたそうだ。「三つ子の魂百まで」というが幼少期から武士の心構えを植え付けるということはかなり効果があったものだと思われる。「ならぬことはならぬ」とは強い表現だ。

★ 戦後の悪しき(?)教育を受けた私にとっては、このような掟は為政者、権力者に都合のよいように定めたものだと屁理屈も言いたくなるが、為政者、権力者がもし人格者で哲人政治を実践する信じられていた時代なら納得もいく。だが、上に立つ者が率先垂範しないとただの紙切れだ。今の政治家が「規範」を論じることにさえ疑問をもつ。教師や校長がウソをつく時代である。

★ それはともかくとして、道徳には「ならぬことはならぬ」といった絶対的な立場が必要だ。ふとカントの定言命法と仮言命法について読んでみた。「ならぬことはならぬ」と200年も前にカントさんも言っているじゃないか。

★ 明治より前の「儒教」「武士道」の時代や戦前の「国家神道」の時代はともかく、特に戦後の日本は宗教的なものを規範とすることには極めて慎重だった。「国家神道」への反省もあったし、GHQの占領政策もあったのだろう。今話題の現行の教育基本法でも「宗教に関する寛容な態度」は尊重されつつも、公立学校での宗教教育・活動は厳しく禁じられている。

★ 宗教を基礎とせず道徳を説く。これは非常に難しい問題だと思う。科学的合理主義や公共心などを基礎とするのであろうが、それらは宗教ほど絶対的なものではない。一時期マルクス主義をマルクス教のごとく信奉する人々もいたが、それは「すべてを疑え」と言ったマルクスが意図するところではなかろう。

★ 戦前なら「勅語」という手もあるが、今は無理だ。「愛国心」にしても本来は法律にはなじまない事柄だ。同じく道徳も法律では決められない。「憲章」ではあくまで「宣言」に終わってしまう。

★ 「校訓」を定めている学校も多いが、単なる飾りになっていたり、学校経営者の自己満足になってはいないか。指導者が自ら律するという意味はあるのかもしれないが。

★ 振り返ると「教育勅語」はもちろん、目的は違えども「十七条憲法」「五箇条の御誓文」など日本の歴史にはいくつもこうした文章が登場する。以前文部次官室(?)を訪れたとき壁に森有礼の直筆による「自警」という文章がかかっていた。当時大学院生だった私は本で学んだものを目の当たりにして感動したものだった。「死ぬ覚悟で文部行政に励め」という趣旨のその文章は迫力があったなぁ。(今の時代「死ぬ」はタブーかも知れないけれど・・・)

★ 「なぜ人を殺してはいけないのか」さえ理屈で説明をしなくてはいけない時代。どのような規範を定め、それをどのように根づかせるのか、難しい課題だと思う。 

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「授業の復権」

2006-10-28 16:17:38 | 
授業の復権

新潮社

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★ 森口朗著「授業の復権」を読み終えた。想像以上に面白かった。一昔前なら組合から総攻撃を受けそうな内容もあれば、行政側から煙たがられるような内容もある。つまり政治的なイデオロギーとは違った視点で教育を捉え、その再生を訴えているのである。

★ 最初の理科「仮説実験授業」、数学「水道方式」のあたりはいささか退屈だった。(これは私の興味関心によるところもあるが。)

★ 野口芳宏氏の国語あたりから面白くなってきた。次の「教育技術法則化運動」ではペンが冴えてきた。「教師はインテリではなく教育技術者であってほしい」という視点は当たり前のようだが忘れがちなことだ。他にも紹介したい文章はあるが、あとは読者に任せよう。

★ 山村だからこそ成功したという「百ます計算」。成果をあげた学校を「公文式と寺子屋のハイブリット」と捉えるところなど、なるほどなぁと感心した。

★ 「よのなか」科を「グリコのおまけ」と紹介しているところも面白かった。これは決して「よのかな」科をけなしているのではない。藤原校長の実践を評価しつつもその限界に言及しているのである。

★ 終章では戦後教育への痛快な批判と再生への提言を記している。人確法をめぐり、田中角栄が自分と同じく教員も金がほしい人種だと思ったが、それは効果がなかったというくだりには笑った。役人はポストを与えれば教員のやる気が上がると考えたが、教員は役人のようにポストに釣られる人種ではない、というところで爆笑。

★ 政策にはそれぞれの「人種」の特性があらわれるものだと感心した。

★ では教師は何を求める人種なのか、ということで森口氏は「名誉」を指摘する。それも受け持つ生徒を評価すること。あまりに的を射ていて感心した。教師とは本来、人のよい憎めない人種なのだ。

★ 森口氏は不毛の政治闘争について批判しているが、「組合」に一定の評価も行っている。もちろんそれは政治思想に対してではなく、「組合」という装置を通して教員としての心構えが育てられ、教育技術が伝承されたという点である。

★ 森口氏は痛烈に教師批判を行うがそれは教師に対する愛情の裏返しともとれる。また教師が奮起し技術を高めないと、いかに制度をいじろうとも教育が良くならないことを森口氏が熟知しているからであろう。
 
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いじめ

2006-10-25 03:51:12 | Weblog
★ いじめ問題の大きな波はほぼ10年おきにやってくる。

★ 1986年2月、東京都中野区の中学2年生が「このままでは生き地獄」という遺書を残して自殺した。この事件では、教室で行われた「葬式ごっこ」に教師も加担していて大きな問題になった。1994年11月には、愛知県西尾市で中学2年生が自殺した。この時は「いじめ」を苦にした自殺が相次いだ。そして去年から今年にかけての北海道と福岡の事件である。繰り返される悲劇はいじめ問題の根深さと解決の難しさを物語っている。

★ ここでいう「いじめ」は学校を舞台とした「いじめ」である。そもそも「いじめ」の定義さえまだあやふやなままである。文部省は1994年度の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」で「いじめ」を「①自分より弱いものに対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているもの、なお起こった場所は学校の内外を問わないものとする」としている。

★ 「いじめ」はいじめられた側の主観が大きく関わる点から客観的に認識することが難しい。また文部省(当時)の定義だと学校が認識していない(あるいは認識したと認めない)ものは「いじめ」から除外されてしまう。いじめられる対象がコロコロ移り変わる点も発見や対処を遅らせる原因になっている。

★ 「いじめ」は社会に蔓延している現象である。そしてなくすことはできないものだ。この前提に立たないと解決の糸口は見えてこない。「いじめ」は社会の病んだ状態だとも言える。軍隊や学校など閉鎖された特殊な環境においてそれは起こりやすいようだ。「いじめ」は学校教育における病理現象である。そしてこれは「死に至る病」である。

★ 陳腐な言い方になるが地域が崩壊し、家庭が孤立化し、また少子化や都市化が進む中で、地域や家庭における異年齢集団が形成されにくくなっている。生活習慣の変化や親の変質によりキレやすい子どもも増えているようである。葛藤や争いが起こったときに自分の感情をコントロールできずすぐに暴力を振るってしまったり、また歯止めがきかなかったり、悪ふざけが気分を高揚させ常習化するといった傾向が見られる。集団化は事態をより深刻にする。集団が未熟なせいか仲裁と言った争いをおさめる技術が形成されていない。

★ 「社会の学校化」(子ども達の生活に占める学校活動の増大)が子どもたちから逃げ場を奪っている。こう考えると実施が計画されている「放課後教室」は子ども達をますます学校に縛り付けることにならないだろうか。心配なことである。

★ 「いじめ」を病気にたとえれば風邪のようなものかもしれない。病気を発症する環境は常にあり、なんらかの原因で体力が衰えたときにアレルギー症状や感染症を引き起こすように、社会集団に何かキッカケが起こったときに「いじめ」が発症するのである。風邪がそうであるように早期に治療すれば回復も早いが、こじらせば死に至ることさえある。「風邪は万病のもと」と言われる所以である。風邪を予防するにはどうすればよいか、また悪化させないためにはどうすればよいか。予防のためには免疫を高めることである。「いじめ」に強い社会集団、子ども集団を形成することであろう。そして発症、つまり「いじめ」の萌芽が生まれれば早期に発見し適切な対応をしなければならない。

★ 治療法や特効薬のないのが心細いところだが、発見がまず第一歩であろう。時には隔離や手術も必要かもしれないが、「いのち」を守るといった一点に向けて対処する必要がある。最後に「社会の学校化」は是正すべきだ。子ども達が複数の集団に所属するようにシステムを作っていく必要がある。また親や教師に話せないことを話せる「おとな」をどう確保するかが課題である。
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意識改革

2006-10-23 17:55:25 | Weblog
★ 経営の刷新が求められるときよく言われるのが「意識改革」という言葉である。

★ 今日、テレビでNHK「プロフェッショナル」の再放送を見た。業界2位の大手コンビニチェーンの若き社長(47歳)を取り上げていた。社長はしきりに「意識改革」を訴えていたが、周りの社員の表情はどうも冴えない。確かにマジメな表情は印象的だったが、社長が望むような「自らが会社の革新を図るのだ」と言った覇気が感じられなかった。社長としては全員野球をしたいのだろうが、永年のピラミッド経営のツケか、与えられた仕事はソツなくこなすが、自分から新しい仕事を生み出すまでには至っていない様子。

★ また社長が「危機感」をしきりに訴えても、それが1人ひとりの社員には届いていない様子だった。自分が経営者で明日の売り上げを上げなければ食っていけないとなるともっと表情も変わってくるだろう。サラリーマン意識が抜けていないし、サラリーマンに経営者的センスを求めること自体が無理なのかもしれない。ただ訴えるだけではなく、従業員をうまく乗せるテクニックが必要だと思った。

★ 従業員全員(パート、アルバイトに至るまで)がメーカーなら自社の製品に、小売店なら自社のサービスに誇りをもっている会社は伸びるだろう。仕事中に私語が多かったり、陰で自社の製品(サービス)や上司の悪口を言っているような会社は伸びない。経営参加まではいかなくても、どうやって参画意識を持ってもらえるのか。これはどの企業にとっても難しい課題だ。

★ そう考えると、全員野球は理想論ではあるが現実的には難しいと思う。企業には経営する(人を使う)人間と与えられた仕事を的確にこなす(うまく使われる)人間が必要である。もちろん一匹狼的な生き方もあるが、企業には適さないだろう。自由業か小規模な自営業が適している。

★ 大きな企業であればあるほど、それぞれが自分の役割を全うすることによって組織全体が向上していくのではないだろうか。ならば経営幹部の意識改革と現場の実務レベルの意識改革は当然違った内容になるだろう。

★ 全員のボトムアップは大切だし、それが実現されたときにはすごい力が発揮されようが、それを実現するだけの時間と余力が企業に残っているかということだ。「意識改革」は生易しいことではない。そして意識改革がまず問われ、そして常に求められるのは経営トップなのかも知れない。
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教育再生会議

2006-10-19 00:43:00 | 教育
★ 御用審議会は数多いが今回の教育再生会議は最悪の部類に属するものではないだろうか。今日のニュースを見ていても委員と事務方の連携が悪いし、何より「結論ありき」のところがシラケさせる。

★ 教員免許更新制、奉仕活動の義務化がでてくるのは目に見えている。バウチャーについては理念はともかく導入は容易なことではない。たぶん継続審議程度で落ち着くのではないか。幼児教育については橋本元総理の死去にともない厚生族の力が弱ったから、森元総理を中心とする文教族の力で、何か新しい動きがあるかも。

★ 幼稚園団体は権力争いが激しく政治権力にもかなり食い込んでるから、自分たちの既得権が侵されるとなると反発が強そうだ。義務教育化は無理だろうねぇ。

★ 大学の9月入学生については奉仕活動の義務化と絡んで何か提言があるかも。奉仕活動が国防活動に、そして軍事教練にならないことを祈りたいものだ。まさか「徴兵」などという時代錯誤はないと思うが・・・。

★ さて、結論はサッチャー政権下のイギリスの教育改革をもってくるのか、アメリカの「危機に立つ国家」をもってくるのか、いずれにせよ「強い日本」をめざす改革になるだろう。富国強兵政策の再来か。

★ エリート教育については何か提言が出るかもしれない。その他諸々についてはどうかな。「お上」に従う従順な日本人の育成か。忠義孝悌の重視か。結論がわかっている審議会など意味がない。いっそ政府の方針と真っ向対立する議論が出てくれば楽しいが、会議は非公開だから議事録の不都合な点はカットされそうだ。
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「21世紀の学校はこうなる」

2006-10-18 12:51:33 | 
★ 学校から業者テストを一掃し、ゆとり教育を推し進めようとした文部官僚、寺脇研氏が文部省を退職されると言う。「ミスター偏差値」の引退は時代の移り変わりを象徴する。ということで、今さらながらだが寺脇氏の「21世紀の学校はこうなる」(新潮OH!文庫)を読んだ。

★ 寺脇氏の熱い「想い」は伝わってきた。「夢」と「理想」に満ちた力作だ。ただそれが実現されなかったことは、彼の文部科学省内での不遇な(?)な晩年を見ればわかる。確かに不運もあった。彼は「ゆとり」を提唱しているが、今の社会は「ゆとり」が失われている。週5日制の恩恵にあずかれるのは公務員か大手企業ぐらいで、中小企業やワーキングプアと呼ばれる人々にとって生活のゆとりなど全くない。学校で学んだことを基礎に、それを休日の趣味にいかす。この豊かな生活は理想ではあるが現実からは程遠い。一部の人々にだけ享受できる特権になっている。

★ 教育内容の3割削減(あるいは3割スピードダウン)も趣旨はわかる。しかし内容を減らすことによって生徒(児童)たちの完全取得が実現できたかと言うと全くお粗末な状況だ。レベルを下げても落ちこぼれる(落ちこぼす)割合は変わらず、むしろ今まで高い内容になんとかついてきていた生徒までレベルダウンした。この誤算の背景には、寺脇氏の教師に対する、あるいは学校に対する過信があったように思う。彼が信頼すべきプロの教師があまりにも少なかったのか、彼の思いが現場に通じなかったかである。あるいは理念はわかってもそれを具体化できなかったということである。文部官僚として学校や教師を信頼するのは致し方のないことだが。

★ 「百ます計算」は一時期ブームになったが、その効果は不明だし、計算ばかりが基礎基本ではもちろんない。またこれは陰山氏も指摘していることだが、生徒たちの「学力」の背景には基本的な生活習慣が大きな影響を与えている。学力問題は生活の問題、家庭環境の問題とも言えるのだ。

★ 義務教育期間のしわ寄せが高校教育に集中しているのも看過できない。高校入学段階での選別は熾烈を極め、進学校での詰め込みは過酷の域に達している。この歪がどこかで爆発するのではないかと危惧するばかりだ。

★ ゆとり教育のあとに反動が来ることは予想していたが、あまりにも早く来た。小泉内閣の下、じっくり腰を据えた改革ができなかったことも寺脇氏の不運であった。反動にはまた反動が来る。今後野に下られるであろう寺脇氏の活躍に期待したい。夢や理想が語られなくなったら教育はおしまいである。
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「群発自殺」

2006-10-16 01:03:59 | 
群発自殺―流行を防ぎ、模倣を止める

中央公論社

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★ 子どもの自殺が続いている。自殺の理由はさまざまであろうが、群発、連鎖する自殺はマスコミによる報道の影響が大きいと言う。

★ 精神科医である高橋祥友氏による「群発自殺」は連鎖自殺、集団自殺など群発する自殺及びその防止策についてまとめられた書である。

★ なぜ群発自殺が起こるのか、どのような背景で起こるのか、いかにすれば自殺を防ぐことができるのか、について特に若年者の自殺を中心として述べられている。

★ 「赤信号みんなで渡れば恐くない」といった言葉があるが、自殺志向のある人が身近な自殺者や自殺報道に接して、死への引き金を引いてしまうらしい。

★ 失わなくてもよい命が失われるのは残念な事だ。年間2~3万人。交通事故死の2倍から3倍と言われる自殺者は社会の健康度を知る1つのバロメーターでもあろう。多くの自殺者を生む社会は社会自体が病んでいるのかもしれない。

★ 「群発自殺」を防ぐためにはどうすればよいのか、国も社会ももっと真剣に考える必要があると思った。

★ それにしても福岡市のいじめ自殺、きっかけは元担任教師のからかいだという。なんちゅうこっちゃ。元担任(現学年主任)は「一生をかけて償う」と言ったそうだが、失われた命をどうやって償える? 賠償されても墓前で祈られても命は戻らない。

★ 「葬式ごっこ」の色紙に名を連ねた教師同様に教師の責任は重いよ。

★ 「いじめ」が常態化する中、子どものSOSをしっかり受け止める体制づくりが必要だね。こんな常識の欠ける教師が担任や主任だとどうしようもないがなぁ。

★ 私自身常日頃の発言には一層気を使おうと思う。
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古い読書日記

2006-10-12 03:31:59 | 
★ 掃除をしていたら古い読書日記がでてきた。中学生時代に書いたものらしい。

★ エフレーモフ著「アンドロメダ星雲」
 宇宙飛行士がアンドロメダ星雲からやってきた宇宙船と出会い、二度と地球には帰れない航海に旅立つ話。初めて読んだSF小説だった。

★ ワイリー著「地球最後の日」
  ブロンソンアルファとブロンソンベータという2つのすい星が地球に衝突すると言う話。映画化もされ、はるか昔に映画で見たことがある。最近ではスピルバーグがリメイクし「ディープインパクト」として世に送った。原作では人類の一部はノアの箱舟のようにブロンソンベータへ移住するが、その空の色が印象的だった。

★ パイパー著「夜明けの惑星」
 火星からの移住者が地球の先住民を征服し文明を築くといった話。ネアンデルタール人とクロマニヨン人との間に大きな違いがあることはよく知られている。こうしたことをヒントにした作品だろうか。

★ ハミルトン著「銀河王国の地球人」
 銀河王国の王子と地球人ゴードンが入れ替わって暗黒星雲と戦う話。

★ レム著「ヨン博士の航星日記」
 太平ヨン博士がいろいろな星を旅する話。

★ ポール・フレンチ著「太陽系の侵入者」
 土星にシリウス人が侵入。地球人が土星を奪い返す話。

★ コナン・ドイル著「失われた世界」
 南アフリカで原始時代のままの大地を発見といった話。「ローストワールド」「ジェラシックパーク」など映画化もされた。

★ H・G・ウェルズ著「宇宙戦争」
 「失われた世界」とならんで、SFの古典的名著。ラジオドラマで放送したとき本当に宇宙人がやってきたと思ってパニックが起こったというのは有名な話だ。昨年か、映画化されたね。宇宙人というのが火星人でお決まりのタコ形というのは懐かしい気がする。

★ J・G・バラード著「燃える世界」
 公害が原因で海に膜が張り雨が降らなくなり、世界が枯れ果てると言う話。なんかすごく内容がリアルだった印象が残っている。

★ シルバーバーグ著「第四惑星の反乱」
 宇宙パトロールが活躍する話。地球から独立しようと第四惑星で反乱が起こる。そこに居合わせた宇宙パイロット練習生達はどのような行動をとるかって話だった。

★ ラインスター著「わすれられた惑星」
 無生物の惑星に種子をまくロケットが到着。生命が植えつけられそれから2000年、誰からもわすれられたその惑星はどうなったかといった話。

★ パチェット著「宇宙人アダム・トロイ」
 地球に小惑星がぶつかり放射能に覆われてしまう。宇宙人アダム・トロイが父母や科学者と協力し地球を救う話。

★ アシモフ著「鋼鉄都市」
 人間とロボットとの友情を描いた物語。

★ 福島正実著「迷宮世界」
 日本人滝田は異次元の女性マリーと出会う。2人は日本とドイツが連合国に勝利したと言う異次元で行き、2つの世界を救うために命がけで戦う話。

★ キャンベル著「月は地獄だ」
 観測のために月に送られた科学者15人。しかし帰還用のロケットが壊れてしまう。月に残された隊員達には過酷な運命が待ち構えていた。

★ マルテル著「SOS地底都市」
 大戦争で放射能に覆われた地球。人々は地下に都市を建設し生き延びる。3000年、地下で生き続けた彼らであったが、大地震をきっかけに事件が起こる。

★ ポール・アンダーソン著「地球人よ警戒せよ!」
 宇宙人であることを隠し地球に住み着いたジョエル。故郷に戻ろうとするが・・・。

★ ポール・アンダースン著「ドンキホーテと水車」
 機械万能時代。機械が人間を征服する時がやってきた。

★ E・ハミルトン著「人工宇宙の恐怖」
 ある大学教授が人工宇宙を築き上げた。そして教授は光線を使って人工宇宙の惑星を破壊していくのだ。風刺のきいた作品だ。

★ I・アシモフ著「AL76号の発明」
 月で働くロボットが地球で行方不明となり、恐ろしい発明をしてしまう。

★ クリス・ネビル著「宇宙少女アン(ベティアンよ帰れ)」
 自動車事故で生き残った赤ん坊がいた。彼女は宇宙少女だった。竹取物語を思わせる作品。

★ A・C・クラーク著「大英博物館の盗賊」
 未来からやってきた人々が盗賊に盗みを依頼する。その背景には・・・。

★ カート・ボネカット著「武器なき世界」
 超能力をもつ主人公がその能力を使って世界中の武器をなくそうと考える話。

★ R・A・ハインライン著「次元旅行」
 タイムとラベルの話。

★ アルフレッド・ベスター著「未来から来た男」
 ある男が1990年の年鑑を買った。これを取り戻しに未来から男がやってきた。「トワイライトゾーン」にでて来そうな話だね。

★ R・シルバーバーグ「大氷河の生存者」
 第5氷河期の到来。地下に逃れた人々が繰り広げる冒険ドラマ。映画「デイ・アフター・トモロー」にも通じるものがあるなぁ。

★ マレー・ラインスター著「第五惑星から来た4人」
 米ソ冷戦の時代。南極に宇宙船が着いた。この秘密をめぐって核戦争の危機が起こる。

★ ヴァン・ヴォークト著「原子の帝国」
 遠い未来。地球はリン帝国に支配されていた。そこに生まれたミュータントの生き方が描かれていた。

★ ロバート・シェクリー著「ロボット文明」
 「オメガ」は犯罪者達の流刑地だった。そこに送られたバレントはスパイとして地球に戻る。そこで彼が見たものは・・・。

★ 小松左京著「青い宇宙の冒険」
 地球が存在するこの世界。しかし世界はもう一つあった。双子宇宙とよばれるその世界。もう一方の地球が破滅の危機にあるというのだ。そこで・・・。

★ ハミルトン著「宇宙怪人ザロ博士の秘密」
 太陽系を支配しようとしたザロ博士とキャプテン・フューチャーの戦い。

★ アーサー・C・クラーク著「銀河帝国の崩壊」
 数億年先の未来。地球人はすでに滅んでいたが・・・。地球は生き返れるのか。

★ ピエール・プール著「猿の惑星」
 三人の宇宙飛行士がシリウスに向かって航行中、見知らぬ星に漂着した。そこは猿の惑星だった。映画でも有名な作品。

★ ジェームズ・ブリッシュ著「悪魔の星」
 神父であるルイサンチェスは三人の科学者とリチアというカンガルーに似た生き物が住む世界を訪れる。彼らの使命はこの惑星をどう扱うかを決めることである。ある科学者は
豊富なリチウムを利用しようと言うがルイサンチェスは惑星の永久閉鎖を提案する。なぜならその惑星は悪魔が創造した惑星だからだ、という話。

★ 眉村卓著「ねらわれた学園」
 ある日、未来を救うために一人の少年が派遣されてきた。未来を救うために彼がおこなったこととは。映画にもなった問題作。
 
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ペリカン文書

2006-10-10 13:04:08 | 映画
ペリカン文書

ワーナー・ホーム・ビデオ

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★ 自分の書いた文書(フィクション)が思いもよらず政財界の陰謀を暴いてしまう。そのため何者かに命を狙われるとしたら、どうだろうか。

★ 最高裁判所判事の連続殺人。その内幕を一人の女性が暴いてしまった。彼女の書いた文書は「ペリカン文書」と命名され、ホワイトハウスを駆け巡る。といっても女性は本当に真相を知っていたわけではない。それは偶然の仕業だった。

★ 何者かに命を狙われる女性。それを助ける記者。さて、2人の運命は・・・といった作品だ。

★ 例えば今回の安倍総理の訪中、訪韓。形の上では就任に伴う表敬訪問というところだが、実際は何かメッセージが伝えられたのではないか。

★ 安倍外交をけん制するかのような北朝鮮の核実験だったが、むしろ逆で、北朝鮮の核実験を前提にアメリカからのメッセージを中国、韓国に伝える役割が安倍総理に託されたのではないだろうか。

★ それは何か。それは軍事行動に向けての根回しかもしれない。例えば、中国に対しては台湾問題を黙認する代わりに北朝鮮への軍事行動を容認してほしいとか・・・。

★ 外交は誰も知らないところで状況を進める、というのは吉田茂首相の言葉だったか。小泉総理の北朝鮮訪問のお膳立ても秘密裏に進められた。

★ 小泉劇場が終わりテレビでは飯島元秘書官や田中元外務省局長の証言で内幕が暴露されているが、本当に重要なことは隠されているのかもしれない。

★ 古畑任三郎の言葉。ヘタな犯罪者はうそで塗り固めようとするが、ウマい犯罪者は真実の中、「ここぞ」というところだけにうそをつくと言う。
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労作教育

2006-10-08 04:54:43 | 教育
★ 昭和6年に発行された小西重直著「労作教育」を読んだ。

★ 小西重直は京都大学を教鞭をとった人物だ。本書はまず、外国の思想家の「労作教育」に対する考え方を紹介し、そのあとで著者自身の「労作教育」に対する考えを述べている。小西は玉川学園をつくった小原国芳の解釈を引用し「労とは骨折り」であり、「作は作業の作にあらずして創作の作である。即ち骨折って自らの力を加えて創造する創作する、構成する」ということを「労作」と言うとしている。戦後は勤労体験学習とか単に体験学習などといった表現を使うが、今日の学校でもっとも軽視されてきたのがこの労作教育ではないだろうか。

★ 進学熱の上昇と共に、受験に役立たないものは軽視されてきた。今日でも国語・数学(算数)・社会・理科それに英語は主要教科として重視されるが、音楽、美術など芸術科目や技術・家庭、体育は軽視されがちである。受験が迫るにつれて、こうした実技教科は消化試合さながらの有様だ。

★ 社会の中でも第一次産業や第二次産業が軽視され、ホワイトカラーが優越感をもつ時代になった。農業や工業や芸術、もっと簡単に言えば、作物を作ったり、モノを加工したり、美しいものを創作したり鑑賞したりすることがこのように軽視されていて良いのだろうか。

★ 世界の人口が増加し食糧の供給が難しくなってきている。自分の食べるものは自分でつくらなければならない時代が来るかもしれない。安全保障の意味からも食糧自給率も高めなければならないだろう。国民すべてが一定の作物を義務としてつくる時代が来るかもしれない。

★ 日々利用しているテレビや冷蔵庫の原理を我々はどれほど理解しているであろう。素人がテレビや冷蔵庫を修理するのはやめておいた方がよいが、ものの原理を知り、簡単なものなら加工、修理できることもこれから求められるだろう。農業にせよ、工業にせよ、芸術にせよ、私達は「モノづくり」をもっと大切にしなければならないと思った。学校教育でももっと重視すべきだと思う。 
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