じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

パンデミック

2008-11-29 02:53:57 | 
新型インフルエンザ―世界がふるえる日 (岩波新書)
山本 太郎
岩波書店

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★ インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)が近づいている。世界の死者が500万人から1億5000万人と予想されているのだから尋常なことではない。

★ 危機感の高まりからか、近年「新型インフルエンザ」に関する本が数多く出版されている。今回は上掲の岩波新書(2006年)と根路銘国昭「インフルエンザ大流行の謎」(NHKブックス、2001年)を読んだ。

★ 二つの書はともに医学の専門家の手によるもので、どちらも過去のパンデミック、(特に1918年のスペイン風邪)を振り返り、その流行の経緯を追っている。後者はとりわけウィルス学の権威の著書なのでウィルスの記述が詳しい。一方前者は、新型ウィルスと社会とのかかわりを追究している。被害を最小限に食い止める事ができるかどうか、それはこれからの取り組み次第だと言う。

★ 二つの書の間には5年の開きがあるが、この5年間に緊張が高まってきているのが感じられた。新型インフルエンザのパンデミックは間近に迫っているようだ。

★ 人類が免疫をもたないウィルスとの戦いは過酷なものになりそうだが、それは避けては通れない道らしい。人類の歴史は細菌やウィルスとの戦いの歴史とも言える。多くの犠牲を払いながらも戦いの勝者の末裔が私達である。私達の遺伝子には歴戦の記録が記されているのであろう。だから、悲観ばかりする必要はないが、備えはしっかりしておきたいものだ。

★ パンデミックが社会を変え、歴史を変えることもありうることだ。

★ 毎年、寒くなると生徒達から風邪をうつされる。生徒達の症状は急激で、高熱が出て症状が重い反面、回復も早い。その点、年を重ねると症状が長引いて困る。うがい、手洗い、部屋の換気と適度な湿度、体力の維持、早期の治療など万全の予防措置をとりたいものだ。 
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控えめな記事

2008-11-27 11:39:47 | Weblog
★ 硫化水素自殺のあおりを受けて、武藤鉦製薬が問題の入浴剤の製造をやめた。創業100年を越える老舗だが、予期せぬ出来事でお気の毒としか言いようがない。

★ 刃物で人が殺傷されるからといって包丁メーカーが製造をやめることはないし、爆発物が危険だとして花火の製造がやめられることはない。ガソリンだって他の薬品だって要は使う人間の心の問題である。

★ 「心の問題」というのはアメリカのライフル協会が銃規制に反対してよく使う理屈だが、銃と私達が日常使うものとでは次元の違う話である。

★ ところで、今朝の朝日新聞、入浴剤製造中止の記事は実に控えめな表現で綴られている。薬品名はもとよりメーカー名も伏せられている。自殺を誘発したり、風評被害を警戒しての自主規制なのだろうか。いささか違和感を感じた。署名記事だったが、具体的な名称を避けた意図を知りたいものだ。
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三島の「憂国」を読む

2008-11-26 08:05:36 | 
★ 11月25日は三島由紀夫が自刃した日だそうだ。それを昼の「思いっきりテレビ」で知って本屋へ駆け込んだ。

★ 三島の作品では「金閣寺」を読んだことがある。「潮騒」は内容だけ知っている。この機会に「豊饒の海」を読もうかと思ったが、長編を読む意欲が湧いて来なかったので、短編集「花ざかりの森・憂国」を購入。「憂国」を読んだ。

★ 題名からして、勇ましい軍人の活劇かと思ったが、予想に反し、作者が言っているように「エロスと大義との完全な融合と相互作用」の所産であった。

★ 基本的には夫婦愛、読むうちにそれは昇華して人間愛を感じた。血潮が溢れ出るような生臭い作品で、私の目から見れば「死」の大義が明確ではなく、自らの手で生を終焉することへの美的陶酔が感じられたが、それはそれで純粋性を極限まで突き詰めた結果なのだろうか。

★ 場面設定はニ・ニ六事件であるが、別段、この事件にこだわる必要はない。江戸時代でもいいし、現代にも当てはまるかもしれない。「皇軍相打つ」的葛藤は、どの時代にもありうることであろう。

★ 文体の美しさは今さら言うまでもない。豊富な語彙があるべき場所でそれぞれの光を放ち、それらがお互いに励ましあって光沢を一層豊かにしている。文章の美しさを味わうだけでも読む価値がある。

★ 女性の白い肌、白無垢の衣裳と割腹によって溢れ出る血潮の赤。この色彩の鮮やかさは鮮烈だ。

★ 夫婦で繰り広げられる激しい性の営みは生の高揚感を謳歌し、割腹の苦痛の中で生のクライマックスが感じられる。夫婦が対峙する中で事が進展する有り様からは、劇場的な空間が感じられる。

★ この作品の10年後に三島は自刃する。1970年といえば学生運動の末期。三島は学生運動の鎮圧に自衛隊が出動し、クーデターによる憲法改正をめざしたという。自ら「盾の会」という民兵組織をつくったという。新左翼がテロ行為を繰り返す中での動きであろう。今から思えば、自衛官の論文であれこれ言っているのとは緊張感が違う。

★ 三島は殉教者の如く死して名を残したのであろうか。それが彼の周到な計画なのだろうか。彼の生き方(死に方)についてはナルシズムとか美学とか評される。果たしてそうなのか。もっと三島の文章に酔いしれたいものである。
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「街の灯り」

2008-11-25 12:05:44 | Weblog
★ 世知辛いご時世だが、「ほっ」と息をつく瞬間がある。イスにもたれながら、堺正章さんが歌う「街の灯り」を聴くと、ささやかな幸福感に満たされる。

★ ドラマの挿入歌や関西電力のCMにも使われていたが、阿久悠、浜啓介コンビによる名作だと思う。

★ この歌を聴くとよみがえる風景がある。一つは、塾のチラシ配りをしていたときのこと。春だったと思う。夕闇が駆け足で下りてきて、路地で遊んでいた子どもたちが一斉に家に帰る。と同時に、軒を連ねた家々から夕餉のいい匂いが漂ってきた。ごくありふれた日常のごくありふれた風景だが、みんな幸せでよかったと思った。

★ もうひとつの風景は、クリスマス。昔は今ほど街が明るくはなかった。私は幼かったが薄暗く冷たい道を帰るとテレビで坂本九のバラエティをやっていた。クリスマスにちなんだちょっぴり切なく、でもほっとするような番組だったと思う。当時は白黒テレビだったが、そんなことは気にならなかった。

★ 街の灯り、それは家庭のぬくもりの象徴のように思える。
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自己顕示殺人

2008-11-24 21:07:50 | 事件
★ 厚生省元事務次官及びその家族をターゲットとした連続殺傷事件は、意外な結末を迎えた。今のところ政治的意図はなく、自己顕示欲とストーカーのような執念深さが生んだ犯罪のようだ。

★ テロには違いないが、実にやっかいなテロである。この手のテロは防ぎようがない。私達は、隣人が殺人鬼かもしれないと言う恐怖感の中で生活するハメになったのか。

★ 今回の容疑者をめぐっては不可解なことが多い。意味不明な動機、生活費の出所、なぜ厚生省の高級官僚をターゲットとしたのか、など。

★ 黒幕がいるのではないか、闇サイトで仕事を受けたのではないかなど憶測が募る。

★ それにしても、土浦、秋葉原、八王子、そして今回の事件と実に自己中心的な犯罪が相次いでいる。共通しているのは自己顕示の欲求。社会的コミュニケーション能力に欠けた人間が社会の中で孤立し、自分の能力に対する自己認識とおかれている境遇とのギャップの原因を社会や周りの人間に求め、見知らぬ人への暴行と言った手段によって自己充足させようとする。

★ 彼らにとって見れば、自分をこんなにしたことへの復讐なのだろうか。

★ まったくもって虚しい暴発。社会にとって極めて危険で、理不尽極まりない。精神的に歪んでいると言えばそれまでだが、犯罪の計画などは実に周到である。

★ 昔、「怪奇大作戦」という番組で「かまいたち」というストーリーがあった。社会の片隅に生きる孤独な青年が夜な夜な通り魔殺人を行うと言う内容だった。一言もセリフのない青年の冷淡な目だけが印象に残っている。

★ 暗い世相になったものだ。 
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子どもの暴力

2008-11-22 07:42:16 | 教育
★ 校内における児童・生徒の暴力行為が増えていると言う。特に小学生でこの傾向が顕著だそうだ。こうした統計は学校の自己申告によるものだから相当恣意的な数字になる。厳密に調査し、こまめに報告すれば数字は膨大なものになるし、表沙汰にしなければ数字は隠れる。だから氷山の一角だともいえる。

★ ただ全体的な漠然とした傾向を読み取ることはできる。

★ かつての校内暴力といえば中学生が中心で、金八先生の「腐ったミカン」の頃、1980年前後に全国で吹き荒れた。それから約30年。彼らの子どもたちが今、学齢期だ。

★ 最近の子どもは言葉より先に手が出る。自分の感情をうまくコントロールできない。キレやすい。目上の人間や見知らぬ人に対する暴言や暴力も見られる。問題を起こす子ども・学校が偏在している。こうした傾向が見られる。

★ 子どもの暴力行為の第一の原因は家庭環境だ。親の養育態度の問題だ。特に幼少期における親の養育のあり方が子どもに大きな影響を与えているように思う。親の粗暴さや自己中心性(身勝手さ)が子どもに負の教育環境となっている。関連して家庭の経済状況も大きな影響を与えているように思う。

★ 友達のような親子関係も一長一短ある。子どもが大人と子どもの垣根を認識できず誰に対しても「タメ」であるように接しがちだ。

★ 自分の感情をうまくコントロールできない、言葉より先に手が出ると言うのは、こうした家庭環境によって表現力が不足することが原因だと思える。相手との距離をうまく保てない。コミュニケーションがうまくとれない。自我の過剰な膨張と何かに怯えている不安感。全能感と挫折感のギャップによるいらだち。

★ こうした傾向は、思春期などの成長期に誰もが経験する通過儀礼のようなものだが、この課題をうまくこなせないでいる。発達障害に陥ってしまっている場合もある。

★ 更に追い討ちをかけるのは社会の風潮だ。バラエティ番組やお笑い芸人の言動の影響力は実に大きい。

★ 「学校」という制度の問題は言われて久しい。校内暴力の増加といえば昨今の学力重視と短絡的に結び付ける議論も起ころう。ここ数十年の社会の変化、妙な個性重視が、例えば授業中は静かに先生の話を聴くといった「お約束」を無意味なものにしている。授業中の私語、立ち歩き、内職、居眠り、飲食・・・挙げればキリがない。時には挑発的に、時にはスリルを味わっているかのように、時には周りに対する自己顕示のために、彼らはさまざまな「はみだし」を行う。

★ 根底には漠然とした反発心と自分への甘えがある。

★ 対教員暴力が増えているのは、教員がそうした子ども達に対して積極的に関与している結果とも言える。一部の子どもの中には大人(あるいは社会)をナメる傾向が顕著に感じられる。それらはほとんどの場合、自己中心性の発露で、論理的な背景はなく、ただ快ー不快でその場その場を生きているように感じられる。

★ さて、長い年月の間に形成された子どもたちの性向をどのように変えていくか、社会的な風潮をどのように変えていくか、家庭をいかに再生していくか、「学校」という装置をどのように変えていくか、それらは大人側の問題である。処方箋は別の機会に考えたい。
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「狂牛病」

2008-11-18 02:15:47 | 
狂牛病―人類への警鐘 (岩波新書)
中村 靖彦
岩波書店

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★ 最近はあまり話題にならないが、「狂牛病」の本を読んだ。著者の中村氏はジャーナリストで医学の専門家でないから、かえって読みやすかった。

★ 本著は2001年の発行だから、それから7年が経過している。病気自体は沈静化しているようだが、「狂牛病」問題は食に関して多くの問題を提起した。

★ 今回の事件は汚染された肉骨粉が原因ということ、病原はプリオンというタンパク質ということはほぼ明らかになっているようだが、まだ不明な点も多いようだ。

★ 人食の習慣や乾燥硬膜の移植などで人間に発症例が見られること。「狂牛病」に感染した肉を食べた人間にごくまれに感染すること。治療法がないことがわかった。

★ 病原がウィルスや細菌などでなく、動物が生きる上で欠かせないタンパク質であることから対策は危険部位に接触しないことしかない。感染頻度が低いことがせめてもの救いか。

★ 「共食い」を防ぐために自然がインプットしたメカニズムがあるのかも知れない。

★ ところで1980年ごろ、私は大阪駅前地下の「ぶらり横丁」で牛の「ブレイン」を食べたことがある。今なら恐ろしくて到底できないが、当時は「狂牛病」など知るよしはなく、韓国料理なのだろう、ごま油や調味料で味付けされた「ブレイン」を好奇心で食べた。それから25年以上が過ぎ発症していないから、大丈夫だよね。 
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減産、人員削減、税収不足

2008-11-15 18:30:28 | Weblog
★ いつもながらの週末、道路は車で込み合っているから、家計の「ふところ具合」はまだ若干のゆとりがあるようだ。しかし、いつまで持ちこたえるやら。値上がりの負担がジワジワと首を絞め、冬のボーナスを見て、ガックリという家庭も多いのではなかろうか。

★ 景気後退のため減産、人員整理が進みつつある。まずは弱者が狙い撃ちされるのはいつもながらの事だ。非正規雇用者は格好の調整枠か。「私たちはモノじゃない」といった某政党のポスターが掲げられているが、労働力をモノ扱いするのが資本主義とも言える。パイが小さくなると労働者間の利害対立も深刻になる。「万国の労働者よ、団結せよ」とは懐かしいフレーズになった。

★ 税収不足も深刻だ。なかなか進まない公務員削減や行政改革、夕張市のように破綻して初めて危機を実感するのだろうか。

★ 価格の下方硬直性、小麦はともかくガソリン代は下がり傾向。ここぞとばかり値上げした商品がガソリン代が下がったと言って価格が下がるわけでなし、企業間の競争、「神のみえざる手」に期待するより仕方ないのか。独占状態では期待薄だが。

★ 金融サミットでは、アメリカ対ヨーロッパ、自由主義と社民主義が対立。「中負担、中福祉」と「中」が好きな麻生総理は、ここでも両者の「中間」が良いとの認識。二分法の好きな西洋人にアジア的な中庸が理解できるのだろうか。「あいまいさ」で一笑に付せられるのがオチか。

★ 会議は踊り、BRICsは虎視眈々と先進国を見つめる。  
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クーデター

2008-11-14 05:39:43 | Weblog
★ きな臭い話が飛び交うようになってきた。

★ 自衛隊のクーデター計画と言えば、映画ではあったように思うし(「皇帝のいない8月」)、相当前になるが社会党の議員が国会で追及したことがあった。(真偽は不明)

★ しかし当時は、あたかもUFOの襲来と同じレベルの話として聞き流していた。だが、田母神問題などが起こってきた今、自民党議員の間からも「クーデター」を危惧する発言が相次いでいる。

★ 金融不安で社会が浮き足立ち、内閣が迷走、混乱を続け、新型インフルエンザのパンデミックも近づいているという。この時期、クーデターの心配までしなければならないのか。

★ まさかとは思うが、前例がないわけではない。今すぐでなくとも、5年後、10年後の危機に向かって、着々と時代が流れているのかもしれない。流れは小さいうちに絶たないとどうしようもなくなる。これも歴史が証明している。
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制服組の暴走

2008-11-14 00:18:03 | Weblog
★ 金融危機や給付金問題に隠れて、比較的小さな扱いに終わっている田母神問題。しかしこの問題は、制服組の最高幹部が政府の方針に正面切って逆らうと言う前代未聞の事件である。

★ 政府の慌てぶりは「定年退職」という形で早々に切り捨てたことからも明らかだ。「懲戒」の審査さえもできないほど事情があったのであろう。

★ 田母神氏は、こんな反論もできないようでは北朝鮮も同じだ、といった趣旨の発言をしていたが、それは表現の自由の曲解であろう。軍隊にとっては指揮命令系統はもっとも尊重すべきルールであろう。戦場で民主的な話し合いなどしていたのでは、作戦も何もあったもんではなかろう。そんなことは素人の目にも明らかだ。

★ それをプロ中のプロがなにをかいわんやである。

★ 自衛隊は内閣総理大臣の指揮監督下にあり、内閣の方針に反する事はあってはならない。先の戦争の反省にたって、そう決めたのではなかったか。 

★ 制服組の暴走は政府の責任である。政府に緩みがあったのではないか。政府がなめられたといっても過言ではなかろう。

★ これから粛清が行われるのであろうが、十月事件や三月事件のように処置を誤るとあらぬ方向に暴走するやも知れない。政府は心して対処して欲しいものだ。
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