じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

垣根涼介「信長の原理」(下)

2024-10-31 21:14:07 | Weblog

★ 10月も今日で終わり。今年も受験シーズンがやって来た。まずは、中学校の期末テスト。先日中間テストが終わったと思ったら、もうあと20日。また忙しくなりそうだ。

★ さて、垣根涼介さんの「信長の原理」(角川文庫)の下巻を読み終えた。歴史小説なので、大まかなストーリーは、NHKの大河ドラマで何度も観た通り。

★ この作品の面白さは、信長が「パレートの法則」を見抜いていたという点だ。戦国時代の時代小説の形をとりながら、なぜか企業小説(あるいは政治小説)の雰囲気がある。

★ ある男が、親から継いだ小さな商店を、日本有数の大企業へと成長させていく出世物語とも読み取れる。

★ 今ではパワハラと糾弾されそうなことも数々あるが、カリスマ性を帯びたワンマン経営者が、1代で企業を育てていく、まるで高度経済期の日本企業を見るようだった。

★ 作品で描かれる信長は、織田家を大きくすること、天下をとることと目標が明確だ。その一点のために、使える人材は敵対していた人物であろうが大胆に登用する。一方、旧来のスタッフでも働けなくなれば容赦なく切り捨てる。

★ 信長自体は「なぜみんな自分を裏切るのか」と何度も自問する。その理由、彼は経営術に秀でていても、決して人を信じることができなかったからだと思う。部下に畏怖させて動かす経営は効果的ではあるが、一方で、いつ自分が切り捨てられるのかという不安感を植え付ける。このボスに従ってている限り、平穏な日々が送れないと精神的に疲弊してしまうのだ。

★ 時代の変革期には信長型の人材が必要かもしれない。しかし、当人は結局悲劇的な最期を遂げるのであろう。これもまた天の差配なのかも知れない。

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倉橋由美子「パルタイ」

2024-10-29 21:12:10 | Weblog

★ 選挙のたびに、ある政党の人々が体の前に看板を抱えて、街頭活動をしているのを見る。確実に高齢化が進んでいる。

★ その風景を思い浮かべながら、倉橋由美子さんの「パルタイ」(新潮文庫)から表題作を読んだ。昭和35年に発表された作品。私は文末に「1987年7月3日」に読んだと記しているから、再読になる。

★ ある女子大生。彼女は「セツルメント」サークルに所属している。そのメンバーは「学習サークル」を組織して「労働学校」を運営している。

★ 目下の彼女の関心は「パルタイ」に入るかどうか。「パルタイ」に入るべく先輩らしき人物に指導を仰ぎながら「経歴書」を作成している。

★ 昭和30年代の雰囲気が十分に味わえる。「プチブル」という言葉は、当時はまさに侮蔑用語。彼女は「プチブル」と批判され、怒りに燃えている。(今の時代だと「ブルジョア」や「セレブ」は憧れであるけれど。私などはすっかり「資本主義」に洗脳され、毒されたのかも知れないが)

★ 「パルタイ」絶対主義はもはや宗教団体。自由を求めながら自らを拘束する「パルタイ」に参加しようとする主人公の心境が興味深い。

★ 「パルタイ」は、「さまざまな『掟』と『秘儀』の総体からなっていることは、わたしにはある種の宗教団体とおなじにみえるほどだ。その目的は『救済』であり、救済とは信じることだ」の一節は面白い。

★ 「パルタイ」に身を委ね、その教義に心酔してしまえばそれはそれで「救済」が得られたであろうが、彼女は最終的にはそれを拒絶する。「革命の必然性」を信じることができなかったからか。

★ 短い作品ながらとても面白かった。

☆ 最近では「ロマンス詐欺」などという言葉があるが、かつては、政治団体や宗教団体に「ロマンス勧誘」といったことがあったのかも知れない。

☆ 学生運動や革命運動、カルト教団をテーマとした小説に魅かれる。政治小説、企業小説と同様、ドロドロとした人間模様が楽しめるからだろう。

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道尾秀介「ソロモンの犬」

2024-10-28 23:01:58 | Weblog

★ 昨夜は、見なくてもよいのに衆院選の選挙速報を夜半まで見ていたので、今日は寝不足。事実は小説より奇なりというけれど、少数与党、与野党伯仲。天の采配(国民の審判)はどこへと向かうのか。

★ 今日は道尾秀介さんの「ソロモンの犬」(文春文庫)を読み終えた。大学生たちの日常。そこで起こった友人の事故死。鍵を握るのは彼が連れていた飼い犬だった。

★ 動物、とりわけ犬の生態を織り込みながらの面白い作品だった。ただ物語は、ときどき横道にそれ、ちょっと冗長な感じがした。

 

☆ さて、政局は来夏の参院選挙に向けて早くも動き出しているようだ。石破総理の進退は、公明党の新体制は、立憲民主党は今回の勝利を活かせるのか。

☆ 国民民主党の大躍進には驚いた。何が原因なのだろうか。興味深い。維新は公明党との軋轢があり自公が組んでいる限り、政権入りは難しい。かつての村山内閣のように、自民党が玉木内閣をちらつかせればどうなるか。

☆ 自民党が分裂し、旧安倍派の一部が維新と組むなんてことはありえないか。10数年に1度の転換期。これがより良い政治への契機になれば良いのだが。不毛な泥仕合(上げ足取り)だけはやめて欲しいものだ。

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荻原浩「噂」

2024-10-27 15:04:55 | Weblog

★ 午後から天気が悪くなるというので、午前中に選挙に行った。その後は今週も中学3年生の「土日特訓」。

★ 授業の合間に、荻原浩さんの「噂」(新潮文庫)を読み終えた。

★ 東京と神奈川県の県境で起こった連続女性殺人事件。彼女たちに共通したのは、足首から下を切断されていたこと。同じ香水を使っていたこと。

★ かつては捜査一課に所属しながら今は所轄に籍を置く小暮巡査部長は本庁の女性刑事、名島警部補と組んで事件を追う。

★ 二人がたどり着いたのはあるモニター会。新しい香水を売りたい企業が広告代理店に依頼して開いたもの。そこで語られた「レインマン伝説」。レインマンが現れ、若い女性を殺害、足首を切り取るというもの。今回売り出す香水を使っていた女性だけ被害を免れたという「噂」。

★ この口コミ戦略が渋谷界隈で遊ぶ少女たちの間に流布し拡散する。犯人はこの都市伝説になぞらえて犯罪を犯しているのか。

★ 良きにつけ悪しきにつけ「口コミ」の影響は大きい。SNSが発展した今日では、YOUTUBEやTilTokで情報はあっという間に拡散する。

★ それを利用する広告代理店が出てきてもおかしくない。マスクが品薄だと聞けばドラッグストアに人が押し寄せ、コメ不足と聞けばスーパーに人が押し寄せるのが現状だ。個人も業者も一斉に買い占めに走れば市場から品物が消えるのは当然のこと。それがまた人々の不安を煽る。

★ 政治もまた例外ではないか。ナチスの台頭も人々の閉塞感と不安感から生まれたのかも。

★ 「情報」というのは両刃の刃だね。

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吉田修一「曼殊姫午睡」

2024-10-26 16:00:06 | Weblog

★ 明日は衆議院総選挙の投票日。天気はどうかな。8時以降のテレビ番組は選挙特番ばかりになるなぁ。選挙後は政局含み。来年の都議選、参院選まで影響が及びそうだ。

★ 世界ではイスラエルがイランに報復攻撃。ネットではセブイレの「上げ底」批判があふれている。コンビニの覇者にも翳りか。市場が縮小する国内はもはや飽和状態で、海外での成否が企業業績を左右する時代。この国の未来はどうなるのやら。

★ そんな途方もないことを考えながら、今日は吉田修一さんの「犯罪小説集」(角川文庫)から「曼殊姫午睡」を読み終えた。

★ 主人公は英里子は47歳の「普通の主婦」。それなりに幸せで、でも少し満たされない日々を送っていた。そんな彼女があるニュースを知る。かつて小学校、中学校の同級生だった女性・ゆう子が保険金目的殺人で逮捕されたというのだ。

★ 英里子は、若い頃のゆう子との思い出を振り返り、中学卒業後、彼女が辿ったであろう人生を追いかける。

★ 物語は英里子の目を通して進んでいくが、ゆう子の人生もリアルに描かれている。主観と客観が違和感なくつながっている。

★ ところで女性にとって「47歳」というのは人生の折り返し点ともいえようか。男性にとっては、何歳が折り返し点なのだろうか。平均寿命でいえば40歳頃だが、私自身の人生を振り返れば、60歳を半ばすぎてもまだまだ折り返しの感がない。これは幸せなことなのだろうか。

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松本清張「紐」

2024-10-24 16:05:30 | Weblog

★ 寒暖の差が大きい。昼間が短くなった。少しずつ季節が動いているようだ。

★ 今日は、松本清張さんの「黒い画集」(新潮文庫)から「紐」を読み終えた。さすがミステリーの大御所。何重にも張り巡らされたどんでん返しに感服した。

★ 多摩川の河川敷で見つかった男性の死体。両手両足が手ぬぐいで縛られ首には紐が巻かれていた。男はもともと岡山の田舎で神主をしていたが、田舎暮らしに飽き足らず、実家や知り合いから大金を集め、一発当てようと東京に出て来ていた。

★ 警察は始め、危ない仕事に関わった男がその筋に殺されたのではと疑ったが、これといった証拠が出てこない。男の妻や姉夫婦にも疑いをかけるが、完ぺきなアリバイがあった。

★ 捜査は行き詰まりお蔵入り。そのころ警察とは別に保険会社が調査に乗り出していた。男には多額の保険金が掛けられていたのだ。話は保険金目的殺人へと舵を切る。

★ 警視庁の捜査担当者、保険会社の調査員、それぞれが推理をぶつけ合う。そして出てきた真相は・・・。

★ 昭和34年の作品。ストーリーが明快で読みやすく、それでいてドラマチックで面白い。名作は時を経ても色あせない。

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髙村薫「巡り逢う人びと」

2024-10-21 22:54:27 | Weblog

★ この世にはツイている人とそうでない人がいる。中には自業自得で落ちぶれる人もいれば、知らず知らずに転落の因をつくっている人もいる。また、真面目にコツコツと生きているのに報われない人もいる。

★ 髙村薫さんの「地を這う虫」(文春文庫)から「巡り逢う人びと」を読んだ。

★ 元刑事。警察が嫌になって退職したものの、35歳という中途半端な男にコレといった職はなく。結局おさまったのがサラ金の取り立て業務。それも、時には反社を使う会社だ。

★ 刑事の肩書がなくなると、その筋の見方も変わる。雇い主だから表では立てながら、腹では落ちぶれた男を嘲笑している。彼はそんなことを重々知りながら、なおプライドをもってその職責を果たそうとしている。

★ ある取り立て事案。借金のカタに土地や工場を奪うのは同郷の同級生。自らのすべてを奪っていく彼に同級生は笑顔で接する。その真意は。

★ 髙村さんの作品は短くても深い。

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吉本隆明「共同幻想論」から

2024-10-20 16:04:02 | Weblog

★ 1960年代の空気に触れたくて、昨日の高橋和巳に続き、今日は吉本隆明さんの「共同幻想論」(河出書房新社)から「序」を読んだ。

★ この時代の人の特徴か、理屈っぽくて言葉が難しい。当時の社会状況や作者の内面を慮らなければ、何を言っているのかわからない。「基礎知識なき者、読むべからず」的な雰囲気がある。実に不親切だが、それがまた魅力でもある。

★ 「序」では「文学とは何か」「言語にとって美とは何か」から「共同幻想」「対幻想」という見方に至る経緯が述べられている。

★ 「社会主義リアリズム」とか、当時としては大きなテーマだったんだろうね。

★ 当時の論客たちとの格闘技のような論戦は時代の象徴か(私はそのあたりを読んでいないが、感情むき出し、罵倒飛び交う論戦は昔の「朝まで生テレビ」のようで面白そうだ)。反エリート、在野精神が若き吉本さんの魅力かな。

★ 世相として、最近は随分と大人しい論戦が多くなったような気がする(いや、論戦自体を避けようとする風潮があるのかも知れない。)

★ ところで「共同幻想論」。「共同幻想」とは、マルクスの「上部構造」のようでもあるが、「共同幻想論」は経済学に留まらず、「人間にとって共同の幻想とはなにか、それはどんな形態と構造をもとに発生し存在を続けてゆくか」「内部構造をはっきりきちんと把握したい」との意図で書かれたようだ。

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高橋和巳「わが解体」

2024-10-19 19:06:42 | Weblog

★ 今年も高校入試まであと4か月。恒例に「土日特訓」が始まった。公立高校入試の受験時間(40分×5教科=200分)に合わせて、総復習と試験に向けた体力づくりを目指しています。

★ さて、最近は同時並行して読んでいる本が多すぎて、なかなか読み終わらない。その多くは推理モノであったりいわゆる通俗小説(エンタメ小説)なので、使われている文言は比較的簡単で、ストーリーにさえ入っていければ、ドラマを観るように読み進めることができる。

★ しかし、こうした類の本ばかり読んでいると、時々欲求不満が高まってくる。もっとゴツゴツとした文章が読みたくなる。

★ ということで、本棚からポール・ニザン「アデン・アラビア」、柴田翔「されどわれらが日々ー」、高橋和巳「わが解体」を選んで読み始めることにした。まずは、高橋和巳さんの「わが解体」(河出書房新社)。

★ 高橋和巳さんといえば「悲の器」や「邪宗門」「憂鬱なる党派」を読んだことがある。「わが解体」は小説ではない。学園紛争がピークに達していた京都大学に籍を置いていた著者が体験し、思索したルポ&エッセイというところか。

★ 学園紛争の嵐が吹き荒れる中(今から思えば、革命ごっこ、革命遊戯に感じるが、当事者たちは真剣だったんだろうね)、著者は、大学とりわけ教授会の閉鎖的で不都合なことは隠ぺいする体質を批判する一方、自らがその教授会の構成員であることを慮り苦悩しているようだ。真面目に生きようとすれば「自己解体」に至らざるを得ない心境が描かれている気がした。

☆ 私が大学に入学したのは1978年。高校時代は「三無主義」の世代と呼ばれた。もはや学園紛争の名残はすっかり消え失せていた。

☆ これからしばらく、学園紛争の時代に生きた人々を描いた作品を読んでみようかな。当時の闘志達ももはや70歳から80歳だね。

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森村誠一「高燥の墳墓」

2024-10-16 19:45:37 | Weblog

★ 近隣の中学校の中間テストが終わった。「ホッ」と一息つきながら、一月後の期末テストのことを思う。月日の流れは速いものだ。

★ さて今日は森村誠一さんの「鬼子母の末裔」(光文社文庫)から「高燥の墳墓」を読んだ。

★ 2人の男が山に登り、悪天候の中で遭難する。1人はケガをしたため、自力で下山できそうにない。このままでは共倒れになる。もう1人の男は「救助を求める」と友を置き去りにする。

★ それから数年、下山した男は若くして大手企業が新しくつくった山岳ホテルの支配人におさまっていた。独特の愛社精神を持つその男は、仕事に打ち込み、経営陣からは評価されていた。一方、自分と同じように滅私奉公を要求する従業員からは疎ましく思われていた。

★ そんな折、その男が山に登った切り下山しない。好天候の中、登山の腕も達者な彼が遭難するとは考えにくい。しかし、その行方は一向につかめず、山岳隊の捜索にもかかわらず、遺体さえも発見されなかった。

★ 事件なのか事故なのか。それとも単なる失踪なのか。ある刑事に捜査が任され、そして遂に謎を解明する。

☆ 小学生向けのなぞなぞに次のようなものがある。「山の頂上に登った人が必ずしなければならないことがあります。それはなんですか」

☆ 生徒たちは「ヤッホーと叫ぶ」とか「トイレをする」とか「記念撮影をする」とか答える。さて、解答は?

 

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